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飲み会の汚さをエネルギーに

大学時代は毛嫌いしていた「飲み会文化」

社会人になってからは、一周回って学びの場所として利用さしてもらっている。

人とお酒が楽しめるようになったとか、ワイワイする雰囲気を好きになれたとかでは一切ない。

飲み会に蔓延する空気が、僕の創作意欲に火をつけてくれてくれる。

それを知ってからは飲み会帰りの道が輝いて見えるようになった。


私の大学生時代と社会人時代で大きく変化したこと。

それは創作活動を始めたことだった。

どこからどこまでを創作と言うべきかは各々の主観に任せるが、私にとってはnoteを書くことも、創作の一環。人生で何事も踏みとどまってきた僕の物語の序章だ。

そんな僕にとって創作とは、自分の理想の世界を維持することにある。

どうしても大人になりたくない僕は、物語の世界に逃げるようになった。創作にもともと興味はあったものの、中々手を付けていなかった分野。社会人になって大人の汚さを肌で感じたことが、創作に没入している原因の一つなのだと思う。

「飲み会」は理想の対岸にある世界なのでは? と思うだろう。

もちろんそれは正しいのだが、飲み会を経て感じる新たな世界が、僕を成長させてくれるのではないかと思うようになった。

普段は絶対関わらない人の話、普段は笑わない人の話、普段物静かな人の話、様々な人たちの話が聴けるから好き……

なんて言うはずがない。「飲み会」なんて大嫌いだし、結局する話だって、酒、下ネタ、愚痴……。どれも興味ないし、僕が人生の中でトップレベルに嫌う話題のオンパレード。どれも中身が空っぽだ。

そういう負のパワーが、創作に力をくれる。

汚れたら風呂に入りたくなるように、自分の心が汚れたら洗い流したくなるのが人間というもの。飲み会の参加は究極のマッチポンプと言いえる。


例えば、先日行われた会社の飲み会では、いい年こいた大人が特定の人物の愚痴で盛り上がっていた。確かにその人が悪い可能性が高い。だって皆が口を揃えて言うのだから。でも、愚痴を言われている人の立場になって考えると、胸が締め付けられる。

「今すぐにでもこの場から離れたい」

「誰かの悪口で盛り上がりたくない」

そう言う感情を、心の奥底に一度しまい込む。
僕はお酒を飲むこともしないから、

「何が自分を苦しめているのか」

「どうして許容できないのか」

疑問形に換えてひたすら考える。

小一時間も考えていれば、飲み会も終わるし理想の世界が恋しくなる。心の奥底の自分に会いたいという感情に駆られて家に帰る。

そんな飲み会後の帰り道が好き。

ポツポツと並ぶ街灯を避けながら歩くのが好き。ふと立ち止まって夜空を眺めるのが好き。イヤホン大音量で好きな音楽を聴きながら帰るのが好き。
全ては自分を忘れないため。そして、すべての負の感情を創作へのエネルギーに転換する作業だ。

飲み会後に短歌と文章をつくると、自分に素直になれた。スッと心の底から現れる言葉はもどかしく不安定な想い。なのに、文字に乗る時だけはきれいな言葉として紡がれた。

こんな風に割り切らないと飲み会を破壊してしまいかねない(物理的に)。だから全部僕の養分にする。


飲み会の負のエネルギーは、僕のさらなる深みまで案内してくれる。

汚い感情から美しい感情表現が生まれるのは、何とも皮肉な話だ。それが現実であり続ける限り、僕は創作と向き合い続ける。

でも、飲み会が嫌いなのは変わらないし、できれば参加したくないのが本音。口が裂けても「全員ヘドロにまみれて〇ぬのがお似合いだ!!」とは言えない。

それだけは言っておかないと立派な大人になっちゃうからね。




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