「やりたい事の無い人間」の自分探し

前書き

 以前私の配信で「やりたい事が無い人ってどういう感じなのか?」という質問をいただきました。とっさに思いつく限りの返答をしましたが、その時は自分で納得のいく回答ができなかったので、今回文章化して整理しようと思いました。「世の中にはこんな人間もいるのか」くらいに思っていただけたら嬉しいです。
 なお、この記事はあくまで私個人の事例に基づいているものです。「やりたい事が無い人」全員に当てはまるわけではないだろう事はご了承ください。

「やりたい事が無い」とはどういう状態か

 あなたは「やりたい事が無い」という状態になったことがありますでしょうか。私の印象的には、世間には逆に「やりたい事が多すぎて時間が足りない」とおっしゃっている方が多く、「やりたい事が無い」という事態に陥っている方を見るのは少ないように感じます。しかし、この「やりたい事が無い」という人は、程度の差はあれ、少なくとも一定数存在していると思います。
 時々、「休みの日に何をしたらいいのかわからない」とか「趣味を持てと言われても趣味が見つからない」とか、そういう類の悩みを持っている方を見聞きすることがあると思います。これも、広い意味では「やりたい事が無い」と言えるのではないでしょうか。「やりたい事が無い人」は、実は意外と多いのかもしれませんね。

普段は何をしているのか

 では、「やりたい事が無い」のなら、普段は何をしているのでしょうか。一言で答えるのなら「惰性で過ごしている」となります。「自由に過ごしてもいいよ」と言われても何をしたらいいのかわからないので、次に「やるべき事」が降ってくるまで無為に時間を過ごします。特に昨今ではスマホを開けば楽しい動画・配信が無限にあったりソシャゲ等で無限に時間を溶かしたりできるので、「やりたい事が多すぎて時間が足りない人」にとってはあまりにももったいなく感じるであろう時間の使い方をします。これも、別に「楽しくて積極的にスマホを開いている」のではなく、「やりたい事が無いからとりあえずスマホを開いている」に過ぎません。

趣味が見つからない

 そういう時、知人からのアドバイスやインターネットの記事でよく言われるのは、「趣味を見つけよう!とりあえず色々やってみたら?」というものです。このアドバイスには辟易しています。そんな簡単に趣味が見つかるなら悩んでなどいません。特に「とりあえず色々やってみよう」という言い方は、吐き気を催すくらい何も考えてないんだな、と感じます。色々ってなんですか、色々って。具体的に何をしたら良いか提示されたら、とりあえずそれをやってみる事は可能です。それが自分に合わなかったとて、合わないと感じた時点で振り出しに戻るだけなので何とも思いません。しかし、「色々」なんて言われても、何をしたら良いのかわからず何も進展しません。
 「興味のある事は無いのか?」とお思いになるかもしれませんが、この「興味」も程度問題な部分があるように思います。特に、新しい事に挑戦する、という事は少なからずエネルギーの要る行動ですから、そのエネルギーを捻出できない程度にしか興味が無い事は多いです。例えば、私はスマブラというゲームに興味があります。特に観戦することが好きで、大会等の配信はよく見ております。しかし、自身の実力向上のため、知人が誰もいないオフ対戦に出向くほどの「自分の強さに対する興味」はありません。ただ、仮にオフ対戦に一緒に行ってくれる友人がいるとか、そのオフ対戦の場にどうしても会ってみたい方がいらっしゃっる、などの特殊条件が重なったら行きたい気持ちが上回って行く決断をするかもしれません。一言で言うなら「腰が重い」んです。
 ですが、これっておかしな事でしょうか。誰だって、特に興味の湧かない事の一つや二つあるでしょう。その興味の無い事を「実際にやってみたら案外ハマるかもしれない!」と手を出すことが、あなたにはできますか?

