部活動=教育という理論
最近、正義マンがこの理論を振りかざして若人を批判する事案が多い。特にこの夏の時期は、高校野球を引き合いに出して、批判的な書き込みをする人が目立つ。
実例を出したら申し訳ないので、遠回しに書いた。実際私の母校も、SNSで大っぴらに批判されていた(しかも特定の個人に対してだ)
とにかく、部活動が教育から逸脱しているのを批判したいようなのである。
しかし、そういう人たちは、部活動に対しての考えが根本的に間違っている。
今回は、実際にスポーツで国内留学していた筆者自身の「部活動=教育の定義」を論じたいと思う。
部活が教育である由縁
先生の役目は、生徒を本気にさせること。人間性指導を二の次にしても勝ちを目指すのが本来の部活動のあり方だと思っている。
県外から呼ぶことも勝利至上主義も正しい。
勝利至上主義の先でしか得られない教育的価値があるから、部活動は通常科目から外される位置にある。
課外授業なのである。
学校の授業は平等に機会とチャンスを与えてくれる。バカでもテストを受けさせてくれるし、そこで努力すれば逆転できる環境がある。一般的な学校教育の世界は全て平等にできている。
世の中は平等じゃないのに、だ。
例えば、就活では学歴フィルターだってある。会社内での出世にも影響する。会社じゃなくても、選ばれてからがスタートラインという場合が何かと多い。競う資格を剥奪されることだって多々あるのである。
部活動は、優しく真面目な人間に更生するという、固定観念に侵されている人も多い。人気ドラマ「スクールウォーズ」もそういう風に描かれているし、仕方ない部分ではある。残念ながら、実際の部活動はやんちゃ坊主を真面目に変える術を持っていない。
「みんな横並びで、県内からでちゃいけません」
「いい子を育てましょう!」
「機会は平等であるべきなのです」
であるなら、部活動を課外授業とは呼ばない。そんな甘いことは、学校の授業で学べるようになっているからだ。強さと勝利を二の次にする「部活動」に教育的価値はないのである(暴力暴言等はいけません!!)
終わりに
以上から
部活動の教育的価値は、強さの追求の先にある
というのが私の主張だ。
その理論に則るなら、強さを極限まで求めることもまた正しいのである。
だから野球留学も正しい選択の一つと言える。教育的価値からも逸れている問題ではないことを理解していただきたい。実際に体験すれば分かると思う。野球マシーン(便宜上こう表現する)になることで、学べたことも多いと、筆者も感じている。
指導者・学校側も無理して「教育ガ……」とか見苦しいんですよね。
ガンバレ高校球児!!
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