書きたいだけ書く日記【2021/12/27~12/31】
2021/12/27(月) 伝わるものとは
塾休みの日。現在ゲーム・スマホ断ちしている息子1のストレス解消はピアノ。帰宅するなり弾きまくる。
MEGALOVANIA(ゲーム「アンダーテール」の曲。トビー・フォックス)
BIG SHOT(ゲーム「デルタルーン」曲。トビー・フォックス)
廻廻奇譚(Eve)
熊本県立劇場コンサートホール開演前チャイム(福田隆)
アンダーテールの曲はどれも良い。素晴らしく良い。語彙力が乏しくなるほど良い。というかトビー・フォックスは素晴らしい。
県劇の開演お知らせのチャイム。チャイムというものの雰囲気ある8小節からなる曲。息子1、弾いてからうん、懐かしいね、と言う。私が子らの妊娠中7ヶ月まで楽器を吹いていて出生前から県劇に通っているせいか? 7ヶ月までなのは腹でつっかえて楽器が構えられなくなったから。息が短くなったりという問題はあったけどそこまではいけた。産後は3ヶ月から復帰して練習ではベビーカーに乗せて横に置き、おんぶして吹いたり、足の間に挟んで吹いたり。無意識に子らを県劇漬けにしてしまった結果がこのコンサートホール開演チャイムなのか。ちなみにこれを息子1はあちこちで弾いて熊本の音楽関係者を絶句させている模様。
子のこの感じ、不思議。子らに絶対音感があったりリズム感が(良すぎて)変なのはどこから来たのだろう。遺伝はどこまで働くのだろう。最近の研究では記憶も遺伝するっぽい話があるけれど、わかる気がする。ありえないけれど私が10代で生んだ子だったらまた違ったのでは、と思う。
歴史が関わる調べ物が好きなのでついつい、色々調べてしまうけれど、音楽家の子は大成しやすい。でも何代もは続かない。子は継がれるけど孫以降は薄くなる印象。これもなんらかの遺伝が関わるのではないのかと思っている。
2021/12/28(火)B面
はあ、なかなか読み物耽溺が治まらない。今私に必要なものなのだろうと思いつつも、やることやりたいことをぶっ飛ばして耽溺する自分に引き気味。祖母の言っていた「読書はたちの悪い娯楽」という名言(迷言)が身に沁み入る。
とは言いつつ買物と、身辺整理。身辺整理というと身構える響きがするが、要は不用品を捨てるだけ。この2年ほどほんとぎりぎりだったな、と思うのは、廃棄や整理が全く出来なかった結果の現状がすさまじいから。散らかってるわけではないけれど、飽和状態に近い。週に2回の燃やすゴミの日に合わせて、市の指定袋(大)が満杯になるまで不用品を出すマイルールに乗っての身辺整理。
その後読めていない新聞の整理。子が受験生なので問題集欲しさに一年契約したけど、新聞読まない。熊日大好きなのに読むのはネット版ばかり。読まずに出すなんて、活字中毒患者としては身を切って捨てる心地がするので意地になってザーッと読む。
晩飯づくりの鼻歌リスト。
キャンセル(中森明菜)
時間旅行(松田聖子)
硝子のプリズム(松田聖子)
まっ赤な女の子(小泉今日子)
渚のハイカラ人魚(小泉今日子)
Next Generation(キュートビートクラブバンド。チェッカーズの別名義)
スキャンダル魔都(チェッカーズ)
今日のは80年代風味でありつつ、B面とか別名義、アルバムを攻めた。曲数が多いのは3曲ほど2番以降の歌詞があやふやだったため。頭の中には吹奏楽曲の『ブリュッセルレクイエム』(ベルト・アッペルモント作曲)も同時再生しており、なにやら私、調子がいいのかも知れない。調子いい時は3曲ぐらい同時再生している。
アッペルモントが懐かしくなり、久しぶりに『アイヴァンホー』を聴いた。
ブリュッセルレクイエムも。
私がピアノの習い初めの頃に使っていたフランスの教則本にあった曲がテーマとして出現して、私としてはかなり胸アツ。そういう曲がテーマにあるからこそ、この曲に作曲者が込めた思いが重くこちら側に迫ってくるのだけど。ネタバレしないように書くと意味わからんね。
2021/12/29(水)yellow
