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私の瞑想体験ーどのテクニックを使っても到達地点は同じだと気づいた件

瞑想の時の雑念(思考)を止めることについて
投稿を書いていたときに、
自分の瞑想体験の記憶も浮上してきたので
皆様のご参考になるかどうかわかりませんが
残しておきます。

瞑想体験記であると同時に、基本の筋トレ3種開発記
にもなっています(^人^)


私もかつては瞑想をしておりました。

実は、私のスピ行脚は石(クリスタル)とヨガ
から始まりました。

あるクリスタルショップのオーナーさんから
ハタヨガの師匠をご紹介していただき
一時は週5日通うほどに集中しておりました。

そこでは、ヨガの本髄は瞑想にあり、
呼吸法もアーサナもすべては
最高の瞑想をするための準備と教わりました。
確かにそのお教室は他のお教室より
瞑想の時間長かったと記憶しています。
(後々、別のお教室に行ってみて判明
したのですが。。。)

そこでヨガの瞑想の土台を叩き込まれた(笑)
いえ英才教育を受けた、と思っています。

そこは、昔の師匠と弟子のよな感じで
修了証とか資格認定などは一切なく
師匠が瞑想中に肩をポンと叩いたら
「免許皆伝(人に教えてよし)」という
ところでした。

私はそこで2年を過ぎた頃
瞑想中に「肩ポン」されまして
ですが、瞑想中でしたので
嬉しい!というよりは
すべて完璧なのだ。。。的な感覚に
没入していました。

その後、私個人の環境の変化により
そのお教室からは離れてしまいましたが
今思い返してもとても素晴らしい時空でした。

もちろん、師匠は今もきっとご活躍されている
と思いますが、どんなに検索してもネットには
上がってこないのです。
(師匠は携帯を持たない方でしたので
インターネットもしておられないのでしょう。)

ということで。当時は私も
雑念(思考)に非常に悩まされました。

当時「雑念にとらわれないように」
の意味がわからず
無視しよう、無視しよう
そちらに気を取られてはいかん!
そう思うと余計にそちらに意識がゆき
焦りが生まれてきてさらにドツボに。

また、雑念が入る余地をなくすために
マントラを一心不乱に唱え続けて
集中し過ぎて疲れ果ててしまったり。

果ては、攻撃は最大の防御とばかりに
雑念とヤーヤーヤーと戦ってみたり(笑)

今思い返すとそうじゃないんだよなぁと
わかるのですが、当時は本当に必死でした。

それでも、何年かやっているうちに
なんとか静かな心を感じられるような?
これか?これなのか?となってきて。
ですがまだ確信ではなくお尻に?が
ついていました。

その後、私は「シータヒーリング」という
脳波をシータ波(実際はシータ波とガンマ波)
にすることで、あらゆるヒーリングを可能にする
テクニックを学び、それに夢中になりました。
(その間も独学的瞑想は細々と続けていました。)

一時は超ハマっていたシータヒーリングですが
あることを契機に疑問を感じるようになり
シータヒーリングを含むスピリチュアルなもの
全てから距離を置くようになりました。


その後再びひょんなことから(便利な表現ですねw)
「瞑想」をがっつりすることになりました。
TM瞑想に出会ったのです。

こちらもヨガと同じくインドを起源とする
非常に壮大な体系です。
瞑想を通して、人生全体を美しく調和を持って生きる
ことを伝えているものでした。
私はまたも1日中瞑想し続けるほどに集中しました。

TM瞑想を徹底的にやり続けることで
神意識や超意識の片鱗に触れる瞬間もたまに
ありましたが、まだ、「瞑想」を頑張っていました。

ある時に、TM瞑想をしていて
何かを「突き抜けた」感覚がありました。

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