タヒねない社会 | タヒのは逃げなのか
漫画、アニメのヒーローは敵に向かって「タヒねー!」と叫びます。日常生活で子ども同士の喧嘩で「タヒねよ」という言葉を口にします。先日も「タヒんでください」とXに投稿したYouTuberが炎上しました。
わたしが見えてないだけかもしれません。それなら良いのですが、頻繁に「タヒね」という言葉を聞くのとは対照的に「生きろ」は聞きません。生きるのが当たり前だからでしょうか。生きるのが当たり前だから、当たり前でない「タヒ」という言葉を口にするのでしょうか。
わたし自身、これから生きていくことに自信もなくかといってタヒする一歩も踏み出せず、宙ぶらりんです。
何が言いたいかと言うと、なんでわたしは生きているのだろうということです。生きたくても生きられない人はいます。実際に間近でそう言う人がいました。だからといって、自分が生きなきゃいけないのか。それは別問題だと思います。
辛さから逃れるためのタヒは、果たして逃げなのでしょうか。むしろ辛さと向き合って導き出した一つの結論のように思います。
この社会は「逃げちゃダメだ。逃げちゃダメだ」という言説があります。そして自タヒを逃げと言う人もいます。
正直、そう言われると辛いです。行き場(生き場)がない。あるのかもしれないけど見つけられない。苦しくて苦しくて仕方ない。壁際に追い込まれて心臓は圧タヒ寸前です。
家族からは仕事してない暇人だと思われています。しかし、今日も履歴書、別紙の志望理由書(800字、600字、400字)を書き、朝から書いて先ほど(21:20頃)ようやく2社の目処が立ってきました。明日書き上げたら確認して郵送します。お祈りメールはやめてくれよ。そう祈りながらポスト投函します。
本当は明るいことを書きたいのです。幸せなことを綴りたいのです。でも現実はいまも吐き気があります。気持ち悪い。頭も痛い。精神的なものです。四六時中こうですから。おまけに明日が来てほしくない。チャットも見限られて悲しみと寂しさ、もう人生を詰んだという負の感情で押しつぶされそうです。
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