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わたしの意識の形。

わたしの意識の根っこ、おそらく魂に近いレベルでもっている感性がある。

今までの人生を振り返ってみるに、自分のなかでいろいろなこだわりがあるのだが、そこの根っこを探ってみるとどうも『形』のようだ。

中学時代。なかなか恥ずかしいが、当時、クールビューティーに憧れていた。あまり感情を表さないほうがかっこいいと思っていた。

ええかっこしいである。なので、今もそうだが、自分自身の在り方にこだわりがある。身体のライン、服のライン。ネイルの形。持ち物のセンス。かと言って、性格が怠惰なので、そこまで完璧にしているわけではないのだが、自分のセンスに納得がいくととても安心する。

言葉で傷ついてた経験があったので、言葉はすごく大切だと思っている。言葉のニュアンスや表現にすごくこだわりがある。欠点はこだわりすぎて、文字数が多くなりがちになるところだが。言葉も『形』だ。気持ちを伝えるための『器』。だから美しくきらきらした、古めかしい表現が好きだったりする。

メンクイでもある。筋肉や男性の身体の筋感も好き。身体のラインはほどよい筋肉がついてたほうがいいに決まっている。

世界の絶景。海外のおしゃれサイト。花と緑。インテリア。美人。

宇宙やこの世界の全体像に関係する話が好き。量子力学、信仰、エイブラハムやバシャール。世界の全体がわかることはとても楽しい。宇宙と人の脳は不思議なことにとても似通っている。きっと、この世界はすべて完璧につくられている。この世界の『形』を知ることで、自分自身の生き方が分かるような気がしている。

わたし自身の理想とする『形』があるので、何か間違いを指摘されたときに不完全な自分にフォーカスしてしまい、苛々してしまったり、泣きたくなるのがたまに辛い。

けれども、悩んだり、傷ついたりしたけれど、この感性のおかげで今がある。

文章を書く場所も、完璧なるええかっこしいで、このnoteを選んだのである。

今は、自分の感性を美しいと思える。

わたしの意識の『形』のお話し。

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