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書きたいだけ書く日記【2021/01/01~01/06】

2021年1月1日(金)
 元日。5時50分に起きる。テレビは昨日の大晦日からのノリのままの生放送と正月番組っぽさ全開のものとが混在していた。オットの仕事は元日が休みになることはないのでうちは通常営業だ。これがいつもの元日。黒こしょうを焼きたてに挽くチーズトーストとコーヒーを用意する。オットを見送りに外に出る。自転車の鍵、凍っていないが門柱の上に少し雪が残っていた。今日も気温は少しマイナスに割り込んでいるのに昨日よりましだから普通に感じてしまう。
 オットを送り出して、息子2とテレビで富士山の初日の出を見る。コロナのせいか、こういう番組が増えている。それぞれ私利私欲全開のお願い事を口に出して、した。
 朝 ピザトースト コーヒー
 息子1が9時前に起きてきて朝食。うちはオットが仕事でお正月ではないのでこれ。
 さすがに年末の数日のように再放送や収録ばかりじゃなくなって、生放送で正月っぽいのをやっている。見たり見なかったりしながら横になってうとうとしていた。昼、作るのがとても面倒。変なものを食べたくない、食べさせたくないのでメニューに困る。
 昼 シンガポールチキンライス
 鶏もも肉を多めに持っていたので、シンガポールチキンライスに。調味料を入れて生の鶏もも肉を上に乗せて炊く。トマト・きゅうりは食べやすく切って、玉ねぎはスライス。ごはんの横に乗せる。かけるタレも作った。
 3時半を過ぎて、注文していた料理を取りに行く。8割方行ったところで受取りの紙を忘れた事に気づき一度取りに帰る。どこのスーパーも閉まっているからか戸島のマックスバリューは激混み。受け取って、麦茶パックや牛乳も買う。店の中にお祝い箸が売っていなかった。売っている痕跡も無かったので帰り途中に数件寄るがどこにもなかった。大晦日を過ぎると引っ込めるのだろう。
 夜 オードブル盛り合わせ お雑煮 ごはん
 今年はオットの実家に行かないので熊本のトラディッショナルなお雑煮を作ろうと思っていたけれど体調も整わないので断念。結局祖母のお雑煮になった。祖母のものは祖母のものとしか言いようがない。佐渡や東京、岩手の混淆だろうか。鶏もも肉ごぼう大根人参長ネギ三つ葉の入った澄ましに焼いた角餅、吸口にへぎ柚子、というのが祖母の雑煮。これにイクラが入ると祖父が喜んだ。祖父は餅だけを小皿に出して砂糖きな粉で食べていた。
 餅嫌いの息子1も少しだけ食べた。息子2は餅が好きになってきたらしく、文句を言わずに食べる。オードブル盛り合わせは豪華でとても良かった。色んな味の料理が入っていて、尾頭付きのエビとかもあってちゃんとごちそう感があった。
 食後、オットの実家へ動画を撮って送る。事前に送られてきたお年玉のお礼も兼ねて子どもたちがごあいさつ。
 ウィーンフィルのニューイヤーコンサート、ムーティが面変わりしていて驚く。演奏は今までになく良かった。観客が居ないからだろうか、ムーティの指揮が良いのか、ダイナミクスがしっかりついていてはっきりしている。ずっとウィーンフィルの音が好きではなかったのだけど認識間違いだったかも知れない。いや、昨年ジョン・ウィリアムズを招聘してやっていたものも良い意味であれ?と思ったからここの楽団は変わりつつある気もする。
 個人で中国から持ち込んだ新型コロナワクチンを接種しているというネット記事に色んな意味で嫌な気になる。そして世界のあちこちで医療崩壊の手前だという話。2021年もコロナの年になるのだろう。

