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昭和な会社のRPA奮闘記④ 19〜24ヶ月

コロナ禍売上減少によりRPAツールライセンス料がカットされるかもしれない。2019年1月スタートのRPAプロジェクトは断念の危機に直面するも同僚から「続けて欲しい」と声を掛けられ、Twitterで知ったコスト1/10のRPAへの乗換え準備を進める。

またIT相談で知り合った地元企業から「うちにきませんか?」と声をかけられ・・・

RPA等のITツール導入真っ盛りの方、また導入を支援する側の方のご参考になれば幸いです。

1、19ヶ月目 らしくない!の一言で

RPAライセンス予算がカットされると知り、阻止しようと役員、部長に働きかけを行っていましたが、結論がでない状態に。

売上減により、パートや契約社員雇止めの話も出始めていました。

RPAの予算だけはカットしないで!は我が儘なのかと悩みましたが、昭和なしきたりを守る予算は一切カットされておらず、「ITは軽んじられている」とショックを感じました。

「もう無理かも」と弱気になりフラフラしていたところ、同僚に喝を入れられて目が覚めました。

手洗い場から担当役員デスクに直行し、「格安ツールに最短で乗換えるからRPAを続けさせて欲しい」と直談判。

「RPA乗換え大作戦」がスタートすることになりました。

そしてこのツイートをしたらすぐに、驚くべき価格のRPAがあることを教えてもらったのです。

トライアル中は”RPAサポートチャット”も使っていいですよ、と。使い始めて驚きました。RPA制作スピードが倍以上になったのです。

わからないところをスクショしてチャットすると数分から数時間でスクショ付きで操作を教えてくれる。

しかも完成した、と報告すると褒めてくれる!最高でした。

RPA担当者が一人の場合はチャットサポート利用はオススメです。

RPAはツール選びや初期操作習得がなかなか難しく、また一からのスタートに気が遠くなりましたが、とにかく同僚が励ましてくれ、ありがたかったです。

また、無我夢中で調べているうちに面白いツールを発見します。念願だったワークフローがこのアプリを使えばできるかも。再チャレンジしたいという思いが沸き起こりました。

休業日は転職活動をしていました。通勤1時間半かければ、受かりそうな会社もありましたが小学生低学年の息子のことを思うと応募できませんでした。コロナのお陰で「本当の幸せ」という大切なことに気付けたことを無駄にはしたくありませんでした。

RPA乗換え検討は現ライセンスが11月上旬に切れてしまうため、急ピッチで進めていました。他のツールの情報を取りながら、本命になりそうなWinAutomationの無償トライアルも開始しました。

RPAツールの乗り換えはスマホをiPhoneからAndroidに乗換えるようなもので、最初の1ヶ月は操作画面や処理の組み方の違いに苦戦しました。

複数転職サイトに登録し、エージェントとの面談を続けました。しかし、紹介が来るのは人事職ばかり。IT職は経験年数が足りず応募できません、と言われてしまいました。

迷いの中、「幸せなキャリア探しのお手伝いをします」というbosyuに出会います。「幸せなキャリア」という言葉に吸い寄せられ即申し込みました。そして、大きな勇気をもらいます。

「製造業でこれだけのキャリアがあれば、挑戦して失敗したとしても、また製造業に戻ってこれますよ。大丈夫。」キャリアのプロからの一言で「満足がいく転職をしてみせる」と決意を新たにしました。