人生は「趣味」で彩られる

 「なら、趣味なんか考えずに暮らせば良いじゃないか」とお考えの方もいらっしゃるかもしれませんが、そういうわけにもいかないのです。
 あなたは「趣味を仕事にするべきか否か」という議論を見聞きしたことがありますでしょうか。私は色々なところで議題に上がるところを見てますし、各々の結論がその人の人生を示しているようで結構面白い議題だと思っております。しかし、今回はその議論をするわけではありません。
 この議論の結論を大別すると「趣味を仕事にすることで楽しく仕事ができる」「趣味のためなら仕事をも我慢できる」の二つだと思います。趣味を仕事にしてしまえば好きなことで稼げるので人生が楽しくなる、趣味という楽しみが待っている事をモチベにすれば辛い仕事も頑張れる、どちらも理屈として理解できますね。ただ、ここで重要なのは、どちらも趣味の存在を前提としている点です。では、趣味が無い人はどうすれば良いのでしょうか?…どうしたらいいんですかねぇ?まず趣味が無ければそもそも趣味を仕事にはできません。まぁこれは自明ですね。では、趣味のためなら頑張れる仕事はどうですか、趣味が無ければ頑張れません。これも自明です。つまり、どちらにしても趣味が無ければ仕事を頑張れないのです。もしかしたらそれ以前の話かも。
 私の事例を一つ。私は就活を実質三年ほどしました。公務員・民間企業、ともにある程度の就活をした経験があります。ですが、結局就職はできませんでした。まず民間企業ですが、興味が湧く企業がありませんでした。正確には、「就活とかいう苦痛を乗り越えてまで就職したいと感じること」がありませんでした。では公務員はどうか。一応いくつかは面接を受けるまでは行きました。ペーパーテストの合格率は悪くなかったです。しかし面接で全て落ちました。今となっては理由は明白です。「公務員になってやりたい事が無かった」からです。いわゆる「志望動機」が無かったんですよね。加えて、趣味の無い私は「学生時代に頑張った事」もありませんでした。頑張るどころか何もしていなかったのですから当然です。普通、ここで「学生時代に頑張った事が無い!」と悩む就活生の方の多くは「趣味は頑張ってきたけれど、その趣味の事を面接シートに書いて良いとは思えない」という状態だと思います。これはまぁ、書き方によってはどうにかなる場合があるので大丈夫です。しかし、趣味が無く文字通り「何もやってこなかった」私は、文字通り書くネタが無かったのです。結果、就職ができませんでした。まぁ今考えてみれば、この状態で就職できたとしてもどこかで破綻していたでしょうから、問題に直面したのがたまたま就職前だったって事で割り切ることにしましたがね。
 長々と自分語りをしてしまいましたが、何が言いたいかというと、「趣味こそがその人の個性を顕著に表している」ということです。「好き」という感情にはその人の個性が詰まっているのです。「趣味が無い」とはすなわち個性が無いのと同義なのです。「特に好きな事が無いから、指示された通りの作業を良いも悪いも無くするし、指示されなければ何もしない人」を想像してください。指示に忠実に従うので「真面目な人」という評価にもなりますが、それって、大量生産されている機械と何が違いますか?しかし実際は機械ではなく人です。自ら進んで機械的な人生を歩みたいと考えている場合を除き、そのような機械的な人生を歩んでいる自分に対して、「こんなつまらない状態で一度きりの人生を消費して良いのか?」と、悩んでしまうわけです。

「やりたい事が無い」の真実

 では、「やりたい事が無い人」は人生詰んでいるのか。私の答えはNoです。というのも、「やりたい事が無い人」は、実際は「自分の好き・趣味に気づいていない」んだと思うからです。なお、これは「あなたがまだ趣味に出会っていないだけだから、趣味を探しに色々してみよう」とか最もらしい事を言って放り出す話では決してございません。

「好き・趣味に気づかない」って何よ

 「自分の好きな事・趣味に気づかない、なんて事があるのか?」…もっともな疑問ですが、実際にあるのです。今回は私の事例をご紹介します。
 あなたは「良い子症候群」という言葉を聞いた事がありますでしょうか。「優等生症候群」とも言います。これは、簡単に言えば「自分の感情よりも『良い子でいる事』を優先してしまい、自分の感情を押し殺してしまう人」の事を指します。詳細は検索していただければいっぱい記事が出てくると思いますので、そちらをご参照ください。一応、わかりやすいと感じた記事のURLを一つ置いておきます。