1月2日(土)
 オットが11日ぶりの休みなので、私も長く眠る。8時に起きるつもりが体がきつくて起きられなかった。8時半起床。なにかしかの書き物・読み物をしていると10時過ぎ。息子1が起きてくる。
 箱根駅伝を見る。駅伝大好き人間としては箱根は欠かせない。熊本からは良い選手がたくさん出て東京の大学へ行く。箱根に出る。中学時分から頭角を現した、これまで見てきた選手の現在が知りたいし、今頑張っている選手は社会人として走るその先があったりする。熊本県出身じゃなくとも高校駅伝などで見た良い選手のその後も追いたい。箱根は見るしか無い。今年は大波乱。優勝候補の青学がとんでもない順位に。それどころか伊勢の大学駅伝で調子が良かったところが大崩れ。これだから本番はこわい。
 オットが休みで、子らのリクエストでお寿司に。スシローのテイクアウトを頼み、オットが取りに行った。やっと我家もお正月気分。なんとなくみんなだらだらする。息子1は友達に手紙を出しに夕方自転車で東郵便局まで行った。息子が昨年中にうちは今年喪中で年賀状が出せないと仲良しの友達に言ったら、手紙を出すと言い、本当にそれは届き息子が返事を書いた、というところ。楽しそうでいいこと。この年頃にやることをやり尽くして欲しい。
 私も夕方散歩に。少し遅かった。物音が絶えて淑気に満ちた街を今年はあまり十分には体験出来なかった。昼間曇っていたので今年はしようがない。子らの小学校の横の、地区最後の畑がもうすぐ無くなってしまいそう。少し前から木が全て切られて耕作するおじさんの姿は見えず塀すら取り払われて整地されてしまった。原野だった頃の姿が消えそう。うちの子たちは街の子ながら毎日すぐ側の畑で出来ているものを見ながら登校出来た。ありがたいことだった。
 夜はホットプレートで石焼ビビンバ。どんどん肉を焼いて、焼肉としてタレをつけて食べる。ある程度食べたらごはんとナムルの具を投入して炒める。息子1が焼肉でご飯を食べてしまい、少し足りなくなったので冷凍ごはんを解凍してごはんを増やす。ごはんを増やしたのでナムルも増やす。ごはんをプレートに押し付けてお焦げを作りつつ卵をからめてチーズを散らして出来上がり。コチュジャンをつけながら食べる。とても美味しかったが床が油で大変なことになり、オットと息子1で拭き掃除。息子1はプランクのような動きで拭きつつ腹筋を鍛えるとか言って戦力にならず。
 お風呂に入る。バスタブの中で今後何をしていこうかと考えて、また考え込んでしまう。夕方散歩した時もそれを考えていた。私は散歩やお風呂でよく考えるが、今、何を目標に据えていいのかわからない。色々と頭をよぎるが結局やれることをやり尽くすしか無い、それしか思いつかない。それで駄目ならどうしようとも思うが、それは結構な杞憂。やり尽くせるほど浅くないのだ。
 少し書き物をして11時半就寝。面倒くさくて頭を乾かさなかった。部屋の湿度に私の頭が貢献する。

