声を誰かに委ねるな


パブリックアートは、平均点が取れなくても
皆が受け入れられなくてもいい
良くないという声があがったなら、「じゃあどうしたらいいか」という議論ができる
だから「声がうまれること」が大事だ


今日、イムズであったトークイベントでそんな話が挙がり、
"アートの役割は問題提起"だと、思い出したように改めて感じた
(確か BEPPU PROJECTの山出さんがおっしゃっていて、その時すごく腑に落ちた言葉だった)

わかりやすいものだけで溢れていると、
もしくは わかりにくいものを「わからない」と知らんぷりしていると、
想像力は育たない
そして知らない間に、ほしくない社会になっていく

想像力があれば、一見なんてない景色にも変化や違和感を見つけることができる
そしてそこで声をあげれば、もっと多くの人が気づけるんだろう


私は声の大きい人を勝手に代弁者にして、甘えてないだろうか
小田急の事件しかり オリンピックやコロナ関連の政治しかり
おかしなことに声をあげよう、怒りを示そう


素敵なことには素敵だと
こんな社会にしたいと声を大にしよう

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