鏡の中の僕

11/27 【自分らしさを思い出した話 読んでくれると嬉しいです】

おはようございます。先生、これはちょっと大事なので流し読みだけでもしてくれると嬉しいです。
今日は朝からすごく体調が良くて、昼間から人と会って話さなきゃいけない日だったんです。付き添ってくれたのが市役所の手配してくれた方で凄く親しみやすくて、私の話を積極的に聞いてくれます。
今日の私は個人的に80点代をつけられるくらいうまくやれました。市役所の人にも凄いすごいって、この中の誰よりも大人でしっかりしてるって馬鹿にしてんだかなんだかよくわからないことを何回も言われて、話を聞いてくれた人もすごく話しやすいし、今までの誰よりも真剣に私に寄り添って話を聞いて説明をしてくれました。
その人に申し訳ないと思ったのかもしれません。自分が凄く窮屈だったんです。話もスラスラできて、言葉も何も問題なかったし、一般的な2⚫歳としてしっかり動けたと思います。
でもなんだかすごく虚しくて、心の中で空笑いしてる私がいて、聞こえたわけじゃないんですが、お前そんな人間かよって
閉鎖病棟の感想を聞かれました。我ながら優等生100点満点の答えを出したと思います。外に出た時のお父さんとお母さんみたいに。市役所の人も驚いてて、上手くできたと思ったのに、私の心に残るのは褒められた高揚感もやりきった達成感もなにもなく、詰まった息苦しい想いばっかりでした。そんな貼り付けたようなような感想を誰が聞いたんだって。私の中の誰がが言ったようでした。これは比喩です。
私優等生でも大人でもしっかりした人間でもなんでもないんです。
むしろ根本にはそういうのはつくろうものじゃなくて、お父さんとかお母さんみたいに基盤がしっかりなってから自然と出すものだという大変おこがましい考え方があるのを無視できませんでした。
そういう価値観の話がしたいんじゃないんです。多分昔の私がなんの障壁もなく育ってたらそうやってやってたと思うんです。自然体で繕わないのがなによりの誠実さだというのがほとんど昔の私のポリシーだったんだと思います。そしてその考えというか、自分は消えてないんだと思います、嘘ってわけじゃないけど、本当じゃないことを張り付ければ張り付けるほど心が窮屈で、褒められても何も嬉しくなくて、むしろ当てつけや皮肉だと思いました。

帰ってきてから私は仮面が剥がれたみたいにいつもの陰鬱とした私に戻って、鏡を見たんです。私がいました。
当たり前なんですけど、今まで鏡をまともに見なかったことに気がつきました。意図的に避けてた節すらあります。自分の顔があんまり自分の顔って認識できなくて

そこには自分の顔がありました。高慢で、自信家で、ナイーブで、堂々としてるのに何故か繊細でしっかりしてると思ったら隙が多くて大雑把で、そんな私がすっかり表情を失った自分の顔がありました。これが自分の顔かと思いました。今まで散々メイクとかで見てるのに変な話です。
鏡に映ってるのは鏡に映ってる自分でしかなくて、私とはリンクしないものでした。それが今日何年かぶりに繋がった気がするんです。

色あせて疲れ果てた、もう辞めたいという顔でいっぱいの自分の顔です。

でもどうしても自分の出し方はわからないんです。忘れてしまったんです。否定されるのが怖いんです。異常者だとか変だって言われるのが怖いんです。
私は元からちょっと変です。なんというか、ちょっと我が強くて……人の思いやり方とか、色んな考え方がちょっと人とは違うのを自分で分かってました。でも前の私はそれを人前に晒すのを恐れませんでした。堂々と人に認められて笑ってました。
私にはもうその方法が分からなくなってしまったんです。自分は人に認められない存在だという強い価値観が追加されてしましました。それは病気による異物を蔑む目線だったり、思うようにいかない自分自身に対する目線だったり

その目を消して、腹から言いたいことを言って心から行動するにはなにをどうしたらいいんでしょうか。教えてください。
でも、わかっただけでも十分です。彼女は、いなくなったと思ってたから

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?