https://cocology.info/good-children%E2%80%90syndrome/


 私は、間違いなくこの「良い子症候群」でした。現在もまだ克服できてはいないかもしれません。これに関して、今でも鮮明に憶えている感情があります。就活が上手くいかなくて鬱になって、「このままの精神状況では面接を受けても落ちるだろう、そもそも涙が止まらなくて面接を受けられる状態ではない」ってなって面接を辞退する、となった時です。私を支配した感情は「(両親に対して)ごめんなさい、どうか怒らないで」でした。就活をする年齢で、自分の人生を左右する問題に対しての感情が、「将来への不安」みたいな自分本位な感情ではなく、「両親から怒られることへの恐れ」だったのです。
 この「良い子症候群」が、「好き・趣味に気づかない」とどう関係するのか。少なくとも私の場合、「好き・趣味」の前提となる「興味がある事」が、周囲の大人が求める「良い子」がする事とは違ったため、その興味を押し殺して「良い子」をやってきた、という歴史があります。具体例としては「ゲーム実況」ですね。
 私が中学生・高校生の頃、スマホが爆発的に普及し始めたのと、YouTubeやニコニコ動画で「ゲーム実況動画」が投稿され始めたのとが注目を集めていました。元々誰かのゲームプレイを横から見ているのが好きだった私は、スマホを買ってもらってからこのゲーム実況動画にハマるのに時間はかかりませんでした。ただ、当時はまだ今ほどYouTuberや配信者といった肩書きの人類はそう多くはなく、一日に楽しめるゲーム実況動画に限りがありました。そこで、当時から「自分の望む物がそこに無ければ自分で生み出せば良い」という自給自足の精神を持っていた私は、自分でゲーム実況動画を撮る事に非常に興味を持っていたのです。しかし、同時に「良い子」であった私は、両親が望むがままに「良い高校・良い大学に入り、良い仕事に就いて円満な家庭を築く」という、「型にはまった人生」を辿ることしか頭に無く、そのために勉強ばかりしていました。そこに「ゲーム実況動画を撮る」という選択肢は無かったのです。その後、大学生になった頃、「ゲーム実況を専業にして生計を立てる人」がちらほら現れるようになってきます。思えばこの頃から「ゲーム実況を仕事にしてみたい」と感じるくらいには興味津々だったわけですが、「良い子」だった私は「夢物語」としてゲーム実況に挑戦することすら諦めていました。そんな感じで、「ゲーム実況をやりたい」という感情を見て見ぬフリをしながら就活を迎えます。結果は前述の通りです。就活中も、「社会的に推奨される範囲で比較的興味のある事」を頑張ってみて就活に活かそう、と思い頑張ってみた時期もありましたが、うまくいきませんでした。まだ「良い子」であった私は、この「社会的に認められている事」つまり「社会的地位が保証されている仕事」という思考の枠組みから抜け出せていなかったのです。ここで、就職に関する相談に何回も乗っていただいた、恩師の言葉を要約して載せておきます。個人情報を隠したい等の理由であくまで要約なので、そこはご了承ください。

君が今頑張っている事、自ら進んでやっている風には見えないね。実はそんなに好きな事じゃないんじゃないか?(専門的な職について)この職は、好きでやっている人が生活費を稼ぐために志望する事が多い職だ。君みたいに、好きじゃないけど仕事のために頑張ろうとしている人が志望する事は多くないし、好きじゃないっていう気持ちは面接官にも伝わるから、まず受からないと思うよ。

私の大学の恩師

 この旨の、恩師の発言は私の人生の転機だったと思います。というのも、ここで言う「頑張っている事」は、「私の好きな事」と称して頑張っていた事だったからです。たしかに、思えばこの「頑張っている事」は「就活のために」やっているのであり、就活の事を考えなければ自ら進んでやることはありませんでした。この時、「真に私がやりたい事・好きな事」の本質を理解したと感じました。すなわち「放っておいたら自然と自ら進んでする事」です。それには、「社会的な評価」は関係無いことも。
 長く自分語りをしてしまいました。つまり何が言いたかったかというと、私は、自分のやりたい事すら「社会的な評価」という固定観念に囚われてしまい、真にやりたい事を見て見ぬフリをし続けた結果、自分の真にやりたい事がわからなくなってしまっていた、ということです。「良い子症候群」の方は、私と同じような状況に陥っているのではないでしょうか。(一応補足しておきますが、「ゲーム実況者」の方々を悪く言う意図はありません。あくまで「公務員」とか「大企業社員」みたいな「収入が安定してて社会的地位も保証されている職」との対比の例として挙げさせていただいているだけです。どうかご理解ください。)

「好き・趣味」を封印している

 私が「好き・趣味」を心の奥底にしまいこみ自分でもわからなくなっている話、ご理解いただけましたでしょうか。これは私個人の経験談なので、必ずしも「やりたい事が無い」人全員に当てはまるわけではないでしょう。しかし、これはあくまで想像なのですが、誰しもが子供の頃には何かしら興味を持った何かがあるのではないでしょうか。仮にこれを正しいとするならば、「やりたい事が無い」というのはすなわち、「やりたい事を封印し続けた結果、その存在に気づかなくなってしまっている状態」なのではないでしょうか。
 先ほど、「好き・趣味こそが個性」みたいな話をしましたよね。そして、その「好き・趣味」を封印してしまっている、という話を今しました。これを繋げると、「自分という個性を封印している」となります。「自分の感情を封じ込めて『良い子』になろうとする」、実に「良い子症候群」らしい状態、と言えるのではないでしょうか。

