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社会人になって本が読めるようになった

学生時代、私は読書から遠ざかっていた。不安が頭を行き交って文字に集中できず、本を読んでも上の空になる状態が続いていた。

自分の気持ちを整理する時間の余裕すらなかったのだから、そんなの当たり前だ。別に自分が特別苦労していたという話ではなく、ただ単純に思春期特有の「漠然とした不安」と戦っていただけのこと。そういう経験は誰しもが通る道だと思う。

そんな青々とした並木道を通り過ぎて社会人になった今。

私は、再び本が読めるようになった。

最近は「働いていると本が読めない!!」という言葉をよく耳にする。私からしてみればそんな意見はお門違い。冷静になって考えれば、社会人ほど読書に恵まれた環境は無いと思っている。

今回は「読書と社会人」について私の主張を記す。


生活サイクルを考えると……


生活サイクルから読書を考える。

きっと、多くの社会人が人が週休2日で働いているはずだ。仕事によって、辛さ悲しさ、感情色々あるとは思うけども、これは確かな日本の慣習である。

休みが2日ある……

そう、休みが2日あるのだ。ということは、仕事への意識を放棄できる日(土曜日)が一日存在するということ。私はこう考えるようになってから、本を手に取ることが増えた。

私も明日が仕事だと考えると、本を読むのが億劫に感じる。何となく嫌なことが待っていると、何も手につかずにスマホに逃げてしまうのも一緒。だから土曜日に本を読むようにしている。というか読みたいと思う。

私がこんな風にポジティブに考えているのには、過去の経験が起因している。というか、かなりの人が持っている経験を私も同じようにしていただけのこと。

よくよく考えれば、学生時代に休みなんてなかった。

休みがあったとしても、部活! 受験勉強! こんな風に過ごしていた人も多いんじゃないだろうか。若い頃は週休0日もザラじゃない。仮に部活に所属していて、週に一日の休みがあったって、課題に追われることもしばしば。私の場合、大学でも部活動とかいう狂ったことをしていたので、週一日の休みがあっても課題や授業がほとんど。一日だって精神的に休める日がなかった。

一日の休みでは、本を読む余裕は生まれないと思っている。明日への不安。これが読書において一番の大敵で、脳死で時間をつぶせるスマホに逃げることになる。私の場合は、学部よりもネームバリューで大学を選んだから、授業や課題がやすらぎにならなかったというのもあるけども。

大学時代までの私は、本の虫を自称するものの、年に数冊しか本を読まない大嘘つきになってしまっていた。そんな自分が大嫌いで、何度も自問自答したのを覚えている。

そんな生活を経て、私は週休2日の日々に幸せを感じている。

土曜部には本を読む余裕が生まれた。目標のために休日返上で勉強しながらでも、本が読めるようになった。大学時代にたまった積読本が減っていくのが嬉しかった。


最後に


本当の意味での週休2日。これが社会人にはあるのに、本が読めない人が多いのが悲しい。社会が悪いのか、自分自身が悪いのか、それとも……

理由は多々あれど、本を読む時間や心の余裕は、考え方を変えるだけで簡単に生み出せることを私は伝えたかった。
この世には週休0日で努力する学生で溢れているのだから、大人になった私たち社会人が、率先して本を読まなくては読書文化だって廃れてしまう。

最後にもう一度、休みは2日ある。
土曜日になったら、私と一緒に活字の世界に溺れましょう





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