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ヒバリのこころがきこえる

もうクロールをすることはないと思うとこれからの人生には意味がないと思った。

その気持ちが極大化したのは午前5時で、近所のプールを併設するジムへの入会予約をしていた。
夜がそうさせていたことは間違いないが、一時の気の迷いではないことも確かだった。
朝になると、水着やゴーグルを買いに原付を走らせた。
ジムへの入会手続きのために新たにクレジットカードを作らされたりしたけど、そんなことでは止まるはずなかった。

泳ぐのは何年ぶりだ。
腕で水を掴む感覚や全身が水の中をすり抜けていく感覚は全て覚えていた。
泳ぎながら前方に目を向けると腕毛が逆立っているのが見える。
皮膚で区切られただけの“内”と“外”とがなくなって全てが溶け合っていく。
絡まっていた糸は解けることなくサラサラと溶けてなくなっていく。
長年スイミングをしていたわけではないし、別に泳ぐことにこだわりはない。
でも今の俺にとって泳ぐことは死から遠ざかるための最も生きた行為だと思った。
昨日までは存在しなかった未来で世界と俺の境目は半透膜になる。
俺の内側から外側に向けて働く浸透圧が俺と世界を均す。
25メートルの走馬灯を繰り返し見る。

高校3年生の冬、とにかく受験勉強がしたくなかった。

ラジオを聴くついでに勉強することでどうにか自分に折り合いをつけていた。
それ以外はほとんど小説を読んでいた。
学校の図書館に通いつめて、一週間で綾辻行人の〈館〉シリーズを読んだりしていた。
放課後、学校から塾までへと自転車で向かう道のり、とにかく塾には着くまいと遠回りしていたら、予備校の『努力は実る』という巨大で真っ青な看板に出くわし、ヤベエ!と急いで塾へと最短経路で向かったりもしていた。
どれだけ勉強したくないんだ、と思う。

放課後、彷徨える自転車は、もはや小説を誰にも邪魔されず読める場所を探していた。
素寒貧の高校生に一人でファミレスや喫茶店に行く余裕はなく、たどり着いたのは市民体育館の2階観客席だった。
バドミントンやミニバスケット、キッズチアの練習で貸し切られた1階を見渡しながら専らミステリー小説を読んだ。
家族の練習が終わるのを読書をしながら待っているように見える高校生は、そこに馴染んでいた。

ある日、シッティングバレーボールというパラスポーツの練習日だった。
座位で行うバレーボールで、そこではボールの代わりに大きな風船が使われていた。
その日は無性に読書に集中できなくてその知らないスポーツをただボーっと見ていた。
ゆっくり、ときに素早く動くピンクの風船に目を奪われた。
週末にはシッティングバレーボールの大会がここで行われるらしい。
日曜日、塾に行くフリをして家を出てまっすぐに市民体育館へと向かった。
4コートを展開して開催されている大会を2階の隅で観ていた。
誰のことも応援していなかった。
一日中ただ風船を目で追っていた。

大学4年の6月、就職活動のため飛行機で東京へと向かった。

その日は朝から、山里亮太と蒼井優の結婚が報道されていて、全く関係のない俺も心の底からうれしい気持ちでいっぱいだった。
その喜びを内に秘めながらターミナルを歩く俺は、みんなも俺と同じように喜びが溢れてしまわないようにいそいそとキャリーバックを引っ提げているんだと勝手に思い込んで、ますますうれしかった。
その日の夜に記者会見を開くと聞いて、就職活動なんか放っておいて居ても立っても居られなかった。
夜にモスバーガーで会見を観て、号泣。
その後、ネットカフェに泊まって25時からの『不毛な議論』を待った。
ポケモンダイレクトが23時から配信されて、『ポケットモンスター ソード/シールド』の新情報が発表されて、今度のポケモンはダイマックスかーと思った。
『不毛な議論』にはしずちゃんとaikoがゲスト出演していて、終始お祝いムード。
ラストCM明けて放送も残り5分のところで堰を切ったように「人を妬んで生きてきた俺が本当に幸せになっていいのか不安だった」と涙交じりの山里に、みんな泣いた。
俺も泣いた。
そのときの就職活動のことだけは全く覚えていない。

最終巻の一巻手前の巻だったりで、漫画の風呂敷が畳まれていくのを感じたとき、「いろんなことがあったけどみんな元に戻っていく ここにいれば大丈夫だと信じてた」と俺だけの草野マサムネが脳内で歌い出す。

ある人のnoteをなんとなく読んでいた。
心療内科で「自分は価値のない人間であり、死ぬべきだ」という気分になってしまうという旨を相談した後、予約していた時刻まで時間を潰して脱毛サロンへ行ったというだけの日記。
一生分を使っても余りある程のエンパワメントだと思った。
あなたは価値ある人間で、絶対に死ぬべきじゃない。

人生に伏線回収はなくて、散らばった生活のゴミを線で繋いで星座にしていくだけだと思う。
それが俺にとって白鳥に見えるのなら絶対に白鳥座だ。
俺は以上の文章を白鳥座だと言い張ることにする。

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