母になるということ

さっき、金原ひとみさんの朝日新聞デジタルの記事を読んだ。
有料記事だけど、今日の22時過ぎまで無料で読めるみたいなのでぜひ読んでほしい。

その記事を読んで、こんなことがあったな、あんなことがあったな、なんてことをたくさん思い出したので、書いていこうと思う。
少しネガティブな内容も含まれるけど、そこも含めて是非色々な人に読んでほしいと思う。

私は10代で第一子を産んだ。
正直、子育てを舐めていた。
命の重大さや、少し放っておいてしまえばすぐに死んでしまうなんて考えたこともなかった。
高校を中退してから、同級生の子達よりはたくさん遊んでいた。
あまり大きな声では言えないけれど、すぐに水商売の世界に入り、同級生のアルバイトのお給料では到底稼げないようなお金を稼いでいた。

お昼過ぎに寝て、夕方に起き、コンビニか外食でご飯を済ませ、身支度をして出勤する。
仕事の後は、アフターで飲みに行くか、同僚と個人的に飲みに行くか。
毎日帰ってくるのは外が明るくなるころだった。
休みの日も、同業回りで飲みに行き、仕事の一環とはいえ、今まで触れたことのない大人の世界に仲間入りしたようで、毎日が楽しかった。

そんな時に、第一子を妊娠した。
元々結婚願望が強く、子どもを昔から強く望んでいた。
子どもが不幸な私を補ってくれるように思っていた。
毎日がどんちゃん騒ぎで楽しいとはいえ、嫌なお客さん、面倒臭いお客さんにメンタルを削がれる日々。
体力的にも酒漬けで正直しんどかった部分も大きい。

周りにはめちゃくちゃ反対されたけど、無知で想像力のなかった私は結婚に希望しか抱いてなかった。
いつか、クレヨンしんちゃんのような温かい家庭を築く。
その願いがようやく叶う。
そう思い、妊娠8か月の頃に元夫と入籍し本格的な冬が始まる季節に1番目を出産した。

出産してからは想定外のことばかりだった。
昼夜問わずに泣く赤ちゃん。泣く他には寝るか飲むか。
新生児が笑わないなんて知らなかった。
意思の疎通がここまでできない生き物がいるなんて知らなかった。
何をしてても不安で、おとなしく寝てても「ちゃんと息してる?」と心配になり、泣いていると「何がほしい?」と心配になり、全く睡眠が取れなかった。

退院して実家に里帰りしてからも、1ヶ月は外に出られず、家に人はたくさんいるのに
、常に孤独を感じていた。
SNSを見れば楽しそうな同級生たち。
「いいな」と思いながらも、自分でした選択なんだからと羨ましく思う気持ちを一生懸命消し去ろうとした。

少し大きくなって、おでかけができるようになってから、児童館デビューをしてみたけど、子はコロコロしてるだけ。
おもちゃにも興味なし。
他のママさんの輪にうまいこと入っていけずに、数日で行くことをやめた。

お金にも困った。
子どもがこんなにお金がかかると思わなかった。
毎月カツカツで、常にお金のことを考えていた。
あの頃の私は常にカリカリしていたと思う。
元夫への不満は溜まっていくばかりだった。

結婚って幸せなものだと思ってた。
子どもがいるだけで、幸せになれると思ってた。

全てが想定外のことだった。

ある時に、元夫への不満が爆発して実家に戻った。
そのまま離婚し、シングルマザーになった。
子どもは1歳になっていなかった。

しばらく実家にいたけど、少しすると居づらくなり、家と仕事を見つけて子どもとの2人暮らしが始まった。

仕事は水商売。保育所は夜。
辛くても、しんどくても、弱音を吐いてはいけないと思った。
もし弱音を吐いたら「自分が選択したことでしょ」「母親失格」「若いからそうなると思った」そうやって、誰かから責められるような気がした。
手当はあったし、暮らしてはいけた。むしろ経済的には少し裕福だったと思う。
でも、しんどさや孤独感はいつまでも私に付き纏ってきた。

休みの日に、たまたまホストクラブとクラブに行ってみた。
そこから私はそのしんどさを男の人で埋めようとした。
あの人たちは私のほしい言葉をくれた。
「頑張ってるね」「すごいと思う」「尊敬する」「たまには息抜きしなきゃ」
そうやって男の人がいると、いっときだけ弱い自分を出せた。

楽になったあとには、反動がきた。
子供といる時間がだんだん辛くなっていき、だからと言って1人でいると孤独に押しつぶされそうになった。

そんなある日、唐突に布団から出られなくなった。
子どものお世話も最低限しかできなくなった。
おむつが限界になったら変え、子どもにスティックパンを与える生活が2、3日続いた。
今思うとたった2、3日。でもあの時は1時間が1週間くらい長かった。
パンがなくなり、子どもが空腹の限界を迎えてすごい勢いで泣き出した。
「あぁ、このまま2人で死んでしまおうか」そう思った。
その時、子どもが私のそばにきて「まま、っぶ?(ママ、大丈夫?)」って泣き止んだ顔して私の顔を覗き込んできた。
気づいかないうちに泣いていたらしい。
あぁ、私が死ぬのは構わないけど、そこにこの子を巻き込んではいけない。
少し正気に戻り、実家の父に「助けてください」と電話をした。

