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「健康的な心の境界線・バウンダリー」ってなに?

日本人は、”バウンダリー” =健康的な心の境界線を保つことが苦手な人種だと思います。
「あなたのためだから」と一方的に境界線を越えてくる家族やパートナー、友人。相手の好意にNOと言えない、言ったら失礼だと思われる風潮。

自分の心配を子どもに投影して干渉する親。
他人の問題に勝手に入り込んで、相手に不快感を与える行為。
相手が求めていない(望んでいないもの)を与え続ける行為。
またはそれを許す行為。
これらすべてが家族やパートナーであっても、バウンダリーを超えた不健康な行動です。

海外では、幼少期から”バウンダリー”の必要性を伝え、断ることや、相手にされた行為に対して「嫌だ」と伝えることが、相手の人格を否定する行為ではないことを学びます。

「嫌だ」と伝えることは、相手のした行動や行為に対してであって、相手の人間性や人格を否定しているわけではない。

だけど「嫌だ」と言われた人々の多くは、自分の好意を雑に扱ったとか、自分の人格を否定されたと勘違いをする人が多いように思います。

その感覚と同時に、「察する」や「空気を読む」というデリケートな能力が高いのも、日本人の特徴でもあるけれど…
すべての人々が相手の動向を感じ取れるわけではないし、100%完全に相手の気持ちを理解することは不可能です。

最近では、発達障害やパーソナリティー障害等の精神疾患を持つ人々が増えたように感じます。でも本当は、実質的に増えたのではなく、そのような認知や解釈が増えたからなのかもしれません。(本人が自覚していないケースも多いけれど)

「当たり前」が通用しない時代に入り、マイノリティーの種類や個性も格段に増えて、もはや普通が何かもわからない。

だからこそ、「自分自身を知ること、自分の感覚を知ること」が大切です。
自分が何が好きで何が嫌いか、何をしたくて何をしたくないか。
そして、その価値観はあくまで自分だけの物差しであって、他人とは似て非なるもの!

自分の信じているものと相手の信じているものは別のもの。
だから私は他者と関わる時、
「自分の信じているものが、相手にとっての真実とは限らない」
と頭の片隅に置くようにしています。
自分の価値観で相手を縛ったり、(相手にとって)行き過ぎた言葉や行動を取りたくないからです。

相手の立場や自分の真実を知っていれば、
”少しくらい相手に寄り添って、話を聞いてあげたいときもある。”
”好きなことじゃないけど、この人となら楽しめるかな。”
”これ以上OKを出し過ぎると、お互いにとって良くないな。”
という歩み寄りや境界線を引くことができるし、自分の欲求や感覚に耳を傾けることができたら、人間関係の可能性だって広がってくると思います。

相手がされて不快なこと、嫌なことを知ることは、相手の好きなものを知ること以上に大切なこと。

だから人間関係において”質問すること”は、最上級の愛情表現だと思います。

「あなたの嫌いなものは何?苦手なものは何?」
質問されて嫌な人なんていないはずです。
自分の頭の中で勝手に相手の人間像を構築するのではなく、相手に”聞く”というコミュニケーションによって、相手を正しく知ることができます。

相手との一体感や価値観の一致、すべてを受け入れることが愛ではない。

相手と自分の健康的で誠実な距離感を尊重することが、もっとも自立した愛ある人間関係ではないでしょうか。


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