朝起きたらテレビがもう、違っていた。年末年始のお休み期間だから、制作側もお休みなのだろう。ドラマ『99.9%』が延々と夕方まで断続的に再放送が続く。私が起きた6時半にすでに一話分ほど終わっていた。
息子1の塾弁当、塩唐揚げ、ソーセージとピーマン炒め、チーズ入り卵焼き、キャベツの浅漬、プチトマト、ごはん、梅干。今使っている梅干は数年前に私が漬けた会心の出来の小梅。来年から学校が弁当になるので、次の季節は数年ぶりに梅干を漬けるべきか。
ついに読み物耽溺がストップ。やったね私。観察観測行為の一環でとある海外の動画サイトを見ていたら、なんとなく心が離れた。
そのサイトで疑問。というのもそこはアカウントの人のパーソナルデータが色々公開されているのだけど、肌の色の項目があってまずそこでえっ、となった。さらにもっと疑問なのが日本人が肌の色をWhiteと入れていること。日本人はいつ白人になったのか。というか肌の色を書かせるのは差別でしょう。90年代、とある外国で書類に肌の色を書く機会が何回かあって私はyellowと言われるのだとそこで知った。有色人種とされること、それは海外で差別されるものと常に頭にはあるからものすごく気になる。なんだろ、これ。黒か白で書く決まりなんだろうか。そしてこういう時どう書くのが正しいのか。yellowと書けば差別を受け入れたことになるし、whiteも違うし。私ならその項目は無視する。その項目は触れたくない、触れさせたくない気持ち。「性別は柑橘類」と歌に詠んだ歌人の小佐野弾さんはうまい。
どこからもこぼれ落ちる属性が私には多い。今も常にマイノリティーで根無し草。属性がなんだろうとここに居るのは私であると思ってるし、などと書くと揺らぎない立派な人のようだけれど、実のところそういう話に醒め切っている。不条理も重なると戦って勝ち取ろうって気を失うというか。知るかよ俺は俺だ、と俺的になる。
そう言いつつ、私は歌人とか、子の母とか、編曲家とか、既婚女性とか、無害なおばさんとか、都合のいい属性を浮き輪にしてとりあえず放り込まれた海に浮いている。
2021/12/30(木)巨大でうつろな穴
だいぶ、お寺の娘だった記憶が薄くなってきている。あんた何歳だよ、と言われたらそうなのだけど、幼い頃からの刷り込みは強い。大掃除、餅つき、飾り付けと来て、うちの宗派は大晦日に年をまたぐ行事が用意されているのでもう全く戦場のようだった。年明けも初詣として参詣があるし。祖父が亡くなって寺の手伝いと距離をおいてから、やっと一般的なお正月を知って年末年始らしいことをしたりして、一周回ってお正月に構えて望まなくなったのが今年。
と言ってもうちも一般的な正月ではない。オットは職種的にこの時期は働き詰めなので7時から家を出る。子は今日も朝から夜まで塾。私はいつも通り6時半に起きて子の弁当を作り、出かける人を見送る。
熊本、とりあえずまだ感染の落ち着いた状態が続いている。こうなると現金なものでこの2ヶ月ほどすっかり話題にもならないし、日記にも書いてないし、あれに心の場所を割いていないというか。でも感染を防ぐ行動は完全に当たり前になっている。一生、丁寧に手を洗ってアルコール消毒し続けるのだろうな。
100年ちょっと前のひどい感染禍の時はどうなんだろな、ということで思い出したのが、金栗四三。マラソン王金栗四三は20代後半でスペイン風邪を体験している。金栗の伝記『走れ二十五万キロ』中、金栗の娘さんたちが寄せている普段の父の様子という手記の中に気になるものがあった。老境に差し掛かった金栗が、結婚し家庭をもった娘の家に遊びに来て、まず玄関を開ける前に上着をはらって脱いでから入り、すぐに丁寧に手洗いうがいをして室内に入ってくるのが習慣だった、というもの。なかなか無い習慣なのでもしかして、スペイン風邪以来のものなのか、と思っている。
午後ダイレックスに買物へ。これで正月の買物も賄おう作戦。昼過ぎに行って失敗した。というのも人が多くて身動きがとれない。家族で来て棚の前でしばらく立ち止まられると通行止めだし、駐車場は大変。朝開店直後が一番いいとわかっていながらやっちまった。
午後、日記をnoteに上げる。
