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ひょん no 気 vol.3ココロとカラダの栄養??

心の栄養と体の栄養 身体 心 命 カラダ 生命 ココロ

「ひょん」はいつもひょっこり顔を出す。
大抵、私の「ひょん」の餌食になるのは夫だ。

【人間には 心の栄養 と 体の栄養 が必要。
  そしてそれらは、両輪としてバランス良く回転することが望ましい】

そんな事を考える。

宗教があったり、祭りがあったり、
月の動きや暦における滋養を考えた食べ物や
何かを仕込むタイミングもそうではないだろうか。

暦 を想うとき、自分の中のちょっとした納得感があった。
暦は 日本で言えば イネ・米 の収穫に作用すると…父ちゃんは言う。
それは 生命 と直結すると。
命の豊かさは、心の豊かさでもある。
その逆も然りだ。

狩猟生活であれ、農耕生活であれ、
四季の移ろいによる生命の営みの流れから得る恵みも
植物たちの成長プロセスを意識し、種を蒔き季節を越えて得る恵みも

全ては、命を繋いでいくこと。

災害が起きたり、予期せぬことが起きたり…
様々な要因に対してタイミングを逃せば死を強く意識したことだろう。

不安を打ち消すために祈祷をし、祭りをする。
感謝や命あることに これまた祈祷をし、祭りをるる。

目に見えぬ恐怖に、言葉を用い、図形におこし、御守りとする。

身体 も 心も 命だ。

生命それを考える時、身体と心に自分はどんなアプローチをしてきただろうと考える

謎は謎をよぶ。

この文章も全くまとまる気配がない。

ココロで感じることと、カラダで感じることを意識して分け考えていくことにはとても根気がいる。
でもこの感覚の違いを意識できた時、自分自身がこの体と思考とを動かし
『生きる』ということにまた違った世界の捉え方ができるように想う。

まだまだ探るということの入り口に立ったばかりだ。


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