父は仕事を終えるとすぐに迎えにきてくれた。
そのまま、私は夫と再婚するまで実家にいることになる。

数日経って、家の片付けをしに父と向かった。
久しぶりに見る部屋は荒れていて、ゴミは散乱してたし、悪臭がした。
こんな部屋に子どもと住んでいたと考えるとゾッとした。

その後、実家の協力があり、夫との再会もあり、めでたく結婚した。

が、結婚したら結婚したでまた新たな問題が発生するようになる。

入籍前に第二子を妊娠した。
入籍前とは言っても、日付が決まっていて同居はしていて、後は本当に籍を入れるだけの状態ではあった。
第二子は私と夫の強い希望だった。

仕事もパートだけど順調に決まり、穏やかな日々が待っている。
はずだった。

同居後の夫は、家のことを何もしない人だった。
言葉通りに何もしないのである。

私はパートがある日は、朝準備をして子どもを保育所に送り、帰宅後に洗濯、掃除、夕食作り、子どもと一緒にお風呂。全て1人でやっていた。
対する夫は、帰宅後ソファから一歩も動かない。ずっとケータイと睨めっこ。
私より早く帰宅していても、ご飯も炊かない。お迎えも行かない。
時折「おむつパンパンだよ」「お腹空いてるっぽいよ」なんて言葉が飛んでくる。
全てが終わり、ご飯の準備ができた後も「俺のはしは?」そんなことを言う人だった。

妊娠後期、何かの拍子にブチギレた。
「3歳の子ですら箸くらい出すけど。自分のご飯テーブルまで運ぶけど。あなたは大人なのに箸の1つも出せないの?ましてや私妊娠中で、仕事して家事して育児して。仕事しかしてないのに何がそんなに疲れてるの」
夫は鳩が豆鉄砲食らったような顔をしていた。
本当に何が悪いのかわからないようで、むしろ逆ギレしてきた。
「誰のおかげで…」みたいなセリフを言おうとしてたので「だったら私が稼ぐけど。いつでも交代しますけど。でも、それは嫌って言ったのはあなただよね。別にどっちが偉いとは思ったこともないけど、じゃあ誰のおかげで綺麗な服着れるの?清潔な部屋に住めてるの?ご飯はどうやって出てくると思ってるの?」と100で返した。
そこから、少しずつではあるけど夫は変わってくれた。

第二子出産後のしんどい思いはそこまでない。
と言うのも、妊娠中から保活をしていて、最短で保育所に入所できることが決まっていたから。
しんどいと思っていても、ここまで頑張れば社会に復帰できる。
自分の時間が持てる。そうやって乗り越えられた。

そして、コロナが流行り始めた頃、転職をした。
自分の自由な時間が取れるようになったので、扶養内のパートではなく、フルタイムの仕事に移行しようと思った。
数年経って、第三子を妊娠した。
第三子は夫の強い希望だった。とはいえ、私が望んでなかったといえばそれは違う。
しかし、タイミング等で悩むことはたくさんあった。
幸い、職場は理解のある職場で、少し早めに産休を取らせてもらい長期の休みに入った。

以前とは違い、フルタイムで働いていたので、今回は育休が取れた。
休みでお金もらえて、しかも育児にコミットできるなんて。以前の私はしんどかったけど、今の私ならいける。
そう思った。なんの根拠もないけど。
夫にも育休を2ヶ月とってもらう予定だったので、ようやく3人目で穏やかに育児にコミットできる。
そう思った。けど、現実はそう甘くはなかった。

第三子出産後、いい機会だと、以前から自分のやりたいことを仕事にしよう。
そう思い、少しずつ動いていった。
しかし、なかなかうまく行かない。
私が想像していたのは、保育所に子どもがいる状況での仕事だった。
上2人は学校や保育所に行っているので問題はない。
しかし、3番目は常にいる。
思い返すと、ここまで子どもと時間を共に過ごすのは初めてだった。

育休中の夫も、私と同じ考えだったようで、独立の準備を進めていた。

正直、育休を夫婦2人で舐めていた。
夫は最低限のことはするけど、それ以上のことはしない。
私も休みなんだからと、夫がいるのにうまいこと夫を頼れなかった。
私の不満はどんどん募っていった。
「私だってやりたいことがあるのに」「本当に最低限のことしかしない」「夫を純粋に応援できない」
そして、その不満を抱えたまま夫の育休が終わった。

子どもはどんどん成長する。
ただ、泣くか寝てるかみたいな赤ちゃんも、数ヶ月で動き出すようになる。
動き出すと目が離せなくなる。
そして、わたしが悩んだのが離乳食だった。
手作りしたり、時にはパウチを使ったり、そこの面では困らなかった。
困ったのは時間だった。
離乳食は授乳よりも時間がかかる。
朝、離乳食をあげて、気づいたら昼。また気づいたら夜。
だんだん自分のやりたいことをやる時間がなくなっていった。

