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なぜタイタニックでジャックとローズはアイリッシュダンスを踊ったのか

金曜ロードショーで2週にわたって『タイタニック』が放送されている。日本で公開されたのは1997年12月。映画のスケールも凄いけれど、前半を見返してみてやっぱり目を引くのはレオ様の存在。これは彼のための映画だったのだとあらためて思う。

『タイタニック』でブレイクしたアイリッシュバンド

例の舳先のシーンなど印象的な場面がいくつかあるこの映画の中で一つのアクセントとなっているのは、三等客室でジャックとローズがぐるぐる回転しながら躍るあのシーン。2人はアイルランドの伝統的なダンス曲をバックにダンスをする。

映画公開以降世界的に広がったタイタニックフィーバーは、このダンスシーンでエキストラ的にダンス曲を演奏したに過ぎなかった伝統音楽バンド、ゲーリック・ストームにまで脚光を当てることになる。彼らはCDデビューを勝ち取り、そのCDは当時の東芝EMIから日本発売もされ、僕はその日本盤でライナーノーツを書いた。

また、映画の公開前後にはいくつかの雑誌や新聞でアイルランド音楽関連の記事も書かせてもらった。1995年以降、僕は公私合わせて年1〜2回のペースでアイルランドを訪ねていて、主に伝統音楽に関する記事を音楽雑誌などに書いていた。その経験から、各方面より依頼をいただくことになったのである。そうした原稿の依頼が少なくなかったのは、「イギリスを出航しアメリカへ向かう船なのになぜアイルランド音楽が?」という疑問を持つ人が少なくなかったからだ。

思えば、セリーヌ・ディオンが歌った主題歌「My Heart Will Go On」のイントロでも、アイルランドでよく使われるブリキの笛、ティンホイッスルの音色が響いていた。なぜこの映画でここまでアイルランドの音楽が取り入れられたのか。そこには、アイルランドとアメリカをつなぐ19世紀のある出来事が関係している。

多くのアイルランド人に大西洋を渡らせた大飢饉

歴史上、アメリカには多くのアイルランド移民が渡っている。その波は大きく2つあって、一つは18世紀後半から19世紀初頭の産業革命期に新しい仕事を求めて海を渡った人々、もう一つは19世紀半ばにアイルランドを襲った壊滅的な飢饉によって移民を余儀なくされた人々だ。飢饉の原因は、主食だったジャガイモの伝染病が国全体に蔓延したこと。多くの家庭では若い男が海を渡り、女性や子供、老人が国に残った。いわゆる出稼ぎであり、多くの人は飢饉が終われば国へ戻るつもりで船に乗り込んだ。

タイタニック号はイギリスのサウザンプトンを出航後、アイルランドのコーヴを経由してアメリカへと向かっている。まだまだ開拓の途上だったアメリカは彼らにとってまさに希望の大地。タイタニックの三等客室に乗り込みダンスを踊った人々もみな一様に、アメリカでの新しく豊かな生活を夢見ていたはずだ。

ちなみにレオ様が演じたジャック・ドーソンはアメリカはウィンスコンシン州出身という設定で、つまりはアメリカへ帰郷するためにタイタニックに乗船するわけだが、ドーソン姓はアイルランド系の苗字である。タイタニックの悲劇は飢饉から数十年後の出来事なので、彼の親かその前の世代が飢饉をきっかけにアメリカに渡ったという裏設定がもしかしたらあったのかもしれない。

アイルランド音楽は映画の中で格差のコントラストをあぶり出すツールだった

ただ、アメリカに渡ったアイルランド人の生活の実情は決して恵まれたものではなかったそうだ。酒と音楽が大好きなアイルランド移民は他の国からやってきた白人たちからは低俗だと虐げられた。中には「アイルランド人お断り」の張り紙を出す飲食店もあったという。仕事においても思うような職には就けず、国へ帰るための船代もままならないまま生涯を終えた人も多かった。

アイルランド人たちが低俗扱いなのだから、その人たちが奏でる音楽もきっと低俗だと認識されたに違いない。そう考えれば、タイタニックのあのシーンでアイルランドの伝統音楽が用いられた理由は、単に移民の歴史を反映したからではなく、三等客室のジャックと一等客室のローズという格差のコントラストをあぶり出すためのツールとして取り入れられたとも考えられる。

もう一つ、『タイタニック』製作当時のトレンドで言えば、1980年代末からアイルランド音楽自体の人気がじわじわ高まっていたことも、あのシーンが映画に盛り込まれた理由の遠因にあったと思う。アイルランドなどケルト文化圏の歴史を辿るTVプログラムがイギリスBBCで放送され、それがアイルランド国内での文化復興の気運へとつながって、廃れかけていたアイルランド語が学校の必修科目となるなど、国を挙げての取り組みがおこなわれるようになった。その流れの中で伝統音楽の復権も急速に進み、1990年代前半からは日本でも伝統音楽のCDの発売が増え始める。1995年には後にフィギュアスケートのプログラムにおいてその音楽が多くのトップスケーターに使われることになるアイリッシュダンスレビュー『リバーダンス』がアイルランドで初演され、その後世界中でロングラン公演を実現。そして1997年に満を持して『タイタニック』が公開され、アイルランド音楽の人気は最高潮に達する。

海を渡ったアイルランド人とその音楽がアメリカに与えた影響

アイルランド音楽は低俗扱いされたと先ほど書いたが、20世紀に入ると徐々にその魅力は正当に評価されるようになり、アメリカの音楽シーンに大きな影響を与えることになる。移民の居住地が米東海岸から内陸へ、また南へと広がると、奴隷たちによってアメリカに持ち込まれ南部から広まった黒人音楽と混ざり合い、カントリーミュージックやロカビリーが形成される。また、ジョージ・ガーシュインやコール・ポーターのようなポピュラーミュージック、エルヴィス・プレスリーに代表されるロックンロールやロカビリー、ボブ・ディランやジョーン・バエズなどによるフォークミュージックもアイルランド音楽の影響がなければ生まれなかった。アメリカでは苦しい生活を強いられ続けたアイルランド移民だが、少なくとも今日のアメリカの音楽を形作るうえでは測りようもない影響を与えた。さらにはビジネスや政治の世界でも移民の2代目、3代目が活躍するようになり、大飢饉から100年以上が経った1961年、移民の3代目であるジョン・F・ケネディがアイルランド系として初めて大統領に就任することで、アイルランド移民はついにアメリカの頂点を極めることになる。

といったような原稿を、『タイタニック』公開の前後にはずいぶん書かせてもらった。今度の金曜日、タイタニック号はアメリカにたどり着くことなく大西洋に沈んでしまうけれど、映画の後半をより楽しむための一つの材料として、この記事がみなさんのお役に立てばうれしく思います。

たかはしあきひろ…福島県郡山市生。ライター/グラフィックデザイナー。雑誌、新聞、WEBメディア等に寄稿。CDライナーノーツ執筆200以上。朝日新聞デジタル&M「私の一枚」担当。グラフィックデザイナーとしてはCDジャケット、ロゴ、企業パンフなどを手がける。マデニヤル(株)代表取締役