日記を書くということ カメラを通して

幸せとは素敵な思い出を積み重ねることだと思う。

私は毎日色々なことがあったはずなのに、すぐ忘れてしまう。
もしかしたら脳が都合のいい形で覚え直してしまっているかもしれないし、苦しかったことしか思い出せなかったりする時もある。
だから楽しかったことは積極的に刻む方がいい。

今を生きすぎて振り返らずに走っていくと、ぽっかりと穴が空いていたりする。
だから、文字を手がかりに思い出すきっかけをくれる日記はすごいなぁと思う。
記録していないと正確に伝えることができないので日々の記録は大切だ。

人生の積み重ねを、1日という区切りで整理する。

豊かさとは人生を覗けることだ。
覗ける人生が多ければ多いほど面白くなる。
今生きているヒトの人生は、行き渡った教育と普及したさまざまなタイプの記録媒体によって圧倒的に残しやすい。
私が書くnoteも日記の側面がある。

カメラ

子どもを撮影しようと思って買ったOLIMPUSのデジタル一眼レフカメラを、久しぶりに首にかけたらずっしりと重く、数分で肩が凝った。

すぐに首から外したい衝動に駆られたそれを嬉々として使っていた彼は
「カメラは重くないけれど、レントゲンを撮ると首の骨が変形しているみたいです。」
と言っていた。


私の持っているカメラより確実に重いと瞬時にわかる大きめのレンズ。
背中のリュックには何かがぎっしりと詰まっていて、三脚がはみ出ている。

予期せずカメラマンと出会ったけれど、毎日色々な人を撮っている彼は幸せそうだった。

カメラはいい。
切り取られた世界がそのまま残る。
その瞬間の出会いや面白さや感情を、文章で書き残すよりも手軽に保管できる。

最近の私は毎日、携帯のカメラで世界を切り取っている。

切り取る習慣のなかった過去と比べて、切り取ろうと思う瞬間が多くある今は幸福だ。


写真や日記は見返すことで意味をなす。

反芻能力が高い彼は、何度も何度も記録を見返すことでとても深くまで味わっていた。
とても美味しそうでいいなぁと思う。

今日もご飯が美味しかったな。
また美味しく食べる時のために、今日も少し残しておこう。

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