そして、私が苦しんだのはとにかく「1人の時間がないと言うこと」。
でも、これを散々夫に伝えても理解してくれなかった。
いや、理解してくれてたのかもしれないけど、夫は常にそのことを忘れていた。

時間の奪い合い。と言うか、奪い合うも何も、私の時間を譲っていった。
どんどん募った不満は爆発した。
「あなたは時間がないって言うけど、いいじゃん。1人で仕事する時間があって、1人で寝られて、休みの日には好きなだけ寝られて。羨ましい。」
何度この言葉を夫に言ったかわからない。

今でも、夫婦でこの問題は完全には解決していない。
今週で夫の会社員生活が終わる。完全に独立する。
そうなった時に、夫婦で家のこと、子育てのことをどう分担するのか。
話し合わねばならないと思う。

とにかく、夫は見えない育児を見ようとしていないと強く感じる。
子どもの予防接種・懇談・行事等のスケジュール管理
寝かしつけ、朝の準備、持ち物の管理
体調・気温に合わせての着替え、保育所への連絡   等々
でも、それを見ようとさせなかったのも私のせいでもある。
できないなら私がやればいいをやりすぎた。そのつけが今来ている。

こうやって、たらたら愚痴のようなことを書いたけど、私が言いたいのは愚痴ではない。
子どもは可愛い。すごく可愛い。愛おしくて、私の元に産まれてきてくれてありがとうと、感謝の気持ちが止まらない。
できれば私だって毎日穏やかに、子どもと常に向き合って、楽しみながら子育てしたい。
でも、それは私1人の力では無理だと強く思う。
そして、少し育児に手を出した夫にドヤ顔されると、ありがたいのに素直に感謝できなくなる。

30回中1回だけ配偶者に子供を病院に連れて行ってもらえば「お父さん偉いですね」と言う言葉をかけられ29回一度も褒めてもらえなかった私の立場は常になく

朝日新聞デジタル
母の仮面が苦しいあなたへ「自分」は今もそこにいる
金原ひとみ

まさにこの言葉の通りである。
保育所で今日はパパのご飯だといえば「パパすごいね」と言われ、夫も得意げになって「普通に作ります」なんて言って、「あなたの旦那さんはすごいね」なんて他のママさんや保育士さんに褒められる。

週に6日晩ご飯を作っているのは私で、1ヶ月が30日あれば3回が夫で1回が外食で、後の26日は私なのだ。

全部がそうではない。
今私が好きなことをできているのは夫が稼いでくれるおかげだし、子どもに不自由のない暮らしをさせてあげられているのも、夫がメインで稼いでくれるお陰。
わかってる。何事もバランスだって。
でもね、いつも私の存在はそこにないと感じる。

事実、子供を妊娠してから今まで夫よりも私の方が子どもに時間を使ってきた。
仕方ない部分もある。わかっている。
でも、いつも褒められるのはぽっと出の夫なのだ。

今でも、そこにモヤモヤを抱えている自分がいる。

こんなに書いているけど、夫のことは好きだし感謝してる。
だからこそ、夫と共に育児をしたいと思っている。
「今日はこんなことがあった」「今はこの時期だから大変」「あの顔毎回するよね」
「うちの子ってやっぱり可愛いよね」
と子どもの成長を共に喜びたい。
でも、このままモヤを抱えたまま育児をしていたら、「いて欲しい時にいてくれなかった」「今更育児にコミットされても」なんて言葉の方が出てきてしまいそうで。

全国の子どもがいる男性、子どもを望んでいる男性。
できる限り、奥さん・ママに寄り添ってほしい。
妊娠出産というあなたにはできない生死をかけた大仕事を担ってもらっているという意識を常に持ってほしい。
そして産まれた後は、自分のできる目一杯をママと子どもに捧げてほしい。
今の日本ではまだ、女性が主体で子育てしている場面が多いと思う。
子育ては常に孤独や嫉妬との戦いになる。
共に戦う意識を常に持ってほしい。

そして、全国の子どもがいる女性、子どもを望んでいる女性。
男性に諦めないでほしい。
パパは何もわかってくれない。私がやればいい、私がやらなければ。
そう思う場面がたくさん出てくると思う。私もつい「私がやればいい」と思ってしまいがち。
でも、それでは男性はあなたの苦しみに気づけないことが多いだろう。
「パパ育て」や「イクメン」という言葉は私は嫌いだ。
でも、時にこちらが寄り添わなければならない場面が出てくる。
寄り添ってほしいと思ってる分、こちらもパパに寄り添ってみよう。
あなたの未来のために。

子どもは思っているよりも、手元にいてくれる時間が短い。
中学生、高校生、大人になってくれば、実家にいても家を空けることが多くなるだろう。
その先、夫婦2人でいる時間の方が長くなってくるだろう。
その時に、憎しみの感情などの負の感情を持っている相手との生活は苦しくなってくる。
「あの時は大変だったね」「でも、楽しかった」「お互いにありがとう」「これからは少し寂しいけど、2人でのんびり過ごそうか」
そうやって思って暮らしたい。

だって、私が好きになった人だから。
子どものことを唯一共有できる人だから。

今日の22時過ぎまで、無料で読めます。

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