【エッセイ】 アレキサンドライト
ジュエリーやアクセサリーが好きな人は一度や二度、本物の宝石に憧れたことがあるんじゃないだろうか。ダイヤモンド、ルビー、パール、etc… いろいろな種類の宝石があってそれぞれに特別な輝きを放っている。そしてその輝きがジュエリーになるとそれぞれに特別な物語が生まれる。亡くなったお母さんの形見のダイヤの指輪、おばあちゃんの代から受け継いできた翡翠のブローチ、初めてのボーナスで買ったサファイアのネックレス。その物語はジュエリーの価値以上に持つ人の心を豊かにするのだと思う。
私にも憧れている宝石があった。アレキサンドライトだ。昼はルビー夜はエメラルドと言い表され、日光の下では緑色、灯の下では赤色に輝くロシア原産の天然石だ。
アレキサンドライトとの出会いは唯川恵著作の小説「愛には少し足りない」の中で麻紗子が身につけていた指輪の石として紹介されたシーンだった。
主人公を翻弄する魅力的なキャラクターが身につける曰く付きの色の変わる宝石、それだけで、当時十九歳だった私はアレキサンドライトという石に強く憧れを持った。アレキサンドライトの指輪が欲しい!麻紗子が付けていた指輪が欲しい!
何かが欲しい時の私の行動力は凄まじいもので、小説を読み終わり涙を拭いながらじんわりと浸っていたのもつかの間で、すぐに手元のスマホで検索をかけた。『アレキサンドライト 指輪』ヒットしたのはダイヤモンドなど他の石で豪華に装飾が施された指輪で、俗に言うと「お金持ち感」があった。価格もびっくりしたもので数十万円から百万円を超えるものもあった。デザイン、価格ともに十九歳の若者にふさわしい指輪はヒットしなかったのだ。このリサーチでアレキサンドライトの指輪は一旦諦めることとなる。
十九歳から数年経ち、二十代前半。相変わらず小説、愛には少し足りないは好きで定期的に読み返していた。夢のまた夢として諦めてしまったアレキサンドライトの指輪は妄想の産物として頭の中に理想的な形で再現され、小説を読む度にイメージの中の麻紗子の人差し指で輝いていた。シルバーの細めの指輪で台座は主張なくシンプルに、肝心の石は小ぶりのラウンドカットでカラーチェンジはドラマティックに。いつしか本物のアレキサンドライトよりも妄想上のアレキサンドライトの方が魅力的になっていった。
そして二度目の出会い、『宝石商リチャード氏の謎鑑定 導きのラピスラズリ』の中でリチャードの兄のジェフリー氏が身につけていたブローチの石がアレキサンドライトだった。ちなみに表紙のイラストに採用された石もアレキサンドライトだった。シリーズはずっと読んでいたのだがアレキサンドライトの登場に歓喜した。
この作品は宝石を題材にした作品ではあったが、好きな小説で憧れの石が登場したことに言われも無い巡り合わせを感じていた。憧れた石がダイアモンドだったらこんな風には感じなかったと思う。
変化が起きたのは二十四歳の一月、転職まで一ヶ月ほど時間に余裕があったので念願の台湾に一人旅行に行った。そこで偶然の出会いを果たすことになる。アレキサンドライトの指輪だ。宝飾店でもなくデパートのジュエリー売り場でもない夜市の露店のアクセサリーショップでだ。
一口餃子を頬張りながら歩いているとアクセサリーショップが目に留まった。台湾の屋台の物価に慣れてしまった私は心の中で値札の価格に約四円を掛け少し高いなと思いながら色とりどりのおそらくフェイクの石がついたアクセサリーを眺めていた。ディスプレイの端に薄い紫色の石のついた指輪があるのが目に留まった。アレキサンドライトと値札に記載されている。日本円で約一万6千円。妄想の中の深い赤色の石ではなかったが、恐る恐る手に取って麻紗子と同じ人差し指にはめてみる。ピッタリだった。
ギャランティーカードもない本物の保証もない、それでも手の届きそうな憧れに手を伸ばさずにはいられなかった。一応店主にUVライトで照らして見て欲しいとお願いすると見せてくれた。薄い黄緑色にカラーチェンジしている。質としては高くないが一応本物なのだろう。もしくは科学の力で本物そっくりのカラーチェンジを実現した贋物か。
憧れる気持ちと本物であるかどうか値段を天秤に掛けて購入を決意した。ビロードのジュエリーケースに指輪は収められ、さらに紙箱に収められるとリボンが掛けられた。意外ときちんとしたジュエリーショップだったのかもしれない。
アレキサンドライトの指輪の入った紙袋を腕に下げて、小さくスキップしながら露店のアクセサリーショップを後にした。まだまだ夜市での晩ご飯を楽しまなければいけなかった。お腹いっぱい夜市を満喫しタピオカミルクティーを買ってホテルの部屋に戻ると上着も脱がず、靴も脱がすにベッドの上で紙箱のリボンを解きジュエリーケースを取り出した。ゆっくりと蓋を開けてそっと指輪を確認する。ルームライトに照らされて淡い紫色の石が控えめに輝きを放っていた。人差し指にはめてみるとやっぱりピッタリだ。
ベッドに寝転がり、手をかざして指輪を眺める。そう言えば麻紗子がアレキサンドライトを買ったのも海外の露店(作品内ではロシアの露店)だったな、などと思い出す。私は憧れに導かれているのかもしれない。
二十五歳になった。あの日のアレキサンドライトは仕事の時も出かける時も私の人差し指の上で輝いてくれている。鑑定はしていない。本物でも贋物でもいい。憧れたアレキサンドライトを身につけて、麻紗子みたいに短命でもかっこよく生きていたい。私を強くしてくれる石、アレキサンドライト。
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