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『蝿』ー木食応其ー(『戦国の教科書』5限目 より)

タイトルだけみれば、ビギナー向けなのかな、と思える1冊

ところが、読んで見事に騙されたことを知る(笑)

玄人をも唸らせる短編が収録された、ガッツリ・クオリティなアンソロジー本、それが『戦国の教科書』

そのテーマについて書かれた短編集に始まり、テーマ解説があり、テーマを学べる他の本紹介(ブックレビュー)という構成。

日本史(歴史小説)初心者が入るにはやや難しいかもしれないが、飛び込んだら、その不思議な?魅力に引き込まれてしまうこと請け合い。

本書にて、その魅力を存分に感じ取れるはずだ。


ブログでは、本全体と各短編についての感想記事を更新した。

ただ、短編ごとについては、その感想をもう少し書きたいなあ、という思いから始まったシリーズ記事。

この記事は5限目の短編について。

テーマは宗教・文化という、なかなか取り扱われることのないところへ。

収録作品は『蝿』(澤田瞳子)だ。

世界史ほどではないが、日本史にも宗教との分岐点があった。

100年続いた、加賀一向一揆
信長最大の敵として抵抗を続けた石山本願寺。
そして、キリスト教。

人の心の支えとなり、行動の原点となる可能性を秘めた“信教”が、武士をのみ込む日を、もしかしたら時の権力者たちは想像したかもしれない。

日本にも大きな宗教国家が生まれる可能性は、確かにあったと思う。
しかし、その時は訪れなかった。
そして天下が定まるにつれ、その立ち位置は変化していく。

豊臣秀吉によって進められた大仏造り。
そこに求められたのは、天下(権力)のための仏教だった。
権力によって保証され、認可なくしては成り立たなくなった仏の道は、領主の代弁者、建造物の監督へと、その姿を変えて民衆を動かしていく。

権力に介入されず、その教えで人々に寄り添う仏の道と、
権力に守られる代わりに“道具”となっていく姿。

かり出された人々が大仏造りの中で感じた違和感は、地震という天災をきっかけに顕在化していく。
大仏倒壊とその後の始末で、仏像造りの監督だった仏僧・応其の立場は大きく揺らぐのだが、その背景には、二つの価値観で板挟みになっている“犠牲者”としての苦悩があった。

「蝿に似ている」と揶揄されたその姿に隠れた真実とは。

これは、変転の狭間で二つの顔を持たざるを得なかった仏僧の物語。

宗教とは
仏とは
そして救いとは何なのか。

価値観が変わっていく今だからこそ気付いておきたい。あり方の物語。
救世の根本を問う一作だ。

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