『ほしあいのカニ』第2章前半~中盤


第2章

2-1:夜に聴いたバッハの旋律のせいで、
2-2:マイ・ブロークン・バレンタイン
2-3:コーヒーと(シロップ、と)ハチミツ
2-4:二十四の瞳と祈り
2-5:『ドイルとトリニーの事件簿』
2-6:We seem to be crazy?


2-1:夜に聴いたバッハの旋律のせいで、

その夜はまだ仄暗い。
暗がりの中、窓の近くに液晶の僅かな灯りが見える。
彼はスマホを眺めていた。
透かし見えるそのメッセージ。

”荷物はもう運んだから”
”カギはポストに入れてあるよ”
”じゃあ、さよなら”

思い出したようにネオンサインが照らすのは、
彼の横顔と窓に取り付けられた縦格子の影。
寂寞をかき消すように――あのカニの着ぐるみが語りだす。

女1「御社を志望した動機は、わたくし、
   御社のマーケティングスタイルに大変感銘を受けたからです!」

彼女がせっかく脱げたカニの着ぐるみをまた来て現れた。

男1「――あ、これ、夢だわ」
女1「どの商品も素晴らしいとは思うのですが、特にこのカニの足の付いたボールペン!」
男1「うわ、使いづらっ!」
女1「SNSのネタを強く意識し、実用性をあえて全く無視した精巧な作り!」
男1「いや一発ネタじゃん」
女1「誰もが持ち歩いているコモンなボールペンに付加価値を持たせるという逆転の発想!」
男1「持ち歩きにくいし」
女1「利益を度外視し広告費と割り切った大胆な価格設定!」
男1「でも喰えねぇし」
女1「カニを通して社会に対してインパクトを与え続けようという姿勢に感銘を覚えました!」
男1「ってかさっきからカニ推しすぎだよ」
女1「(男1に)きぃっ! 食べることがすべてではない! カニはカニで至高の存在なのだ!」
男1「……」
??「なるほど、大変よく分かりました。では次の方はどうですか?」

彼と彼女の視線の先にいるであろう、姿の見えない誰かが、話しかけてきた。

男1「えっと……私? 私は、私が、御社を志望した動機、どうきは……お金が必要だからです。だから時間とお金をトレードオフします。できれば適正なレートがいいです。なりたい何かがない私には、よくある社会人にならざるを得ないからです。だから自分を高める気はありません。
   普通でいいです。普通がいいです」
??「あなたの言う普通とはなにかな?」
男1「えっ?」

『男性に生まれたからには女性に恋をして付き合い、セックスをすること?』

男1「……」
女1「せんせい!」
??「先生じゃない。設定的には面接官であり、宗教的指導者です」
女1「この方、あまりにもカニへの愛が足りないと考えます!」
男1「いや、正直、カニとかどうでもいいでしょう」
??「確かに、彼にはカニ愛が足りないようだ」
男1「カニ愛?」

『この世には必要ない。消したまえ』

女1「はい!」
男1「えっ?!」

彼女は隠し持っていた包丁を出し、彼に向かって構える。

男1「えっ? ちょ、ちょっと、夢とはいえ刺されるのは……」

末期の祈りを待つことなく、勢いよく彼を刺した。

男1「そ、そんな馬鹿な……いや、ばカニ?」

崩れ落ちる彼、世界は生気を失うように昏くなっていき――


2-2:マイ・ブロークン・バレンタイン

床に突っ伏して倒れていた彼は、はじかれたように目を覚ました。
彼の周りに小さな灯りがともる。

男1「……夢か……夢か?」

彼はまだテーブルに置かれたままの包丁を見つけた。
ただ物憂げにそれを見つめている。

『普通に産んで、普通に育てたつもりよ――なのにどうして』

女1「きりんぐみーーーそふとりーーーー!!」
男1「?!?!?!」

その叫びとともに明るくなった部屋。
再び彼女が起こした世界の中で、当人はテーブルから少し離れたベッドの上にいた。

女1「……あれ、私、なにか言ってた?」
男1「……叫んでた。『きりんぐみーーーそふとりーーーー!!』って」
女1「? あなた何言ってるの?」
男1「こっちのセリフだよ! 何かヘンな夢でも見てたんじゃない?」
女1「ん~~なんかカレシの遺骨を奪って悪の組織から逃げまわる夢?」
男1「そりゃまた随分と壮絶な」
女1「でもおかしい。私、カレシなんていたことないのに」
男1「そりゃまた随分と大胆な」
女1「カミングアウト~年齢イコール彼氏いない歴~(笑う)」
男1「……」
女1「笑いごとじゃないわよ」
男1「オレ、笑ってないわよ」
女1「海に散骨したアレは誰の骨だったのかしら??」
男1「いや、あなたの夢の中の話は知らないけど……会話ってキャッチボールなんだと思うんだよね」
女1「ああ、そういえば、なんだか顔色悪そうけど、大丈夫?」
男1「……うん、大丈夫――」
女1「あ、コーヒーでも飲む?」
男1「いやここ自分んち」
女1「分かってるって……あ、2人分ね」
男1「……」
女1「……」
女1「あ、今、メンドクサイ女とか思ったでしょ? ダメよ~女はしたあとの行動をちゃんと見てるんだから優しくしないと」
男1「って誰が言ってたの?」
女1「本に書いてあった」
男1「……コーヒー淹れてきます」

