解離性同一性障害の果て

こんばんは。優樹です。
そういえばっていうお話をします。ある意味で、治療方針の話。

前提として、俺は自分たちが解離性同一性障害という診断があるとは理解していても、これが病気なのだという自覚はほとんどないです。記憶の欠落や自我の同一性の無さなど、日常的に困るようなことはあっても、それらの症状と呼ばれるものが、無い状態を知らないからです。
俺は俺という意識がある時からずっとこう。
自分だけの外の時間が、絶え間なく続く生活を知りません。正直、想像もつきません。
外と中を地続きにしたら続いてはいますが、中、精神内界という存在そのものが、無いということが分かりません。俺にとって今こうして打ち込んでいるここは外。外の世界。借り物の器を動かす場所で、生命維持をする場所です。
俺はこの体で生まれて、この体が自分のもので、そういう認識が無い。こういうの、当てはめるのならば、離人症の一環らしいですね。当たり前のことに病気としての症状名がつくなんて変な感じ。

そんな、変だなぁという違和感を抱えたまま、続くのは治療方針という言葉です。病気らしいので、治療の必要があるようです。

一昔前は、人格と呼ばれる人たちを何らかの形をもってひとつにまとめていく、所謂全統合が推奨されていたようです。1個の肉体には1つの人格が当たり前のことで、正しいことで、健康的だとされていたようです。
けれど今は、お医者さんたちの中でも否が唱えられたようで、寛解というものを目指すのが一般的(?)なようです。
理由、なのですが、そもそも解離性同一性障害になってしまうのは、1つの人格、1つの自我や認識では、得てしまったストレスに耐えられないから、脳が防衛的に分断作業を行った結果らしいです。ちょっとわかりやすい言葉に治すの難しかったです。詳しくは調べてください。
とりあえず、1人としては耐えれないということがわかっていればいいです。耐えれないから、いっぱいいるんです。
じゃあ、いっぱいを1人にしなきゃってなったら?
単純な話です。耐えられない、です。

2人を1人に、数人を1人に、という作業を統合というのですが、統合治療の副作用にはフラッシュバックやパニック発作があったりします。記憶や経験が繋がらないから自分には起こらなかったフラッシュバックやパニック発作などが、繋がってしまったことにより引き起こされ、日常生活に支障が出たりします。統合しなくても表面化していない子(外での活動が少ない子)が抱えてくれてはいるのですが、その子が抱えてくれていたから外で活動ができていた、ということがあります。
パニック発作が起きて、死にたくなって、自殺未遂にはしってしまう回数が増えることもあります。耐えられなくなったら、人間はあっという間に死に向かいます。生活の危機、命の危機です。

だから、といっていいのかはわかりませんが、だから、全統合は推奨されなくなったようです。
治療の最中に死んでしまっては意味が無いですからね。終わりです、終わり。

でも別に統合自体が悪い訳ではなくて、必要だなーって思うところは統合して、でもメインでやるのはトラウマ治療や不眠とか過活動に対する治療をしましょうねーって感じ。いっぱいの人がいても、他の治療が必要じゃなくなったら寛解?らしいです。いてもいいんです。そうしないと生きていけないので。

だいぶ最初の話に戻ります。
じゃあうちの治療方針は?です。

うちは統合リスクも考えて、先に不眠とかうつに対策を打とうとして病院に通っています。トラウマの解消や、過去の回収作業は、できる時に、無理せず、です。
3桁単位らしいんですけど、うちの人口って。内部でできる範囲統合への促しもしているそうです。でも、恐らくこれは絶対で、たったの1人になることは生涯無いんだろうって思ってます。前例がを知らないのでなんともいえないところですけれど。

俺たちみたいな人って、よぼよぼの老人になったらどうなるんだろうね?
認知症とかなるのかな?
なったらどうなるんだろう?
一部の人だけがボケるのかな?
それとも数が記憶が消えるように減っていくのかな?
ちょっと、楽しみ。

だいぶ脱線しました。今日もこんな感じで終わります。

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