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「泳ぐ」ってもっと気持ちいいことだと思ってた。

「四捨五入したら40歳」の35歳。アラフォーに差し掛かった店主は、今までやったことがないこと、もしくは、やらなくなって久しくなったことをいろいろ遂行する年にしよう。そう決めたのだった。

プールへ行こう。

そう思った。そう思わざるを得ないほど、今年の北海道は暑すぎた。周りの友人や知人から立て続けに「町のプールに行ってるんだけど」という話を聞いたことに影響を受けたし、万年ダイエットをしている身としては「泳ぐのは消費カロリーが高い」というお得さも欲望に拍車をかけた。

今年の夏くらいから「35歳をどう過ごすか」は計画を練り始めていたので「やらなくなって久しくなったこと」第1弾として「泳ぐ」を決行しようと決めた。

もともとプールの授業は、好きでも嫌いでもなかった。あ。でもあれだ。先生がカラフルな多面体のブロックを大量に投げ込み、子どもたちが狂ったように水中に潜り、それを拾うゲーム。あれは、なんか好きだったな。あれ、ほんと、何だったんだろうな。

特に苦労せずともクロールでなら25メートルは泳げた。フォームが合っているのかは分からないが、平泳ぎもなんとかいけた。小学生のときの話だ。

学生時代に留学から帰ってきたあとに何故か家族で伊豆の海に行って、6年前にスウェーデンに行ったときも何故かプールに入った。でも両日ともちゃんと泳いではいない。ちゃんと泳ぐのは、きっと中学生以来だと思う。20年ぶりくらい。

泳げる…のだろうか。

その前に水着だ、水着。水着がない。今後、何度も通うかどうかも定かでないのに、新調するのはためらわれる。なので母に連絡して母が使っていたものを送ってもらった。胸元には当時流行ったハイビスカスのイラスト。恥ずかしい。さすがに水泳帽とゴーグルはなかったので仕方なく買った。4,000円ほどの出費。

そして、9月の初めの某日。

水着に着替えて、温水のシャワーで消毒。プールサイドに足を踏み入れる。

まずは、髪を水泳帽に挟み込んで、ゴーグルのベルトを調整する…ふりをしてプール全体を見渡す。歩行コース、練習コース、完泳コースそして自由に使えるコースと分かれていた。(初めて来て使い勝手が分からない人と認識されるのも恥ずかしいし、歩行コースで泳いだりなんかしたらもっと恥ずかしいので、私は使用方法を入念にチェックするタイプだ)

とりあえず水に慣れるため、歩行コースをゆぅらゆぅらと歩く。水圧の抵抗を感じながら、一歩ずつ前に進んでいく。「そりゃ歩きにくいよねぇ」というシンプルな感想が生まれる。

そして、25メートルレーンへ。

大きく息を吸って、水中に顔を潜らせる。

膝下の力をできるだけ抜いて、足の甲で水を捉え、右、左とバタ足。

肩から腕を大きく回して、推進する。腕が体から離れないように。

「伸びた肘が耳にピッタリつくように」と教わった気がする。

息継ぎは、もう無理と思ったタイミングで。

そうやって、なんとか泳いだ。

今回、何を楽しみにしていたかって、25メートルを泳ぐあいだに私は何を考えるか、あるいは何も考えないかということだった。

25メートルを遊泳しながら思ったのは「生身の人間は永遠に水の中では生きられないだろうな」ということだった。


あたりまえすぎる。

私が二十年ぶりのプールで感じたのは、ただ泳ぐという行為に夢中になって水と一体化するというような高揚感などではなく、「この状態があと数分でも続けば、私は簡単に死ねるんだだな」というシンプルな恐怖感だった。

正直、プールは全然楽しくなかった。

(私の生活は、美しく詩的なことばで締めくくれることはほとんどない)

人間は、海のなかへ潜ったり、空を飛んだり、挙句は成層圏を抜けて星と星のあいだを移動しようとしている。生身の身体では、どうにもできないことを技術を使って叶えようとしている。すごいよね。本当に。貪欲。

私は、陸で生きていく。

と、もはや「プールで泳ぐ」とは全く関係のないところまで思考は飛躍した。

余談だが。

そんな私も一瞬だけ、恍惚の瞬間を迎えたときがあった。

たぶん私が行ったプールは有線で音楽をかけていたのだと思うのだが、私が大好きな大好きなBTS(防弾少年団)のジョングクが歌う「Seven」が流れてきたのだ!

Monday, Tuesday, Wednesday, Thursday, Friday, Saturday, Sunday
Monday, Tuesday, Wednesday, Thursday, Friday
Seven days a week
Every hour, every minute, every second
You know night after night
I'll be lovein' you right
Seven days a week

その瞬間だけ、私は本当に心地が良かった。

大好きなぐぅちゃん(と呼んでいる。ツッコまないでください)の美しい声が耳に届き、首から下を水中に預けたとき、もう私は本当に頭も心も体も全部ふわふわしていて、「ア〜シアワセ~」と、溶けてなくなってしまいそうだった。

1時間3,000円くらいで「好きな音楽を流せます!」みたいなオプションがあったらすごくいいと思う。イヤフォンで独り占めするのとはまた違う、会場全体を包み込むように反響する推しの歌声。

そういう全くもって単純なことで、私は幸せを感じた。

空を飛ばなくても、水中を潜らなくても、月に行かなくても、推しの届けてくれる音が、北海道の片田舎にいながら私をどこへまでも連れて行ってくれる。そういえば、人間は想像力でどこまでもいける、とか何かの本で書いてあったな。あ、また思考が飛躍している。

遊泳中から普段全く使っていない肩周りが悲鳴をあげ、数日は痛みに苛まれた。今までこんなところ筋肉痛になった記憶がない。体重は落ちなかった。

たぶん、もうプールには行かない。



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