彼が部屋から離れたスキを見て、彼女は着替えはじめ――

男1「やっぱりブラックでも大丈夫?」
女1「ヒャッホー!!」
男1「あの……服着るならそう言ってくれればいいのに」
女1「はい」

再び彼は部屋を出ていく。

女1「あ! これはね、あの、ほら、オーディションの日は、ノイズが出ないような服にしなきゃいけなくて……でも寒いじゃん?」

彼女は彼のいなくなったキッチンと思われるほうに向かって言葉を続ける。

女1「……えっと、つまり――」
男1「便利なんだね『ババシャツ』」
女1「ちょっと!」
男1「別に、便利なものを着ればいいと思うよ、名前はちょっとアレだけど」
女1「ババシャツ、ババ抜き、鬼ババア、あたしゃ世間の嫌われ者かねぇ」
男1「そんなにお年召してましたっけ?」
女1「やだわ、おじいさん、あたしゃ『永遠の17歳』ですよ」
男1「……」
女1「……ごめん、ネタが分かりづらかったわよね」


2-3:コーヒーと(シロップ、と)ハチミツ

彼はカップを2つ持って戻ってくる。
ひとつにはスプーンが入っている。

男1「いや、別に気にしてないから」
女1「……ちょっとは、気にしてほしいかなぁ」

彼女はコーヒーをゆっくり口に運ぶ
その様子を見て、彼はポケットから何かを取り出してテーブルに置いた。

男1「これ、どうぞ」
女1「何?」
男1「はちみつ」
女1「えっ? ……なんで?」
男1「ブラック、苦手そうだから」
女1「えっ? ……なんで?」
男1「いや、常温保存だから」
女1「いやいや、そうじゃなくて」
男1「いやいや、大丈夫だから」
女1「大丈夫ぅ?」
男1「あなたの言う『大丈夫』よりは大丈夫」

そう言うなり、彼はカップにはちみつを注ぐ。
ダイレクトに。

女1「ああ! いい、大丈夫、OK?」

彼女はコーヒーカップを睨み付けている間にも、
彼は彼女のスプーンを使ってクルクルと回す。
そして、どうぞと促す合図。
彼とカップを交互に睨み付けるが、意を決したようにコーヒーを口に運んだ。

女1「!!(男1の身体をバンバン叩く)」
男1「痛い痛い」
女1「これ、はちみつでしょ?」
男1「ええ」
女1「入れるでしょ」
男1「はい」
女1「飲むでしょ?」
男1「……」
女1「美味い!」
男1「いや、なんのCM?」
女1「すまん、私の語彙力ではっ!」
男1「言い過ぎだと思うけど。まぁがんばれ食レポ」
女1「ん~ほろにが甘くて、微かにハチミツの香り」
男1「これはオレも教えてもらったやつだから」
女1「ふ~ん……あ、でもこれ甘さが最後まで口のなかで主張するね」

2-4:二十四の瞳と祈り

男1「……ところで――」
女1「あっ!」

急に立ち上がって壁のほうに駆け寄る彼女。

女1「ねぇ、これなぁーに?」
男1「これってなぁーに?」
女1「この壁一面に貼ってある紙」
男1「ああ、お祈りの紙」
女1「え゛っ?」

まじまじと壁を見つめる

女1「あ! ああ、そういう意味か……新興宗教か何かかと思っちゃった」
男1「まぁ、似たようなものかもしれない。何かに所属していないといけない信仰?」
女1「……でもまたなんで壁に貼ってるの? ご丁寧にメールをプリントしたものまで――」
男1「モチベーションかな。やる気が起こるでしょ、今度こそって」
女1「ふ~ん……大変だよね就活、私はやったことないけど」
男1「似たようなもんじゃない、オーディション」
女1「そうかなぁ?」
男1「そうだよ、用意したセリフを上手にしゃべるところとか。あなたは用意された台本を読むんだろうけど」
男1「(何か言おうとするのを制して)あ、そういうのいいから」
女1「……何枚あるの? このお祈りの紙」
男1「何枚だと思う?」
女1「(皿を数えるように)いちまーい、にぃ~ま~い」
男1「分かった分かった……あなたがオーディションに落ちた回数を教えてくたら教えてしんぜよう」
女1「ぐっ……ここにきてえぐってくるわね……まぁいいけど。
   ジャック・バウアーが事件を解決するのに必要な時間と同じよ」
男1「ジャック…………」
女1「(ものまねのモノマネで)覚えてねぇのかよクソぅ!」
男1「……『24』! トゥエンティ・フォーだ!」
男1「えっ(女1を指さして)トゥエンティ・フォー?」
女1「トゥエンティ・フォー」
男1「トゥエンティ・フォーぉ?!」
男1「……(壁を指さして)トゥエンティ・フォー」
女1「(壁を指さして)トゥエンティ・フォー?」
男1「(自分を指さして)トゥエンティ・フォー」
女1「(男1を指さして)トゥエンティ・フォー?!」
男1「(自分を指さして)トゥエンティ・フォー」
女1「ちょっと待って! ちょっと待って!
  『トゥエンティ・フォー』なんて使わない一般名詞が渋滞起こして混乱してきたわ」
男1「確かにちょっとゲシュタルト崩壊起こしかけたけど、それより――」
二人『同い年なの?!』
二人『絶対年下だと思ってた!』
二人『ちょっと、それはこっちの――』

顔を見合わせ、一度呼吸を整える二人。
タイミングをみて彼が口を開く。

男1「……ほんと、こういう時だけ息ぴったりだよね」
女1「お見合いなら加点評価なんだろうけどね~」
男1「えっ、お見合いしたことあるの?」
女1「えっと、まあ、いち、人生経験として……あなた絶対大学生だと思ってたのに」
男1「……まぁ似たようなもんだけど……」

第2章後半に続く

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