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映画にみる障害者施設殺傷事件

2016年7月、知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」で相模原障害者施設殺傷事件が起きました。戦後最悪の大量殺人事件として衝撃を与えたこの事件、どう考えればよいのか言葉を失った人も多いのではと思います。

この事件から何か発信しなくてはいけないと思った映画関係者は少なくなかったようで、関連する映画が相次いで発表されています。そのうち三本の映画を紹介すると共に、5年が経った今改めて考える機会として頂ければと思います。

あらすじ

まずは「PLAN75」。2022年6月公開。

福祉施設での事件をきっかけに、75歳から自らの生死を選択できる制度<PLAN75>が施行された。高齢を理由に解雇された主人公は<PLAN75>を選び、安楽死までサポートしてくれる職員に一緒に外出したり話し相手になってもらったりする。時が来、【以下ネタバレ】主人公と同時に安楽死を迎えた男性の家族は、そのままにしておけないと亡骸を持ち出す。一方主人公はシステムの不具合からか死ぬことが叶わず路頭に迷う。

映画「PLAN75」

次に「ロストケア」。2023年3月公開。

優秀な介護士である斯波(しば)は、介護で家族が疲弊している老人を42人も殺害していたが、全て自然死として処理されていた。それを嗅ぎつけた検事が罪を裁こうとするも、斯波は自分がやっていたのは救いなのだと主張する。戸惑う検事だが、自分も親を施設に預け介護から目を背けていることに気付かされる。

映画「ロストケア」

最後に「」。2023年10月公開。

人里離れた障害者施設では重度の障害者に対し窓を閉め切り日常的に虐待も行われていた。その状況に疑問を抱いていた男性は障害者を救う方法を決意する。一方中途採用でやってきた主人公は、妊娠したが高齢出産では障害を抱えて生まれるかもしれないと悩んでいた。そんな折、決意した男性から施設襲撃の計画を聞かされる。

映画「月」

感想

「PLAN75」は、猟銃をもった男が福祉施設で自殺するシーンを冒頭で描いているわりに、それが<PLAN75>にどう結びついているのかいまいちよくわかりませんでした。また映画の紹介文には「<プラン75>に翻弄される人々が最後に見出した答えとは―――」とありますが、何が「答え」だったのか、何を主張したかったのかもよくわからず。遺体を持ち出す男性の話ですら、映画後帰宅してからWebで誰かが投稿していた解説を読んでようやく理解したくらいです。

Web上では私がみた限り高評価でした。でも私には、いろいろ詰め込んで問題提起したかったけど失敗した、ように感じました。あえて評価できるとすれば、主人公を演じた倍賞美津子がすごくよかった、だけ。

福祉施設殺傷は無視してPLAN75を「おば捨て法」としてみて、私は次のように納得させています。即ち「今の高齢者福祉を解決すべくおば捨て法を作っても、結局いろいろ問題が絡んでるからうまくいかないよ」「行政のできることってこの程度、どれだけ現場が懸命に対応しても施策の哲学(考え方)自体がいい加減だったら結局ハチャメチャに終わる」という主張だったのかな、と。そう考えると現実に施行されてる法律や条例もどこか思い当たったりもします。

評価は「2:よくなかった」。(基準・・・5:大絶賛! 4:もう一度観たい 3:まぁよかった 2:よくなかった 1:二度と観ない)


「PLAN75」に対して「ロストケア」は問題提起にしても主張にしても非常に明確で、深く考えさせられたし、奥深さに感心すらしました。犯人である斯波は確信犯で、愉快犯でも優生思想犯でもなく、悪いこととも思っていないあたり、逆にどうすれば「悪い人」のレッテルを貼ることができるのだろうかと思いました。もしかすると、犯人を「悪い人」とレッテルを貼ることで「自分は違う」「自分は正しい」と思いたいのかもしれない、とも考えさせられました。

ヤングケアラー問題に象徴されるような、公助より共助・自助をまずすべしという自己責任論はやめるべきと思いました(私は、共助・自助すべきと言っていたかつての首相がヤングケアラー問題を産んだんじゃねえかと思っています)。また、東日本大震災の折「絆は大切」「生きているだけで家族は幸せ」とうんざりするほど耳にしましたが、この映画ではそれらのアンチテーゼのように「絆は呪縛」「穴に落ちたらもう戻れない」と言っていたのも考えさせられました。

なおこの映画の解説などには障害者施設殺傷事件との関わりを認める/匂わせる記述はないようです。言われてみると確かに違う話なのですが、数十人殺傷や動機など共通する部分も多いので、事件を考える上では好素材といってよいかと思います。

評価は「4:もう一度観たい」。(基準・・・5:大絶賛! 4:もう一度観たい 3:まぁよかった 2:よくなかった 1:二度と観ない)


対して「月」はストレートに障害者施設殺傷事件を扱い、犯人の動機と実行を描いていました。インターネット上では今でも犯人に賛同する書込みが多くあるようですが、それに抗うように、あえて犯人を「狂った殺戮者」ではなく「社会的使命の実行者」として描いているように感じました。ただ、それを直接描くのではなく、それを聞いた主人公の苦悩という形にしたことで、かえってわかりにくくなってしまっていたようです(というか私がよくわからず残念だった)。

実際の殺傷事件の犯人は優生思想から逃れられなかったようですが、映画では犯人は「障害者を救うためにはやるしかない」という社会的使命のもとで実行に及んでいます。「生きているだけで幸せ」というきれいごとが蔓延(はびこ)る世の中で、意識があるのかわからない障害者をただ生き延びさせ、しかも虐待されている、彼らを救ってあげられるのは自分しかいないという、暗闇を照らす月のような存在に犯人はなろうとしていた、映画のタイトルはそういう意味だったのではと解釈しています。

「脳死は人の死か」という議論があります。提起され30年くらいになるでしょうか、当初は「人の死ではない」という意見が多くあったけれども最近は「人の死である」、特に(家族ではなく)自分が脳死となれば死として扱ってほしいという意見が多くなっていると、何かの記事で読んだ気がします。同様な形で「意識のない障害者は死ぬべきか」という問いがあるとすると、皆さんはどう答えるでしょう。言葉を失い答えられない人がほとんどではないでしょうか。それはもっともかと思います、ですが、常識/当たり前のように「生きているだけで幸せ」と発言するのはいい加減やめてほしいと思っています。

評価は「3:まぁよかった」。(基準・・・5:大絶賛! 4:もう一度観たい 3:まぁよかった 2:よくなかった 1:二度と観ない)


以上、障害者施設殺傷事件に関する映画を三つ取り上げました。同じ事件を受けても全然違う話になるんだなと思いましたし、それぞれ考えさせられました。事件を直視することに抵抗がある人も、映画を通じてでも考える機会をもってもらいたいなと思っています。

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