それからやっと年賀状に取り組む。はがきデザインのサイトからデザインを決めて取り込んで字入れて印刷して、宛名を印刷。しかも個人用・短歌関係者用・家族用と3パターン作って1時間程度なのに。なぜここまで引っ張ったんだろう。
夕方、掃除してしめ縄や鏡餅を飾る。去年は祖母の喪中でやらなかったので久しぶり。受験生の机用に少し大きいのを買ってやったものの、奴の部屋は魔窟なのでどうなったのだろう。惨状を見たくなくて入れない。
レコード大賞、私は歌番組だと思ってないので毎年スルーしてきたけれど、安住アナが出ているのでなんとなく見た。懐かし映像でBARBEE BOYSが出ていてあーっとなる。
コピーバンドでやったなー。飯を作りながら歌う。オールBARBEE BOYS。
負けるもんか
ラサーラ
目を閉じておいでよ
チャンス到来
なつかしいなつかしい。ギター練習したなあ。今聞いてもKONTAさんキー高い。
身の回りのバンド、男子はBOØWYのコピーばかり、女子はプリプリコピーばかり。バービーや米米のコピーをやってると男女混合でズルいズルいとどちら側からも言われていた。
今年の後半は結局歌ばかり歌っていた。私の中の長く放っといて育った巨大で虚ろな穴に向かって聞かせている気がする。
2021/12/31(金)去年今年
今年は結局自分を立て直すのに精一杯だった。お仕事の依頼、少なくて助かった。振り返ってみればそれどころではなかったから。でも結社的な団体に入ったのは最良の選択と思っている。まああちこち病院もかかった。その結果、体調もメンタルも良くなってきた、ハゲはまだ3ヶ所残っているけれど。
元に戻ったというより生まれ変わった。私はユナイテッド私で、いろんな自分があって生きているのだけど、行動の指針である16歳の私は健在で大人になって以降の私が死に絶えた感じ。でも今の歳なりの目はあるのですごく視界がクリアになった印象。大変だったけれど良い一年だったと思う。
来年は欲しかったものをもう一度取りに行く一年にしたい。野望ではなく自分との約束を果たすような。
搗いてから一度も固くなっていない柔らかい餅が食べたくて、近所のスーパーに実演販売している店に行ったら、撤収開始していて買えず。10時販売開始となっていたから行ったのに。まだ昼過ぎなのに。この餅屋とはタイミングが合わなくてここに引っ越して以来一度も買えてない。
4時過ぎにおせちが届く。もう作るのはやめたのだ。オットと結婚した頃は重箱3段にびっちり作っていたし、最近も伊達巻とかきんとんとか定番のもの5、6品ぐらいは作っていたけれど、徒労感が強くて。運動会の弁当の方がまし。おせちは冷蔵庫で24時間解凍で食べられるらしい。楽しみだ。
大晦日の番組ウォッチング。
紅白はつまらんなー。レコ大と同じく、歌い手が出てきて歌う番組としては万年最下位。もはや歌番組じゃない。なんであんなにつまらなくなるんだろう。歌番組に合わんものを盛り付けすぎてるというか。
鬼ヶ島で鬼タイジ、なる番組は面白いと面白くないのライン上。なんだろね、設定と視点が甘くて醒める。どんぐりさんがいい仕事をしていたのだけがほっこり。もはや押しも押されぬバイプレーヤーで親戚気分で嬉しくなる。
RIZIN、妙に面白かった。視聴者は家でぬくぬくしつつ見ているというのに、あっちは薄着で本気のど付き合いしてるの、笑える。ギャップがいい。女性の選手のパンチとかキックの重さ。いやはや良い筋肉。ものすごい体脂肪率だと思った。
日テレのダウンタウン退場感、たまらなかった。『笑ってはいけない~』を追い出して、あの大きな枠であんまりおもしろくないの、来るものがある。あんまり面白くなくてもこっちをやるんだという意志は感じるものの微妙という、ね。
その他、今年も縮小しつつやっている酒場放浪記や、こちらでは地上波にも孤独のグルメの過去放送分の再放送をぶち込んでいる姿とか、まあ見た。目撃した。
私は笑ってはいけない派なので、今年は番組が無くなって見るものがないから色々見られた。言及していないところは私の興味は向かなかったということ。Eテレのクラシック名演奏をやってる番組で、ピアニストのかてぃんさんこと角野隼人さんを見逃してがっくり。
