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2024 Spring そういえば春が苦手だった

冬の間はずっと、早く日が長くなればいいとか、暖かくなってほしい、とか思って散歩している。

でも、いよいよ日がのびて、厚手のコートが不要になってくる頃にいつも(あ、私、春が好きじゃないんだわ)と思い出す。

毎年そんな感じなのに、毎年春が来るまで忘れている。

寒さに耐えながら思い浮かべる春は、どうしても良い印象になってしまうのだ。

世間知でも、桜が咲く春に暗いイメージはない。時節柄ストーリー性も高く、他の季節に比べて贔屓されているような気がする。


3月に入るとまず花粉にやられる。
歳とともに酷くなっている。

ずっと、ずーっと頭が重い。
今や、雛をだそうか、だすまいか、と悩むことすらない。

昨年は、原因不明に頬が腫れた。マスクでも隠せないほど腫れたので耳鼻咽喉科と皮膚科に行くと、鼻からばい菌が入ったかな、とのこと。
鼻水ばかり噛んでいて粘膜が過敏になっていたのかもしれない。

今年は通販でアレジオンを買い込み、毎日飲んでいる。それでも、少し油断して屋内でマスクをはずしたりなんかしちゃうと、次の日は容赦なくカウンターパンチが飛んでくる。

重症化して寝込んだ日は、「ちょっと花粉症で・・」なんて言いたくない。
もっと深刻な病名が欲しい。

舌下治療なるものもあるらしいけど、冬の間から仕込まなくてはならないらしい。めんどくさがりの私には到底無理だし、そもそも冬の間は忘れている。


卒業シーズンというのも苦手。

今年は、娘の大学受験が全落ちという結果になり、とても驚いた。まさか浪人生になるなんて、冗談でも想像していなかった。
よくある「うちの子にかぎって」みたいな感じ。

数年前、ママ友が「長男が浪人するんだよね。。」と沈んだ声で告白してくれた時、(それってどんな気分で卒業式迎えるんだろう、親も憂鬱だろうな・・)なんて想像してた。

娘にかぎっては、代表で堂々と卒業証書をもらっていて苦笑した。こればかりは浪人前から決まっていたのだから仕方ない。

さらに1年勉強づけかと思うと可哀そうな気もするが、冷静に考えると、概ね実力どおりの結果なんだろう。学校と塾に完全お任せをし、娘を過信していた私の責任もある。

浪人生の親として経験した卒業式は、確かに複雑ではあった。彼女の高校3年間まで否定してしまう気持ちにはなりたくなかった。

けど、自分の娘にも、同級生のお友達にも、おめでとう、という素直な気持ちにちゃんとなった。

ほっとした。


娘の浪人は別としても、私はやはり卒業シーズンが好きじゃない。

あの、「皆がバラバラになるその寂しさを今、分かち合っておかないと!」という押し付けがましさが馴染めない。興醒めしてしまう。

やっと卒業でせいせいしている人だっているかもしれないのに。

ああいうのって、クラスの一軍に属する(と思っている)人達が、その華やかなポジションが終了することを惜しく感じてたりするんじゃないだろうか。

卒業式でステキな想い出作りましょう、もちろん私たちを中心に!みたいな。

もちろん私も寂しいと感じることはあった。
でも、本当に寂しいなら私は一人で寂しがりたい。

もうこれは、ニ軍以下の被害妄想と思われていもいい。

嬉しいことは大勢で分かち合えば倍になるけど、悲しみはどうなのよ

ともかく騒ぎたてないでもらいたい、と思う。


続く4月が新年度というのも気に入らない。

まだ浸っていたい想いがあるのに、環境が変わり、にわかに忙しくなる。新入生はともかく、新社会人なんてしんどくないだろうか。

なんとなく明るくは見えない未来に向かって進む不安。新社会人を見かけると、勝手に同情心を膨らませてしまう。

環境が変わらない社会人にも、人事異動がある。
あれ、結構ざわつくんだよね。
発表がある日なんて、誰も仕事に集中できてない。

私は曲がりなりにも専門職なので異動が極めて少なく、その浮き立つ空気に便乗できない。

自分1人が毎年同じ場所にいて、職員を送り出したり、新しい職員を迎えたりする。

何よりも人に教えるという行為が好きじゃない。


今週末は久しぶりに連続の休みとなり、嬉しくなって散歩に行った。花粉症なのに。

先週は桜が満開で、多くの人が花見をしていた。
まだ桜は咲いていたが、花見客はもうほとんどいなくて驚いた。

今日のほうがすいてていいだろうに。

満開であっても、散りかけでも、大して変わらない。桜をじっくり見ているわけでもないのだから。


夏が来る頃には、新社会人の皆さんも少しずつ職場に馴染んでいるだろうか。
辛い時は、どうか周りに頼ってください。
そこは勇気を出して。


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