コミュマネゼミを終えて~これまでとこれから
先日、8月10日に3か月間のコミュマネゼミを終えた。
せっかくなので、コミュマネゼミを通じた感想と今後の想いについてnoteを書くことにしました。
コミュマネゼミの感想
非常に良い経験が出来たというのが率直な感想です。
まず、参加者としてコミュニティに対する熱量が高い人が多い!!
Poolo関係のコミュニティからの参加者を中心に、コミュニティ自体やコミュニティをマネジメントすることに関心があるような、コミュニティに対する熱量を持った人が多く、そんな人々がコミュマネゼミというコミュニティを盛り上げるべく活動しているからこそ、コミュニティの熱量も必然的に高くなる。
年齢もこれまでの経験も異なるそんな人たちに囲まれて活動することで私自身としてもポジティブな影響を得ることが出来ました。
さて、コミュマネゼミでの主な活動は、講義とチーム活動です。
講義では、前線で活躍されるコミュニティマネージャーである講師の方から、個々の考えるコミュニティについてやコミュニティをマネジメントする為のアイデアを学ぶことが出来ます。
コミュニティの設計やコミュニティにおいて大切なことなどのヒントを得ることが出来ました。
ただこの学びに関しては、まったく新しいアイデアというよりは、自身がコミュニティと関わる中で無意識に取り組んでいたこと、何となく感じていたことをきちんと言語化してくれているような内容であったというのが正直なところです。
とはいえ、自分の中でまだまだきちんと落とし込めているわけではないので、見直しながら、自分のものにしていく為の時間を取る必要があると感じています。
チーム活動としては、オンラインでのイベントを実施です。
簡単にまとめると「仲良くなれるイベント」という余白と考える余地の多いテーマであり、そしてチームで共創する必要があることから、うまく方向性を揃える必要もあり、かなり難しかった。。
ただ、その結果、チームとして生み出した回答は「ゲームをする」ということでした。この取り組みはかなり面白かったと思っているし、アイスブレイクや関係構築のきっかけとしてのゲームの可能性を大いに感じました。
一定のルールに縛られたうえで共通の課題に向き合うからこそ、
ゲームを取り組む姿勢には普段以上に人の考えや性質が表れやすい。
また、少人数でゲームを行うこと自体が、小さな規模でのコミュニティ活動だ。だからこそ、ゲームを行うこととコミュニティマネージャーとしての活動はそう遠くないというのが、チームとしての結論です。
ちなみにこの時に自己流で生み出したゲームが100です↓
https://note.com/a_tsukan/n/n40086f5ca092
さて、コミュマネゼミを通じて、コミュニティについて、コミュニティマネージャーについて体験しつつも考えることが出来ました。
そして、自分の中で思っていた自身の過去がコミュニティマネージャーとしての活動や在り方に大きな影響を及ぼしているということも改めて実感したので、その点についても触れていきたいと思います。
コミュマネに繋がる自身の過去
唐突だが、最近、私はとある自論を唱えています。
この自論はコミュマネゼミに入って以後、コミュマネゼミの他の参加者や実際にコミュマネとして活動をされている方を見て、思ったことです。
それは、コミュマネとしての性質や在り方は人によって千差万別だが、その性質や強みの背景には、その人の過去の経験が、それも過去のネガティブな体験が活きていることが多いというものです。
ある人はこう言っていました。
自分が一人ひとりを大切にして行動しようと思うのは、自身が阻害されていた過去があるからであると。
ある人は、自身が苦手にしていた元々行っていなかった企画にコミュニティ内で挑戦をしたと言っていたが、結果的に企画をして回す側に立っている。
そんな中で自分のバックボーンにあるのは何か?
