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age50; 心が動くのは
イヴに救急車で運ばれ、そのまま入院となっていた母が退院した。最初は尿路感染からの発熱だろうと言われていたが、そうではなかったらしく、結局今回も理由は分からないとのことだった。
退院には施設のケアマネであるKさんが1人で駆けつけてくれた。彼女はいつも良いトーンで、押しつけがましくなく、優しい。
言葉はおろか、表情ですら気持ちを表すことが難しくなった母も、彼女が声をかけると、うっすら喜んでいるように見えた。姉と私については、認識しているのかも分からない。
ゆっくり症状が進む母は、入所前に整形外科から神経科へと検査を重ねたが、パーキンソンとかALSとかの病名はつかなかった。
最後は、「こういうのを難病っていうんですよね。」という先生のセリフで検査終了。
前職は看護師であったKさんに聞いてみた。
「素人の私からすると、母の症状はALSのそれと似ているような気がするのですが・・」
ALSに有効な薬はなく、遺伝もあるとのことで内心おそるおそる聞いてみたが、「ALSの症状とは違うね。」Kさんは迷わず答えた。
続けて姉が「色々見ているKさんでもこういう症状はまれですか」と聞いたら、このような衰え方は見たことがないし、
「逆にゆっくり進行してるのがかわいそうだよね。」と言った。
やはり母は難病なのかと思ったが、ALSを否定してもらい、血がつながっている私たちは胸をなでおろす。
退院手続きはスムーズに進み、Kさんはてきぱきと母を車にのせ、施設に戻っていった。
いつも思うことだが、母が施設に帰っていく後ろ姿を見ると、姉も私もほっとする。
この薄情さは、いったいどうしたものだろう。
幼いころから両親と折り合いの悪かった姉はともかく、私は自由にやらせてもらい、お世話になったという気持ちは十分ある。彼らに対してネガティブな感情は抱いていない、と思う。
それなのに父が亡くなった時も、そのことで涙を流すことはなかった。
母に関しては、不憫だな、と思うけれども、後ろ姿を見送った数分後には別の事を考えている自分に気づいて、驚く。
どうして私には想い出とか、情とか熱く蘇らないのだろう。
親が亡くなり悲しみから立ち直れない、などと聞くと、そこで私は(ああ、そういうものか)と気づく。
いや、悲しいのは分かる。ただ、そういう歳になればある程度仕方のないことで、それよりも親が亡くなることで、次は自分の番であるという事実を突きつけられるのだから、私としてはそちらの方が何倍もこたえる。
Kさんにはそんな人間だとは悟られたくないけれど、「みんな待ってるよ、早く帰ろうね。」と母に声をかけている姿を見ると、もうどうしようもない。
職業柄とかそんな陳腐な理由でもない。
彼女が尊い人間であることは間違いがない。
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