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雨上がり、ヒグラシが鳴く【旅先ショート③】

今回の舞台:静岡県河津町



私は重度のおばあちゃん子で、いくつ歳を重ねても、何か嫌なことがあるたびに、伊豆にある祖母の家に逃げるのが習慣だった。制服のまま訪ねたこともあるし、スーツのまま訪ねたこともある。私がどんな服装で来ても、どんな時間に来ても、祖母は笑顔で受け入れてくれる。

「おばあちゃん……私……私……」

「辛かったねえ、何日でも居ていいからねえ」

そう言って、大好きな祖母特製のうどんを食べさせてくれる。ほんの少しの生わさびを加えて、涙とともに流し込む。

甘えに甘えて何日か滞在すれば、再び横浜の実家に戻った。

祖母の家は、心のよりどころで、私の居場所。両親とも仕事熱心な人だったから、変わらずそこにいてくれる祖母が大好きだった。

そんな祖母が1か月前に亡くなった。

―――それを知っていたのに、また伊豆に逃げてきてしまった。

もちろん祖母の家はもぬけの殻で、そこに私の居場所はない。

仕方なく、車であてもなく彷徨った。すると、幼い頃に一度だけ来たことがある「河津七滝」という名前が目に入った。

「かわづななだき……ちょっと行ってみようかしら」

そうだ。両親に連れられて伊豆を訪ねたのは幼い頃だけだったし、以降も祖母の家以外に関心を持たなかった。
気分転換も必要だと思って、河津七滝を訪れることに決めた。

車を降りると、目を輝かせた2人の子どもが目の前を駆けて行った。時刻は既に15時を回っている。おやつ時だし、親に美味しいものをせがみにいくのか、もしくは既に食べ終えて悦に浸っているのかもしれない。2人の子どもが向かった先が、入口みたいだった。

「河津七……だる?」

入口で看板を見てみると、ここは遊歩道のようになっていて、順々に滝を見に行けばいいらしい。それにしても、長年伊豆に通っているのに、読み方すらも知らなかった。祖母がいなくなった今、伊豆に私の知っているモノは無い。さっきまで晴れていたのに、タイミング悪く雨が降ってきた。小雨の一滴一滴が、「ここに君の居場所はない」と言っている。何だか悔しくって、雨の中、七滝の制覇に向かった。

散策を始めると、雨は全く気にならなかった。奥に進むにつれて、滝と渓流の怒号が雨音を連れ去り、木々が私たちの道と渓流の全てを包んでくれていた。時々、葉っぱから滴り落ちてくる大粒の雨を頭に受けるけれど、それぐらいなら許容範囲。1時間弱を歩き、あっという間に7滝を制覇した。

確かに滝は凄い。けど、ただ凄いだけ。

見ても何も心に響かない。渓流は、余り感動していない私を見透かしていたようで、私が吐き出すため息をも乗せて流れていく。吐き出された想いは、幾度も岩に打ち付けられ、粉々になって水に溶けて消えていった。

結果的に、気分は少し晴れていた。

なのに、復路に入るタイミングで、雨音が渓流の音に勝るようになった。あと1時間ほど猶予をくれれば、濡れずに済んだかもしれないのに。

「でも、いっか……」

今は、雨に打たれたい気分だった。雨粒が何重もの葉っぱをすり抜け、服が雨に侵食されているのが分かる。神様は、私がここにいるのを頑なに認めてくれない。

泣きたいのに、涙は枯れていた。祖母がいない伊豆は、伊豆じゃない。だけど、伊豆はいつまでも私の居場所であってほしい。私はこれからどこに行けばいいの? 辛くなったら誰が私を助けてくれるの?

私はこんなにも祖母に依存していた。

帰り道は道草を食べなかったから、あっという間だった。最初に入った入口が見えてきた。間もなく終わりを迎えようとしている。

そんな時だった。雨が止み、木々の間に木漏れ日が現れる。

「雨……止んだのね」

気づけば、渓流の怒号が勢いを取り戻していた。だけど、怒号に勝る少し甲高い鳴き声が響き始めた。その音色は、何だか懐かしさを乗せていて、思い出の先に吸い込まれそうな感覚に陥る。

「ヒグラシ……」

カナカナと蝉が鳴き始めた。横浜にいると中々聞かないから忘れてしまう。そういえば、祖母は私が来るたびに、こんなことを言っていた。

「カナカナと聞こえてきたら、それはヒグラシという蝉よ。ヒグラシはね、夕方に鳴き始めるの。お外に出てもいいけど、ヒグラシが鳴き始めたら帰って来なさいね」

懐かしい記憶が蘇る。もう祖母の家には帰れないけど、どこかに帰らなくちゃいけない気がした。

両耳いっぱいに鳴き声をため込んで、前を見た。出口の先は太陽によって明るく照らされている。

「おい、あっちまで競争な!」

「ちょっとお兄ちゃん、待ってよ~」

突然、先程の子どもたちが私の横を通り過ぎる。一目散にトンネルの出口を目指していた。

きっと私もこんな時代があった。

私の居場所は、もうここじゃない。
自分で居場所を見つけないといけないんだ。
この森を抜ければ、新しい自分と出会える気がした。

子どもに釣られて出口へ走った。

ヒグラシの鳴き声を聞きながら。

心の中で祖母が笑っている気がした。

今回の舞台は、静岡県河津町。
伊豆は本当にいい所。自然や歴史に溢れていて、僕にとっても第二の故郷みたいなもの。いつか伊豆で暮らせたら幸せだろうな。

ありがとうございました。







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