「やりたい事」という「自分」を探しに

 このように、自分のやりたい事がわからなかった私は、何度目かわからない「自分探しの旅」に出ました。旅と言っても、「知らない土地に行って〜」とかをするわけではありません。真に自分の「やりたい事」を探すため、自分の「やりたい事」に該当しそうな事を実際にやってみる、って感じです。以前も同じ趣旨で自分探しの旅をしたのですが、その時は手応えがありませんでした。しかし、今回は前述のような「気付き」を得た後の旅なので、今のところ手応えを感じております。

長年見て見ぬフリをしてきた「ゲーム実況」

 そこで、現在行なっているのは「ゲーム実況」です。最近は「動画投稿」以外の手段として「生配信」という手段も存在していて、こちらは「動画作成の技術」が必要無く私にはこちらの方が手軽だったため、基本的には「ゲーム実況配信」を行なっております。もちろん、ゲームの腕やトーク力等の魅力はまだ一般人レベルを抜けてはいませんし、他に何か実績があって名が知れているわけではないので、まだ配信を収益化することもできていませんが、それでも楽しく配信をさせていただいております。一応最終目標としては配信業を仕事としたいと考えていますが、仮に仕事にする事ができなくても、「好き・趣味」「やりたい事」である、との確かな手応えを感じているので、現在とても幸せです。少なくとも、この「ゲーム実況配信」は誰に言われたでもなく私自身が進んで始めた事であり、「社会的な評価」に影響されていない「やりたい事」であると自信を持って言えます。これが一過性のものでない事を祈りつつ、これからも楽しくゲーム実況配信をしていきたいと思っています。

たまたま始めた「note記事執筆」

 それからもう一つ、note記事の執筆です。実は、note記事を書き始めたきっかけは、配信で色々おしゃべりしている時に、視聴者の方から「その話、noteとかで記事にしてみたら?」との提案を受けたからです。ですので、自分探しの旅とは何も関係無い感じで始めたんですよね。ですが、いざ記事を書き始めてみると、まぁこれが面白いのなんの。ゲームオタクらしくゲームの話題を筆頭に、書きたい事が山のように頭に浮かんできて、本来やるべき事をサボってまで執筆をしてしまう始末です。
 思えば、昔から私はおしゃべりが好きな性格でした。その上、雑多な事をあーでもないこーでもないと考えることも好きでした。この二つが合わさった結果、「色々考えた事を誰かに聞いてもらいたい」という欲求が強まっていったんだと思います。ですが、特にゲームの事はリアルにゲーム仲間がいない等の理由があって聞いてもらえる相手がおらず、喋る相手がいないまま何年も過ごしておりました。割と結構な頻度で何時間も虚空に向かって語りかけて欲求を満たしていました。ですので、こうやって「記事」という形で自論を語るnote記事執筆にハマるのは必然だったのかもしれません。
 この「note記事執筆」との出会いはかなりの偶然ですが、現にこうやって進んで執筆をしているくらい、私の「やりたい事」なんだろうと思います。自分の語りたい欲求を満たせる上に、前述の「配信活動」の宣伝にもなって一石二鳥なので、ネタの続く限りこれからも執筆活動は続けていくと思います。

まとめ

 今回の記事は、私自身の今までの人生を振り返る意味も兼ねて、ちょっと難しい話題を取り上げました。とりあえず、書きたい事は書けたと思うので満足しています。
 もし、ご自身や身近な方が「やりたい事・趣味が無い」と悩んでいるようでしたら、難しい話ではありますが、「人生を振り返る」事をオススメしておきます。具体的には、「興味がある・楽しそう」という方向に心が動いた瞬間を思い出してください。そこには、「やりたい事・趣味」につながる手がかりがきっとあるはずです。少なくとも、世の中に無数にある「趣味候補」を手当たり次第に検討するよりも、確実で現実的だと思います。

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 記事本文でも触れておりますが、私はTwitchというサイトにてゲーム実況配信を行なっております。基本雑談歓迎なので、この記事の内容など「配信しているゲームの内容とは関係無い話をしたい」という場合でも大歓迎ですので、お気軽にコメントしていってください。以下URL。
https://www.twitch.tv/chisana_saboten

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