1月3日(日)晴れ。時々曇りつつ
 起きたら妙な感じ。息が出来ないのとお腹が痛いのと。すぐに心折れる。薬を服用して事なきを得る。朝食の材料が少しずつ足りず、オットに朝食用のパンなど買ってきてもらう。
 息子1が体育の宿題のスポーツ観戦リポートに箱根の復路を見るというので8時前に起こす。
朝 惣菜パン・サンドイッチなど分けて食べる りんご
 りんごはサンふじに。もうぐんま名月は見かけもしない。今見る青いりんごは王林。
 午前中いっぱい、復路観戦に取られてしまう。大八木監督の檄が面白い。青学の原監督のコメント「とにかくシード権獲得を狙う」は現実を見ている地道な姿として感じられた。どのチームも努力をしてきての箱根と思えば敵も味方も贔屓もない。全ての選手に入れ込んでしまう。うちの息子が眼鏡なので眼鏡の選手は誰にでもさらに入れ込んでしまうし、熊本出身者はみんな親戚のような気分。結果、駒澤が10区で抜いて優勝。青学は4位だけでも驚くのにタイムで復路優勝。ものすごく濃い回だった。入れ込んで見すぎて気持ちが悪くなった。
 昼 ガーリックライスと野菜スープ
 箱根に入れ込みつつ、お米を研いだり鶏のスープを取ったりして作った。スープは白菜、椎茸にんじん、茹で鶏を切ったときに出た壊れ部分。子らの体に野菜を入れてやることが出来た。
 午後脱力しつつ、晩ごはんの下準備や家のことをしつつ少しずつ書き物。しかしそれは今書くべき〆切がやばい方の原稿ではないので、ゾワゾワして落ち着かない。
 夕方洗濯を入れつつ、散歩に行きそこねたことに気づく。正月の散歩はまた来年。今日は良い天気だったのに。
 見ていたテレビでゲッターズ飯田さんの占いがやっていた。特殊な星座占い。なにか、ゲッターズさんが見つけた独自のアルゴリズムで成り立っていそう。私は今年とてもいいらしい。興味深かったのはチャンスはどう過ごすべきかということ。チャンスが来たときは控えめではいけない、と言う。運が乗っている時は結構イケイケで最大その良い調子に乗っかっていくべき、で抑えめにしちゃうとそれが最大ということになってしまう旨のことを言っていた。
 ここのところ考えていたこと。コロナでわかったのは私にも他者は必要だということ。私は人見知りなのだけど、人と言葉を交わしたり成分の交換がなされないと何も起こらない。何も起こらないということは停滞するということだ。
 晩 筑前煮 お雑煮 ご馳走の残り ごはん
 筑前煮、正月なので真面目にたけのこも蓮根も入れた。昼に取った鶏スープを使う。美味しく出来た。筑前煮はすごい。材料が多すぎて一気に冷蔵庫が空いた。ご馳走の残りのタッパーも全部片付いたのでさらに。お雑煮の後はお椀洗いが面倒。熱めのぬるま湯で、ガーゼのような柔らかいもので洗い、すぐ拭き上げる。安物でも気を使う。これだけやるのも何なので、一気に洗い物まで済ませた。
 夜になるとヘトヘトだ。眠くてへろへろで頭痛までする。すぐ寝ればいいのにこうして書いている。11時半就寝。

1月4日(月)晴れ
 7時50分に起きる。今日もオットが休みなので7時半に起きて書き物を、と思いつつ少し寝坊。テレビは全て普通に戻っている。年末早々に情報番組をやめつつ、年明けは早い。正月っぽさも昨日までだった。
 朝と昼を兼ねてマクドナルド。みんな一つずつセットを食べられるようになった。私はエビフィレオのセット。オットが「タレが多いと具がすべる」という持論を展開。たしかにそう。今日のエビフィレオは崩れないけれどソースが足りなかった。滑ってもいいから口がちょっと酸っぱくなるぐらいソースは欲しい。
 菅首相が会見しているのを見る。緊急事態宣言を近く発表するとのこと。出してどうなんだろう。それよりもgotoをしなければこんなことにならなかった気がする。まあ今更取り返しはつかないからこうなっているんだろうけど。
 私としての活力を取り戻すために、落ち着いたら街に行こうと思っているのに変異株も出てまずい局面に。街は私の活力源だ。街でしか私はチャージできない。ただ街を歩くことが大切なのだとこんな時世になって、自由に行けなくなってから気づいている。いかに私に必要なものを新しい様式で取り戻すか。
 1時過ぎに子らの髪を切るために近くのショッピングモールへ出発。ヘアカットのお店は閉まっていた。まだ正月休み。別の店に行こうとするオットに息子1が「今日は帰ろう。俺家でやりたいこともあるし」と言って、揉める。私から見ると、息子1はみんなで出てきて閉まっていたことの傷を軽くしようと思って言っている(ただし失敗している)し、オットはどうしても新学期、さっぱりした頭で行かせたくてそうしようとしていたのでそれにケチを付けられたようで気分を害している、というのは手にとるようにわかるので、とりあえず通訳に入ってみたけど、どちらも説明が足りん事に気づいて欲しい。結局頭は別の店で余り待たずに切れた。
 帰宅後はカットの後なのでお風呂。息子は4時半過ぎに塾へ。今日から冬期講習の続き。オットは傷が入った眼鏡の作り直しへ。私と息子2はそれぞれネット。同じ部屋で2時間ぐらい喋らなかった。
 晩 豚ピーマン炒め みそ汁(大根にんじん豆腐わかめ)ほうれん草の青菜炒め、筑前煮 かまぼこ ごはん
 なんとなく正月の気配が残る献立。豚ピーマン炒めはピーマンがカラーピーマン。色付きでもピーマンはピーマンであろうと炒め合わせたらやはり甘い。ピーマンではない。味付け、最後に鍋肌に垂らす醤油を九州のものではない醤油のほうが決まることに気づく。九州の醤油では向いていないのかも。11時半就寝。

