写真のタイトル

私が自律神経失調症と診断されてから4年ほどたったときでしょうか、先生に突然。

「頭の中で声が聞こえたら、教えてください」
って言われたんです。

私なんのことか分からなくて、でも私その時は毎日ただ意識を保つのにも必死で、学校なんていけなくて、辛くて辛くて。

嘘をつきました。

頭の中で声がした。
でも内容はぼんやりしてて覚えてない。

先生はこっちをちらとみるといつもとかわらない口調で。

「多重人格になっちゃったんだと、軽く考えてください」

なんて書類から目を離さずに言い切りました。私、何が何だかわからなくて。でもとりあえずこれで私もっと、休めると思って

その日から私は多重人格になりました。


正直よく覚えてません。仮の人格を感覚のまま6人ほど作って、ただ赴くままに訳の分からない感情と、身体と戦いました。

母を罵倒して、暴力をふるって、いつもなにかに怯えて、でもただ襲ってくる何かが苦しくて、苦しくて、わからなくて。

わからなくて。

倒れては吐いて、絶叫して、人格が変わったんだと嘘をついて、そんな私に愛情深い母もとうとう見切りをつけてしまいました。

私の家庭はもともと酷かったと思います。この時の記憶は本当にありません。ただ父親が事故で脳に後遺症をおって職を失って、私の先生にあって、父は時々獣になる自分を抑えられず母にあたりました。

母は身体がよわくて、でもお金を稼ぐためにずっとひとりで耐えて働いてました。
その時の私が何を考えていたのか、今も思い出せません。
ただいまでも家にはビールの缶がずっと転がってて、酷い匂いがして、母はずっと寝込んでます。


ある時私はおかしくなりました。
だんだん記憶することができなくなっていったのです。さっきやったことが頭からぼやけて、感覚が消えてって、まるでなかったことのようにどんどんどんどん私の記憶、認知はおかしくなっていきました。

働くのが大好きだった私が、最後のバイトを辞めてからもう何年経ったか分かりません。

その過程でようやく気付いたんです。私もともと多重人格だったんです。先生も僅かな私の違和感から見抜いたんだと思います。
そして私が嘘をついたのもすぐにわかったと思います。

でも先生はずっと私にフラットな姿勢を崩しませんでした。私は嘘をついた引け目から、ずっと自分は多重人格なんかじゃないと目を曇らせていてまともな治療どころじゃなくなっていたのです。


嘘と本当が混ざって反発し、自分がなんなのかどんどんわからなくなりました。
自分が好きだったもの、思い出、やりたかったこと。なにもわからなくなりました
全ての自分を失いました


ただ決定的に私の記憶に残ってることがあります。私は母が昔から大好きで、べったりでした。母はアイドルが好きで、私は手先が器用だったから一緒にうちわを作ったんです。
結構なクオリティになったらしくて、母はうれしそうに、大事そうにそれをしまっていました。

ただ私は何も言い訳できません。
自分の気持ちを理解してくれなかったという理由だけで、同じ気持ちを味あわせてやると母のうちわを破いて捨てました。

その時の母の顔をみて、決定的に私の何かが崩れたんです。
わたしはそのとき、母のことなんて心底どうでもいいとも思ったし、私なんて生まれて来なければよかったと思いました。


そんなことを忘れたり、戦ったりして毎日を何年もすごすなか、先生がふと「写真を撮ってみないか」
と言ったんです。先生がこんなにハッキリいうのはとても珍しくて、同時に私は疑問で、でも嬉しくて、とりあえず写真を撮ることにしました。

写真を撮るのは楽しかったです。今までピンと来なかったけど、なんとなく真っ白だった心が少し動くようで、無心で撮ってました。

ただ私が撮るのはなんか汚いものばっかりで、私は気分がおちこんでるしそういう趣味なのかとおもってました。

洗面台の写真がある日撮れました。
そのピントがあった時私は心を貫かれた気分でした。心の中にレンズがあったら、それがバッチリはまったような、そんな1枚がある日撮れたんです。
興奮しすぎて過呼吸とパニックを起こしました。

私はその写真がどうしても気になって、「私の恋」と名付けてコンクールにあげました。
もちろん賞なんてとれないしテーマがそもそも違ったのでなにもありません。

でもタイトルが違ったと今日気づきました。私は最近毎日空を見てます。大きな大きな空です。それは心が癒されるから、とかじゃなくて、私はそこに無限大の希望がハッキリ見えるんです。そういう感覚を、あんまり人にわかってもらえませんでした。

今なら正しくわかります。この汚い写真のタイトルは、「罪悪感」
ただずっとそれがわからなかったんです。

それだけの話です。

「罪悪感」

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