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あだ名に「男」が付いていた私が、女性性を冠する団体に属している件

この写真、スリランカを旅行したときのものですが、世界遺産のゴールでサッカーをしている子どもたち。なんともうらやましい。

私は小学校2年からサッカーをしていて、社会人になってからはそれほど頻繁にはできていないものの、いまでも細々と続けています。

Jリーグ発足直前。男子がどんどんサッカーを始めるなか、「女のくせに」サッカーをしていた小学校時代を振り返りながらの投稿です。

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中学高校時代の私のあだ名は「ばな男」でした。あだ名という気軽なものではなく、ほぼほぼ本名扱い。

「もしもし。ばな男さん、いますか」

まだ家電(イエデン)が普通にあった時代、この呼び出しで家族に通じていたほど。おそらく私の本名を知らない同級生も多いと思います。

由来は、本名の「ななえ」から、「なな」といったら「ばなな」(小学生らしい発想)、さらにサッカーやってるしショートカットだし男っぽいから「男」をつけようっていうことで、「ばな男」。

小学校時代に数人から呼ばれていたこのあだ名が中高時代に広まり、中高一貫校だったこともありしっかり定着したわけです。

ちなみに、ひとりだけ同じあだ名を持つ方に出会ったことがあります。彼の好物はバナナ・オレでした。

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そんな私がいま携わっているふたつのコミュニティの名称に、「母」と「ママ」が入っている妙。

ひとつ目が「母」。ライターの傍ら、寮母というか館長見習いというか、平たくいうと国際学生寮の事務局をやっています。正確には、「公益財団法人母と学生の会」のスタッフとして、学生寮や留学生交流事業の運営を行っています。

昭和17年に設立された「母と学生の会」は、「母」のようにあたたかくお世話してくれる会員が、親元を離れて勉学に勤しむ「学生」を支援する会です。昭和期には、破れた服を繕いながら学生から日々の相談を受けたりしていたころから、いまだに学生からの相談を「被服補修」という名のもとに行っていたりします。

ふたつ目が「ママ」。mamimu(マミム)という育児中のフリーランスチームに所属していますが、メンバーはいまのところ女性ばかりで、「ママ・未来・向かう」でmamimu。

ウェブデザイナーやグラフィックデザイナー、カメラマン、管理栄養士などなど(ライターは少数派)、育児中だからこそ柔軟な働き方をしたいという欲張りで面白がりなメンバーが集まってます。

「母と学生の会」と「mamimu」。

「母」と「ママ」。そこに入っている「ばな男」。

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このふたつの団体にすんなり溶け込んでいる自分が面白いなと、つくづく思うわけです。

おそらく10年くらい前の私だったら、「母」とか「ママ」とかっていう女性性を冠する団体名に居心地の悪さを感じただろうし、そういった特定の属性で集まること、しかもそれが性別によるものであればむしろ拒否していたと思う。

それだけずっと、「女なのにサッカーしてる」とか「女なのに男よりかっこいい(と言われる)」こと、「女っぽくないこと」に依存していた。逆にいうと、女性を武器にすることはできなかった。そのことが自慢でありコンプレックスだった。だから女性性を掲げたコミュニティに属することに抵抗があった。

それがいま平気になったのは、なぜなんでしょう。

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年を取ったからとか親になったからというと身も蓋もないですが、等身大になった感覚はあります。

自分は自分でしかないし、親であることからは逃げられない。子どもにとって母であることも変えようがない事実で、周りから見ればわたしは「〇〇くんのママ」。

「女なのに」「女にもかかわらず」というところで闘うのをやめたから、一見「女性性」を利用するような名前の団体でも別に抵抗がなくなったというところでしょうか。

うまくまとまりませんが、ここらへんで公開してみます。「何をあたり前のことをこねくり回してんだ、酔ってんだろう」って、はい。ビール2杯ほどは呑んでます。でもきっと私の中では核となるところで、異文化や途上国やマイノリティや福祉への関心が強いことにつながっているように思うので、未完成ながらも公開しておいて、じっくり熟成していければ。

おやすみなさい。

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