見出し画像

[恋愛小説]1992年のクロスロード.../25. ロードバイクへの道

登場人物
福山雅弥 : 建築設計事務所 所長 42歳(1959)
福山由佳 : 雅弥の妻、インテリアデザイナー 34歳(1967)


2001年当時、その店はつくば市竹園1丁目にあった。つくば市の中心部に近く、近所には大清水公園や竹園公園もあり、環境は良かった。

ロックシンガー 忌野清志郎がそこで「オレンジ号」というオーダーメイドのロードバイクを作ったことで、有名なスポーツバイクショップだった。TVにも登場したし、本にも記事が何回か出ている。

スポーツバイクマツナガ

雅弥は、何処かでそれを知った。

HPかもしれない。元々自転車には、興味があったし、長距離を黙々と走るそのストイックさが、魅力だった。

多分、北海道の地平線までまっすぐに伸びる路を、ロードバイクで黙々と進んで行くシーンを思い描いていたのかもしれない。

そんな事を由佳に言ったことも無いし、唯心の中で、想像していただけかもしれない。

ロードバイクに乗るメリットを3つ上げるとすれば、
1.健康維持・心身強固
2.精神的に安定する
3.仲間や友人関係が広がる

だと思う。その理由は後で説明するが、今日は経過について書きます。

健康や体型を維持していくのは、それなりに運動習慣を身につけ、努力する必要がある年頃だと自覚した。そういう意味で、有酸素運動のロードバイクは最適だった。
この頃同じ設計事務所で働く友人達が肥満して、色々な成人病を患う様になってきたのが気になっていた。明らかに不規則な生活や座りっぱなしの職業が原因なのは、明かだった。

ふと、仕事の切れ目が出来た、土曜日の午後、その店の前を通り、唯なんとなく、その店へ入ったことが、雅弥の人生を大きく変えるとは、雅弥本人も思っていなかった。

その店の中は、自転車のパーツで埋め尽くされていた。

フレーム、ホィール、ハンドル、サドル、ブレーキ、ギア等々、1台の自転車を構成する全てのパーツがそこにある。

ある意味、そういうパーツの構成体が1台のロードバイクになることが、魅力だった。

建築も同じだが。ロードバイクが魅力的な理由はいくつもあるが、最初のチャームポイントはそこだった。

それまで、雅弥はスキーやトレッキング、登山をやってきたが、どうもそのやれる場所への遠距離移動がネックだった。

3時間、6時間移動して、3時間、6時間遊んで、また3時間、6時間掛けて帰る。そうじゃなく、自宅を出たら直ぐ、それに没入できるそんなスポーツを探していた。

それには、ロードバイクはぴったりだった。

それに、大体、それ自体は文句を言わないのが良い。

人は直ぐ文句を言う。「それは嫌い」「それじゃ、駄目」、「それはイヤ。」等々...

集中できる、結果が直ぐに出る。マイペースで出来る。

一人でも、集団でも出来る。それは、ロードバイクだった。

ただ、最初は訳も分からず、適当な店に入り、10万でアルミの完成品を購入したが、走行会へ行き、集団で走ると、必ず上り坂で置いて行かれた。

流石に、帰宅すると疲労で2^3時間は泥のように爆睡した。全身に血流が巡るのが分かった。それも半年もすると、平気になったが…。

そして、走ると憂鬱な気持ちは、無くなった。これは大きかった。体を動かす事で、アドレナリンのようなホルモンが出て、気分は一層されるし、走っているときはそれ自体に集中し、嫌なことや心配なことは、何処かに消えて無くなる。

他の人のバイクをよく観察すると、やはり自重の軽いカーボン製のフレームだった

ある程度、投資しないとその楽しみは得られないことが分かった。

そのうち、日曜日になると自転車で出かける雅弥を見て、由佳も一緒に行きたいと言い出した。

流石に、自転車に乗って、浮気に行っているとは思わなかっただろが、なんでそんなに毎週一人で出かけるのか不思議だったし、興味もあった。

彼女も、また安価なクロスバイクを買い、雅弥と一緒に近所へ走りに出掛けた。

つくば周辺は、高低差が少なく、平坦な道が多い。

その昔、土浦から筑波山の西を回り水戸線の岩瀬まで、私鉄の筑波鉄道筑波線が走っていた。

数十年前に廃線になり、その跡地は、今サイクリングロードになっている。

大体、この近辺のローダーは自転車を始めるとそこへ走りに行く。二人もそうだった。

最初は、岩瀬までたどり着けなかった。途中の旧筑波駅で引き返した。

次は、真壁、雨引、そして岩瀬と、段段距離を伸ばした。

走り込むと、やはり自転車の重さが気になった。

軽いと坂が楽だ。カーボン製のフレームは漕ぐとしなる。

しなりは、前進力に変換される。

クロモリやアルミはそうはならない。当時カーボン製のフレームは高価だった。最低でも30はした。

だから、趣味のそれにおいそれとは投資できない。が、周囲が次々とカーボンフレームになって行くのを黙って見ている訳はなかった。


そして、仕事も順調で、少し余裕が出来てきたことも、良かった。

自転車を始めて4年目にまず由佳がマツナガでオーダーメイドのロードバイクを作った。カーボン製で、ラグと呼ばれる接合部はクロモリという鋼材で構成される。その人体に合わせて造るので、フィッティングは完璧で、体の故障はまづ出ない、優れものである。

カラーは化粧品の包装色と同じにしたので、ソフィーナブルーと呼ばれた。

雅弥も次に3台目となるフルカーボンフレームを購入。TIMEというフランスのメイカーの既製品だった。高価なので、周囲から揶揄を込めて「おタイム様」と呼ばれるフレームだった。

それが、2001年9月の出来事だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?