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2022/06/04 人の営みというのは

 朝っぱらから、隣の工事の人達が話している。楽しげで威勢のいい声。結構聞こえてくる。今の感覚ではあまり良いものではないのだけど、なんだか懐かしい。育った家は人の出入りが多くて、よく人の声とにおいがしていた。ほんの数十年ほど前のこと。それは今もこうしてある。ということは私が生まれる数十年前もこうだったのでは、と思う。戦前と呼ばれる時代。服装や世の中の仕組みが違っても、人の営みというのは変わらず続いているのではないか、という当たり前のようなきりのないことを考える。

 天気がいいせいか、午前中から暑い。私は窓から入る風が爽やかなうちはエアコンはつけたくない。エアコンは聴覚過敏の気がある私にはずっと音が鳴っている状態でつらい。パソコンも開けるとファンの音が重なって耳がバカになる。暑がりの息子はすぐエアコンエアコンと言うし、私以外に暑さで我慢させる状況はちょっと耐え難いので、それはもう、つけてもらうけれど、私にとってはしんどい状況なので逃亡。

 隣のリフォームは大幅な計画変更があったのか、うちのトイレの窓と向かい合う場所に空けていた穴にもう一度下地を打って壁材と金網を張ってからモルタルで埋めていた。窓はと言うとその斜め下に取り付けられている。あまりジロジロ見ると失礼だし、やりにくいだろうからそっと、トイレの小窓を薄く開けて見る。見る度に塞がれていき、最終的には塗装さえすればわからないぐらいにならされて、軽く感動する。穴、こうして塞ぐのね。トイレと向かい合う場所に窓は困ったな、家が出来て人が入ったら気を使ってしまうなあと思っていたのでよかった。

 メールを見て、粛々と返信。お仕事の依頼など。メールは見た瞬間に返すか、こちらのアクションが必要なことならやって、すぐに返せば面倒くさくならないことに最近気づいて、実践してかなり楽に。十分に大人と言える歳で今頃、という話。恥ずべきことだけど、緊急性があるものとお仕事の返信はいつも迅速でやってきたつもりではある。
 謹呈された本のお礼は困っている。読んでないくせに御礼状を出す人もいるけれど私はなんとなくそれが出来ない。失礼な気がする。と言いつつなかなか読み進めることも出来ず困っている。短歌の世界の歌集は自費のものが多く(とは言っても私家版ではなくちゃんと書店で流通する。ISBNもついている)個人が身を削って出版した大切なものなのでそこにリスペクトと、わざわざ私に送ってくださった感謝はもちろんある。それなのにすぐ返せなくて申し訳ない気分。今も10冊以上、お礼を返せていなくて申し訳ない限り。

 昨日、息子1のステージを見に行って頭がなんだか曜日を勘違いしていて、まるで日曜気分だけど今日は土曜だ。テレビでは土曜の番組をしているのに体は日曜気分。人なんて思い込みで出来ているのだ、と思う。

 遅い午後、しれしれと断捨離。後で使おう、使える時が来たならば、と思うものはだいたい後でも使わないのだな、と仕分けしつつ思う。同じ場所も巡回するようにすると前の回に逃したものがわかる。累積したものはこうして減らして身軽になっていくのだと思う。後は一斉に全部捨てるか。こちらもまた魅力的。

 晩飯、昼に食べたからあげ専門店の弁当のボリュームに負けて、唐揚げとチキン南蛮が残っていたので野菜を添えて盛り直し、冷蔵庫からは昨日の残り物のタッパを取り出す。作ったのは豚平焼だけ。その豚肉も昨日の生姜焼きで作らなかった残りなのでオール残り物のパレード。特に文句も出ず、豚平焼がまた残った。

 そういえば6月4日って虫歯予防のなんとかの日じゃなかったっけ、とこの日記の日付を見て思った。寝る前。1日気づかなかったのだ。息子1は今日も管楽器奏者は歯が命、と寝る前20分以上、いつも通り歯を磨いていた。

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