今年もこれに参加しました。短歌で年越し企画。
私のはこちら。
もっとこう、明るい歌を出したいものだけど、私の歌にそんな歌など無い。私の歌は私のドブの泥。もっと歌がうまくなりたいものですな。
2022/01/01(土)激しくたかぶる一年の計
正月。元旦。毎年のことだけど、町は静まり返っている。転勤で来ている人も多い地区なので帰省とかで人が少なくなるせい。年末に大騒ぎして車に乗り込んで実家などに向かう一家をよく見る。うちは地元がここなのでのんびりしたもの。
とても寒かった。オットは年末年始普通に働き、今日は超早い出なので私も起きる。古典的特殊なお仕事で、誰も特に感謝はしてくれない。私ぐらいは起きて見送るぐらいのことはしていいと思うので、そうしてきた。
毎年、この日の出勤は大騒ぎ。というのも雪が降ったり自転車の変速機が凍ったり、面白い。今年は-2.1℃の中出勤というオプション付き。
1時半に寝て、5時半に起きるという寝不足の中、テレビで初日の出を見た。離れて暮らす息子2に日付が変わった瞬間にもLINEしたけれど、あらためてあけおめを送る。
昼前起きてきた息子1のためにマルゲリータピザを作り、一緒に食べる。
飯作りの鼻歌リスト。今年初。
ff (フォルティシモ)(HOUND DOG)
AMBITIOUS(HOUND DOG)
嵐の金曜日(HOUND DOG)
一年の計は元旦にありではないのか。鼻歌の一年の計がHOUND DOG。しかもHOUND DOG。歌詞のごとく激しくたかぶった。なんでと思いつつも、勝手に口から出てきたので仕方ない。ちなみに息子1はHOUND DOGを全く知らなかった。いすゞのトラックのCMのおじさんになっている大友康平さんは知っていた。
思ったより大友さん、いすゞの人だった感。
その後、ネット小説を読む。これも一年の計は元旦にありではないのか。私は今年一年、読み物に耽溺してしまうのかと思いつつ、読む。
夕方『サンタク』を見た。さんまとキムタク。今年で20回目とのこと。まだ元気だった祖父とこの番組を数年見たことを思い出す。
晩飯で正月らしく、おせちや雑煮など食べる。
今年は受験生が居るので受験仕様のおせち。そんなものがあるとは、と思いつつ渡りに船。届いて驚いたのは想定よりかなり受験仕様だったこと。高野豆腐の煮物には「合格」の焼印、ビクトリーなる鶏のテリーヌ。そして太宰府でご祈念したという鉛筆とどら焼き付き。監修はビリギャルの先生だった。
面白いものがあるものだね。
短歌も俳句も詩も作らず読まなかった。少し編曲はした。日記をまとめた。これが私の元日。
2022/01/02(日)雑煮考
正月二日なれど、受験生は塾。正月特訓なる特別授業へ。
受験、正直私が出来るのは生活を整えるだけ。ということで弁当を作ってやる。具の多いオムレツとかうまかろうと頑張ったらまあ具が多すぎた。
こちらはお昼に寿司を食べつつお雑煮。他にエビマヨや焼き鳥も。
お雑煮は無形文化財、と書いてあるものをネット上に見たけれど、ほんとそうね。
根無し草の私は、祖母の作るものしか作れない。
鶏もも肉、大根ごぼう人参三つ葉の具に澄んだ汁。焼いた角餅。
祖父の出身地、岩手のものも祖母は作っていたような。その他、実家があった熊本南部のものや、オットの実家のトラディショナル熊本のお雑煮などは知ってても作れない。
しかし佐渡出身の祖母なのに佐渡ではこういう感じのは食べないのよね。さらに上の代の曾祖母のものなのかとざっと調べたところ、たしかに曾祖母の出身地のものは似ている。
生まれたところから遠くに嫁ぎ、娘にそれが伝わって、何故か一世代おいて九州に住む私に伝わったお雑煮。雑煮は必ずしも土地と結びつかない。人が伝えるものかも。文化財が素晴らしいのは消えて当然の過去のものが残っていることと私は考えている。その点から見て、たしかにお雑煮は文化財よね、と思う正月二日。
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