社外活動でも嬉しいニュースが飛び込んできました。

私の居場所は必ずどこかにある。想いを胸に秘め、RPA乗換えと転職活動に悩みながら真剣に向き合う日々でした。

2、20ヶ月目 絶望の叫びが奇跡を呼び寄せる

コロナ禍でオンライン会議は日々定着してきました。ただ毎日いろんなトラブルがあり、バタバタしてました。

新聞では連日、日本のオンライン化遅れの記事が踊っていました。

そんなある日いきなりDXプロジェクト命令が。しかしメンバーとして呼ばれなかったw

外野はどうでもいい。RPA乗換えを夢中で進めました。勢いに乗って社外コミュニティで久々にLTもしました。

転職活動の方は迷走状態になっていました。毎日悩みまくりの悶々状態。

そんなとき友人が会社を紹介してくれました。地元製造業でITに意欲的な会社があり、嬉しくなりなりました。私の取り組みを興味深そうに聞いてくれ、なんと。

もうこの出会いにかけるしかない、といままでの取り組み内容と、採用された場合のRPA・デジタル化提案書を作成し、面接に挑みました。

しかし、この会社の内定は辞退しました。他の人にとってはささいなことだと思うのですが、自分にとっては我慢できない「昭和なしきたり」を発見してしまったからです。

永遠に転職先は見つからないかもと思うも「幸せな満足するキャリアを見つけてみせる」と決めたのです。

そんなある日、私以外のRPAメンバー2人が昇格推薦されたことを知りました。

なぜ私は選ばれないの?ショックで逃げ込んだ化粧室。

鏡に映る自分の顔はひどくゆがみ「醜い」と思いました。

身近な人の成長を心から喜べるはずの自分が、RPA仲間の成長を喜べなくなってきている。自分がイヤになりましたし、これ以上いたら心が壊れると思いました。

人生とはわからないものです。この悲痛な叫びが信じられない結末につながります。

憧れの会社から「転職するなら、うちにきませんか?」と連絡をいただき、急遽オンラインミーティングとなったのです。30分ほど雑談のような会話の後「きてもらえせんか?あなたの”ユーザー経験”と”発信力”を活かして一緒に中小企業のIT化盛り上げましょう」と。

大切なRPA乗換えもキッチリやり遂げるまで待ちます。と。

人生の幸せまで考え込んでしまって、苦悶の日々だった転職活動は電撃的な "Twitter転職" として終えることになったのです。

3、21ヶ月目 残された日々を大切に

転職が決まりホッとしましたが、改善意欲がなくなることはありませんでした。残された日々でできる限りのことをしたい。いままで支えてくれた同僚達に少しでもいい環境を残したいと思いました。

RPA乗換は毎回トラブる稟議申請のタイミングを迎えていました。

再稟議や稟議書にサインがしてもらないトラブルを乗り越え、RPA存続が決定しました。

そして2ヶ月厳守の移行作業が始まります。自分の退職を見据え、ソフトやシステムごとに操作のコツを記した”虎の巻”も作成しながら。

コロナ禍により、RPA乗換え、転職という大きな転機を迎えることになりました。ピンチにも前向きに立ち向かい自分の意思で選択をしていく。以前の自分なら、目の前の安易な選択に飛びついていたように思います。意思を持ち、行動と熟慮を繰り返せた今回は、少し成長できたかな、と思いました。

また孤独な戦いを経験して、挑戦する人を応援する存在でありたい、と日々思いを深めていました。わたしが2年間続けられて来れたのは「応援してくれる人」の存在があったからです。

そして折しもいままでのRPA導入をお話する場をいただきました。応援してくれた恩返しがしたいと自分が経験してきたことをすべてお話させていただきました。

4、22ヶ月目 自分がいなくなっても

RPAやITに前向きな仲間が社内に育ってきたところで、会社を去ることになってしまい、申し訳ない気持ちが強かったです。しかし、主体的にオンラインを使いこなす同僚や後輩の姿をみて、もうバトン渡していいんだな、と思いました。

上司に退職を伝えました。RPA移行作業計画も添えて。全く引き留められず10分で終わりました。

去る者は追わないというプライドを持った会社であるいうことは人事時代にわかっていたので、予想通りでしたがやはり寂しかったです。

いつのまにか勤続6年を迎えようとしていました。

転職が決まったことで、仲間の昇進を嬉しく思えるようになり、楽しい気持ちで各課の改善を進められました。

いろいろありましたが、やりたいことをやらせてくれた会社に感謝したいと思えるようになってきました。

特に社内異動で事務屋からIT職にキャリアチェンジできたのは、本当にラッキーだったと思っています。

最終出社日まで、手を抜かない。そう決意し、移行作業に集中しました。

上司は全く気にしていないというか無関心状態でしたが、もうこれは己との闘いだと思ってやってました。深い愛情を熱意をもってRPA導入をやってきました。組織としてレベルアップした状態が継続できるように真剣勝負でした。

