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短歌「読んで」みた 2021/06/11 No.4

 人魚になるはずが魚人になっちゃって海でも陸でもすぐに疲れる
 谷 じゃこ『ヒット・エンド・パレード』(2016年)

由々しき問題である。思っていたのと違う。体も心もついていけなくてすぐに疲れてしまうのか。その前に人から人魚になるはずだったのか、魚から人魚へなるはずだったのか。人魚にしろ魚人にしろ水には強いはずだ、どちらにしても。それが海でもすぐ疲れてしまうのだ。どうももう一度変身はやり直せない気配。その上どこにも逃げ場がない。逃げた先で疲れる。

軽いタッチで空想の話をしている歌、と読むのも一興である。しかしこの歌を読んで抱くものは空想に対するそれではなく、生身で生きている人の身の私たちにとって身近なものではないか。思っていたのと違う状態なんて、そこここにある。行くも戻るも出来ず、慣れていたはずの元の環境ですら疲れる。
しかし、ただ疲れると言っているだけでそれ以上の感情の発露はない。そして「なってしまった」ではなく「なっちゃった」であるから、一首そのものも、読後感も軽い。そのことがよりこの一首を共感とともに読める、親しみあるものにしていると感じた。

*  * 

人魚か魚人か、それは大変な問題であるというのは、高校の同級生、Cちゃんからもたらされたものだ。彼女は人魚には2パターンあると言う。絵の上手いCちゃんはすぐさま絵にして、視覚から私に提示してくれた。一つは私たちのよく知る人魚姫的なあれ。もう一つはリアルな魚に人の足がついている、色んなパターン。顔だけ魚や上半身だけのもの、魚に足が生えたもの、その足もむくつけき男の足や華奢な女性の足など多種。しばし眺めた後、顔が魚だと可愛くはならず、なんとも言えず面白くなってしまう、ということに気づいた。人魚イメージの大変革。それ以来人魚と聞けば、魚頭バージョンも想像してきた。
この短歌を知って数年経つ。知ってからずっと魚人と半魚人の違いについて考え、ときに人面魚についても考えている。


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