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2022/06/14 日記の効能、出来ること

 雨だ。梅雨らしい天気。傘が無力化されるほど降らなければ無問題、雨は容認出来る、と思ってしまうのは私が熊本在住だからだろうか。一昨年はひどい水害で、テレビで全国に私の子供時代の遊び場の様子が流れたもの。

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弁当。今日は1個。体調不良でそう力を入れて作らなかったものの、ついにドーム型弁当箱の蓋におかずが届いてしまった。ついに来てしまったこの日。ということで記念にツイート。


 ちなみにこんなかたちの弁当箱で、結構な盛り上がり。

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 子が早く帰ってくるため、全く落ち着かない気分のままお仕事や書き物や色々と取り組み、買い出しへ。数日分の買い出し、とくにおかずの傾向を決める肉魚系なので必死。プラスここはディスカウント系なので色々と底値。本気の本気で挑んで、今日もレシートが凄まじい長さになってため息。

 久しぶりに目についたニュースの観察と感想。

 やっぱりなあ、そうなるよな、と思う。同姓しか認められないとか全く時代にそぐわないと思うのだけど、誰が・どうして・別姓は駄目だと言っているのだろう。夫婦同姓にしておく方が得する人がいるのかね?
 別姓と同姓、好きに選べる世の中になって欲しいと思う。けれど私自身の姓に関してはどうでもいい。私は生まれて以来、私の意思など関係なく6度も姓が変わった。そのせいで姓へのこだわりが希薄になってしまったと思っている。どうしても別姓でという人の、その信念を持つに至る過程がうらやましい。そこまでして守りたいと思えるからには、大切にしたいと思える積み重ねがあるはずだから。それがあることがうらやましい。


 日記ウォッチャーとしては素通りできないニュース。記事を読んで(いや、読まなくても思うのだけど)、日記というものの性質がこれほど顕なものもない、と思う。日記は物語の祖であったり、後世への申し送りではあるけれど、もう一つ大切なのが書くことでもたらされる効能。癒やしだ。文字にすると生まれる様々なもの、例えば高揚とか、そういうものが人を癒やす。この子も無意識のうちで書くことで癒やされているのだろうか。
 この8歳の子の受けたものの重さを考えると気が重い。生き残って欲しい、と祈らずにいられない。書き主が日記に書かれている苦難で亡くなっているのは本当につらい。

 戦時の日記はいろいろある。有名どころは『アンネの日記』や当時医大生だった山田風太郎の『戦中派不戦日記』。他にもレニングラート包囲戦の当時、包囲の中にいた少女の書いた『ターニャの日記』や、これ。

 記事なのでどれほど読めるかと思いつつ貼っておく。当時の九州に住む中学生の日記。簡素な文だけれど九州の風土の雰囲気や夏の季節感が匂い立つ。これ出版してくれないかしら。ちなみにヤフオクとかに一般人の古い日記はよく出てて、たまに戦時中のもある。


 当事者の私としては外せないニュース。円形は大変。ストレスがー、と言われるけれど、抜けることがストレスだし。今も漢方1種類と、もしかして効くんじゃ? 程度らしい飲み薬と塗り薬をやってるけど、まあ改善しないことったらない。1時は8個もあった。もう1年になる。病院の先生とも話しているけれど、大きい病院に行ったところで特効薬など無いとのことだから、もしこれが効くならすごいこと。以上、ニュースの観察、終了。

 夕方集中してオタマトーン。思いつく曲いろいろやってみて、今日印象が良かったのは『追憶のテーマ/The way we were』。これはいい。オタマトーンの音色が生きる。動画貼りたかったけれど、元の楽譜通りのものがない。オリジナルですら揺らして歌っている。吹奏楽のものが一番取りやすいけど、亜種中の亜種なので気が引ける。

 晩飯、ハマチの刺身と牛肉と細切りじゃがいもとにんじんの炒めもの、もやしの和え物。久しぶりにお刺しむ。うちでは刺し身を食べることはお刺しむと言うのだ。

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