社内の協力者に徐々に退職を伝えていきました。はじめの2人ぐらいは会社に対する不満をグチグチと言ってしまい、これじゃダメだと思いました。

社内ではまだ「転職は都落ち」みたいなイメージがあったので、前向きなイメージに変えてみたいと思いました。

前向きな言葉で伝えるようにしたら、激励の言葉返してくれる同僚もいました。

RPA移行作業は現ライセンス切れの日が目前に迫り佳境に。

5、23ヶ月目 そして迎えた最終出社日

社内で動きがありました。なんと1年以上前から言い続けてきた「システム課」がついに設置されるというのです。嬉しかったですね。

そして現ライセンス最終日に移行作業は完了しました。RPA乗換をやりきって会社を去ることができる、とホッとしました。

ちなみに上司はノーリアクションでした・・・

最後まで真剣だったお陰かまた一つ気付きがありました。RPA化対象業務を決める際には「ハイパフォーマンス人材の単純作業を狙うのがよい」ということです。自分で改善が出来るような人材から単純作業を取ってあげると喜び、新たな改善をしてくれます。

一方、単純作業しかしたくない、という人の業務をRPA化してしまうと「その人の業務どうする?」問題が出てきてしまいます。議論はいろいろあると思いますが、付加価値の高い業務へのシフトを優先するなら、ハイパフォーマンス人材の単純作業を狙う、というのは最短経路かなと思います。

退職を伝えた際、一番よく返ってきた言葉は「やんなっちゃった?」でした。仲のいい人だけには本音を語りました。

「どこも同じって言われて我慢しなきゃ、って思ってきたけど、社外に出まくって”どこも同じ”はウソだってわかった。近隣同業と交流しててもダメ。もっと遠くの、異業種の人と交流すれば、おかしいことはやっぱりおかしいってわかった」と。

わたしがいなくなっても社外との交流は続けて欲しいと思い、自分の知っている手段をどんどん流しました。

いろいろありましたが、6年間お世話になった会社に感謝の気持ちを込めてきれいに去ることも決めました。会社の悪口はお口にチャック。

自分は「地元を地方をITのチカラで明るく」という目標を持っています。転職先は遠く離れた会社ですが、また近くで仕事するかもしれません。

そして最終出社日。気持ちよく迎えることができました。

6、24ヶ月目 最後に伝えたいこと

有給消化期間となり、いままでのことを振り返りつつ、次の挑戦に向けて準備を進めています。

転職後はフルリモートとなります。リモート経験0日の昭和な会社出身者が令和企業にフルリモート入社するという新たな挑戦が始まります。

昭和企業で出会った仲間達との交流は続けていこうと思っています。社内と社外でバランスを取りながら、自信をつけながら、楽しく働くということを伝えたいという想いは変わりません。

振り返ってみて感じるのが、名もない会社の平社員だった自分が「昭和な会社でRPA導入・デジタル化をする」という誰もうらやましがってくれないことをTwitterで応援してもらいながら、2年間発信し続けたことで、注目され、転職先まで見つけることができたということです。

わたしは本が好きでよく読みますが、本はあくまで知識習得までです。これは本を買うお金と手段がある人は皆できます。しかし、そこから実務でその知識を活用する、ということができる人はほんのわずかになるのです。

知名度もお金も資格もないけど、本を読みそれを実務でやってみた”実体験”に価値があり、それを発信することでチャンスを掴むことが出来るなんて、なんと夢があるのだろう!と思います。

2年間楽しかったより辛かったです。でもこの1ヶ月、同僚や友人や家族に転職を温かく祝ってもらい”辛かった日々”が癒やされていく感覚を味わっています。

来年からは転職先でRPAだけでなく”ローコードを活用した中小のIT化”に取り組みます。また、地方でも家庭の事情があっても、自由に楽しく幸せに働ける自分なりの形を模索し続け、その過程を発信していきたいと思っています。

仕事は我慢するものではなくワクワクするもの。

働くことは身近な大切な人を幸せにし、その幸せの総和が日本そして世界を幸せにしていく。

壮大ですが、”ぶれない大義”を胸に日々頑張っていきたいと思います。

最後までお読みいただきありがとうございました(◍•ᴗ•◍)✧*。

<完>


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