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生まれ育った神奈川なのに知らなかった港町、三崎に出会いました。

生まれて22歳まで住んだ神奈川県川崎市麻生区、18歳のとき出会って23歳で移り住んだ、岩手県陸前高田市広田町。そして、24歳のいま神奈川県三浦市の三崎という港町に顔を出すことになりました。

人の暮らしと海が近いまちのにおいを嗅ぎつけてやってきた。
はじめて三崎で泊まった朝、チャリで岸壁をふらふら回遊した。

船で作業していたり集まってる漁師らしき数人に話しかけてみた。
仲間の船のどこかが壊れているのか、船の上であーだこーだ言い合っている。
陸にいる漁師の口癖「風だから、することなくて暇なんだよ」を聞いた。

70過ぎの漁師さん、いまはもう引退したという。「みさきはマグロで栄えたんですって?」なんて話していたら、熟年漁師の口癖「昔は夜の港で酒のんで遊んだもんなんだよ」も聞いた。昔話のようだが、多分いまも変わっていない。

昨日の夜も中華屋で魚の話をしているおじさんおばさんがいた。ここはまぎれもない、港町だ。

「この世界観は、好きかもしれない」と思う。

三崎には残っている。過去と、時間の累積した痕跡が、まち全体の雰囲気にも残っている。

岸壁のすぐそばにある古い家々。ところどころに、遠洋漁業で大金を稼いで帰ってきた男たちが建てた御殿みたいなのがある。「こういう家、広田(陸前高田の海の地域)でもみたことあるな〜」と眺める。

たくさんの古めかしいものたち。ひなたぼっこ中の猫。
船をとめておく鎖は錆びて、商店街にはひしゃげた軒先テントの布がひらひらしている。

ふと、このまちで、失ったものの面影を追いかけてるような気がした。
こんな景色があったはずなんだ、と。

わたしは陸前高田で、喪失を追体験していたのだと気づく。
いまここにいて笑っている!それでいい!と思って過ごした日々だったから、喪失感ってあんまり感じたことなかったのだが。

誰かの大切なものが目の前から消えてしまったという、まち全体の記憶。じぶん自身で経験をしていないし、わからないけど、想像できること。
なにもなくなった平原を車で走るうちに無意識下に降り積もっていた喪失感が、ここに来て浮き彫りになった。

取り戻しに来ているようで、そっか、こんな感じだったのか、と腑に落ちる感じがした。

ここにはここの、この街並みがまだあって、よかった。と思った。
そりゃあ、この場所だっていいことばかりじゃないだろうけどさ。


震災があり、大小様々な災害があり、コロナもある。でも、今生きている人の暮らしは続く。それをゆっくり眺めたいんだと改めて海を見て思った。


ちなみに〜
三崎滞在中は「泊まれる仕事場 BOKO」という場所に泊まります!ありがたいです。


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