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書きたいだけ書くnote日記 2022/03/06

予告不働日、侵攻と芸術のこと、など。

2022/03/06 予告不働日につき

 久しぶりに太陽が出てから起きた。8時起床。いつも起きる時間あたりから何度か目が覚めたものの、まだ寝られる!と喜んで二度寝以降を楽しむ。今日は全員が朝から出かける予定がないため、予告不働日。朝ごはん、作らない日。9時過ぎに息子1が起きてきて、スマホを持ってベッドに逆戻り。私は書き物と調べ物。

  予告不働日に私が作るのは晩飯のみ。ということで、朝兼昼飯は海鮮丼に。オットが買いに行く。その後洗濯を仕込んで出掛ける。私は自分が車で移動するとなると速さこそが正義になる。観光とかではなく、日常の移動だと普通の運転でありつつ最速で、つっかえずに行くことしか考えていない。カーナビなど信じない。ナビはその道の真の姿を知らないから、その時にそぐわない道も案内してくる。カーナビは変なルートを開拓する時と慣れないところでしか使わない。オットが運転するとどんなところにもナビを入れるので驚いてしまう。そんなことしたら道や地図に対する野生のカンというかそういうものを失ってしまいそう、と思ってしまう。そんなカン持ってても何の役に立つやら、だとも思いつつ。

 侵攻のこと、芸術方面でもいろいろ。プーチン政権に異を唱えるために辞職する芸術監督たち。それとは逆に、指揮者のゲルギエフがミラノのスカラ座の公演を、侵攻を非難しなかったことで降板。フィギュアスケートのプルシェンコはなんだかものすごくプーチン寄りの発言をして炎上。

 難しいよな、と私は思う。芸術は後押ししてくれる人がいて成立するものでもあるから。ゲルギエフが体勢にとても親密なのはそういう側面が強いし、プルシェンコも今まで体制に助けられたことがあるのだと思う。非難し辞任するのはとても正しいこととは思うけれど、芸術家は活動してこそ。そして活動は生きてこそ出来る。芸術家が忠誠を誓う先は正義では無いところにあっても仕方ない、と私は思ってしまう。

 こうなると、ショスタコーヴィチを思い出す。ショスタコーヴィチは生きるために、創作を続けるために体制を利用したと思う。ショスタコーヴィチ本人は全くもって、体制に批判的だった。批判する曲やスターリンの意に染まない曲をわざと書いては立場がやばくなり、媚びる曲を書いて立場を保つ。本当に嫌なことだったとは思うけれど、作曲家に出来る仕事は作曲で、それは生きているからこそ出来ることと思っていたのではないか。

 1日にキエフのバビ・ヤール・ホロコースト追悼施設が爆撃を受けたことで、ネット上ではショスタコーヴィチの『交響曲13番』のことが話題になっていた。13番の通称は「バビ・ヤール」。この曲はざっくりいうと、1941年に起こったナチスドイツのユダヤ人虐殺についてと、やはりユダヤ人弾圧をしていたソ連の体制批判の曲なので、私もすぐ想起した。そして今ショスタコーヴィチがいたらどう思っているだろうか、と思った。ソ連崩壊の時もそう思った。

 日本国内でもプロの楽団でチャイコフスキーの『1812年』の演奏を取りやめた、と言う話を聞く。確かに途中のモチーフとしてその戦いで負けたフランスの国歌が入っていたり曲中で大砲ぶっ放すわで、かの国が遠征してきたナポレオン軍に勝ったという曲なので、今このタイミングでまぁありえないものの、こういう自粛はやがて萎縮につながるよなあ、とも思う。こないだの週末に私の参加している(感染禍になってからずっと私はお休みしている)熊本市内の吹奏楽団がその曲を演奏したことはひっそりと、よくやった、と思ってしまった。政治的なことで演奏曲を考えなければいけない時代に生き合わせてしまった。

 晩飯、サバの塩焼、豚と大根の煮物、キャベツと人参、油揚げ、豆腐の味噌汁。味噌汁、見かけて買ってきた四国のとある味噌を使ったら騒然。思った味ではなくて、呆然。「思ったのと違うはあっても間違いは一つもない」という教訓? ことわざ? が頭をよぎった。

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