1月5日(火)
 6時半にアラーム。先に息子1が部屋の片付けをしていたはずなのに、途中から本店の奥様にいびられた話を生き生きとする中華料理店の美人マダムが出てきた。今はもうこんな感じです、と言って自信満々で有田焼で出来た着物型モビルスーツを着ている姿に「そんなもん着てる人になにか言える人いませんよ」としか言えなかった夢を見た。モビルスーツは有田らしさの出た薄手で軽そうな、ご飯茶碗ならほしい感じの上品な柿右衛門柄。これが私の初夢。
 朝 ベーコンチーズレタスのホットサンド。りんご コーヒー
 南アの新型コロナの変異種にワクチンは効かない可能性があると、イギリスのワクチンの開発者が言っているとのこと。今朝のニュース。先日は羽田元首相の息子さんがコロナ由来の突然死。いよいよ私も人生突然終了の可能性が出てきたぞ。自分に関しては別にそれでもいいけれど、私の周囲の人はたまったもんじゃないはず。また私の世界が狭まってくる。
 息子1は今日から塾。3年生は2日から行っているという。コロナだろうが受験はあるから、学生は学生のしんどさがある。息子2は冬休みの宿題を盛大にdisりながらやり、わからないと言ってふてくされる。その度にやけくそになって塗りつぶしたノートを消しゴムで消してやり、やり方を教える。なかなか面白い小学生だと思うけれど、私は隣で十日後の締切に向かって評論を書いているところなので閉口する。

1月6日(水)
 息子2、宿題が間に合わないと言いつつ、始業式の日を勘違いしていたらしい。休みがさらにもう1日あるとわかって手を抜く。さすがの小学生ぶり。息子1は今日も塾。
 東京の感染者、新たに1591人とのこと。毎日どんどん増える。春先なんて比べ物にならないぐらいの数なのに、行動は制限されていないし、イベントはなされている。図書館だって開いている。感染者はもっともっと増えることだと思う。いよいよ家の中では萎縮せずに過ごすようにしたいと思う。
 自分が心地よく生きるためになにかをやろうと思い立つタイミングでコロナに足を引っ張られる心地がしている。色々迷い、惑う。こういう時は16歳の私と今の私に話し合いをさせることにしている。傍若無人で生命力に満ちていたあの頃の私ならどうするだろうと考え、その何倍も生きた私が常識的判断を加味する。今思い出すのは昭和天皇の崩御の前後。世の中は自粛で暗かった。鬱屈したあの時代の私は家の中で自分で買ったエレキギターを弾きまくっていた。大喪の礼で学校は休みで、部屋を締め切って弾きまくっていたら6弦が切れて楽器店に寒風の中自転車を漕いで買いに行った。喪に服している街でただ1軒楽器屋だけが開いていて弦を買って帰り、張り直してまた弾きまくっていた。なかなかの酷さだが、こういう勢いや向かっていく姿に答えがある気はする。

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