それは間違いなくポジティブだけでとらえられない大学時代の競技ダンス部の主将としての経験だと思っています。
大学時代の競技ダンス部で縁あって主将をしていました。
主将になったのは、2年生の時に当時の幹部の人たちと話をしている中で
「あつかんしか主将を出来る人がいない」という言葉を貰い、なんだかんだで主将をすることになりました。
強いて言えば、他の同期より、周りの意見を受け入れる余地はありましたが、元々特別リーダーシップを発揮するタイプではなく、また、私自身、ダンスは好きだが、特別うまいわけではありませんでした。
同期は少人数ながらも全日本大会で成績を残す等、輝かしい活躍をしている中、何も持たない自分に何が出来るのか?大いに思い悩みました。
実際に後輩からの信頼の無さは感じたこともあった。私に何かを教えてもらおうと考える人はいない。態度から伝わってくることもある。
4年の夏に自分が無力すぎて情けなくなって打ちひしがれたこともありました。それでも私が主将なのだ。
自分に何が出来るのか?ひたすらに考え続けていました。
その結果、見出したのが「部員を誰よりも応援し、共に走る」ことでした。特に上級生になるほどに1年生まで見ていることは少ない。
だからこそ、同じ目線に立って接することを選択した。
後輩たちの活躍を誰よりも応援した。
最後の大会の時には、部員全員に手紙を書くなんてこともした。
結局、一度も個人で実績を残すことはありませんでした。
そのことも引きずってか、私自身、ダンスは好きだが「もう出来ない」と思っています。それは自分が定められた時間の中で何も出来なかった無力さを感じるから。
ただ、主将として思い悩みながら走り続けた先に得た「何か」は、
今の自分をそのまま作り上げています。コミュニティを盛り上げる・コミュニティを支える立場として、大いに役に立っている。
だからこそ、決して無駄ではなかったと思っています。
コミュマネゼミの講義の中で感じた「自分の中で考えていたことの言語化がされている」とは、部活に対して出来ることを考えていた中で自身がたどり着いた思いやアイデアが形になっている。そう言ったことなのだと思っています。
コミュマネとしてのこれから
コミュマネゼミ、そして現在のスラッシュワーカーズでのコミュマネ体験を通じて、コミュニティマネージャーとしての取り組みは、自身が主将時代にもがいた経験を活かしつつ苦なく取り組める、自分にとって才能や天職に近いものだと感じています。
コミュニティが良い方向に向かっていくために、
個々に働きかけるし、企画立案するし、コミュニケーションをとる。
そういったことは好きだし、苦も無く取り組める。
だからこそ、コミュニティマネージャーとしての仕事はしたい。
副業として出来るのであれば早急に。
また、コミュニティマネージャーとしての立場は自身が以前より漠然と抱いていた理想に近づく1ピースでもあると思っています。
ぞの理想とは、
「色々な人が自分の理想に向かって進んでいく中で自分の出来る限りでサポートをして、一人ひとりが理想を実現していく姿が見たい」
というものです。
私自身、もともと自分の中でしたいことがあるわけではないです。
一方、自分の適性は人をサポートすることで力を発揮する傾向にもある。
また、人のサポートをすることで自分だけではたどり着けない夢の先が見られるのではないか?
そんなことを思いつつも実現させる術はわからなかったのですが、
コミュニティを通じて、この理想に近づくことは出来るかもしれない。
そう考えたときに、おそらく、私自身にも多大なきっかけをくれたPooloにコミュニティマネージャーとして参画をすることは自身の理想の実現に近づくための一歩だと思います。
もっと先を見据えると、オンラインだけでなく地域や土地に根付いた関係性を構築する。そうして紡いだ縁を通じて、自身の生涯を通じて支えあえるような、繋がっていられるようなそんな関係性を築くことも自身の理想です。
自分の中での確固たる進む道はいまだ見えたわけではない。
ただ、コミュニティマネージャーとしての在り方は、自身の理想に近づくための大きな一歩であると思っています。
だからこそ、ただ学んだだけで終わらずに、コミュニティマネージャーとして活動する。それがコミュマネゼミを経て、私が進むべき次なる一歩に違いないと締めくくったところで筆を置こうと思います。
後日談
大学時代の部活に関して少しだけ後日談を。
私自身、引退後は部活に関わることは辞めようと思っていたのだが、コロナをきっかけに再び顔を出すこととなった。
コロナを通じて約1年間の空白が生まれてしまったことで、OBOGとの関係が途絶えてしまい、部員も一時的に減少、結果として、部活を守る大人の存在が不在となった。シニア層のOBの皆様の対応をするのは、コロナを経て、人との交流の機会も減ってしまった今の大学生たちだけではあまりにも重い。
そんな今の現役の部員たちを守る為、今でも陰ながら奔走している。
そんな中で形もまとまりもなかった大学の競技ダンス部のOBOG会を形のあるものにしようという動きもある。コミュマネとしての学びを活かす先として、このOBOG会を築き上げることにも取り組んでいきたいと思っている。