妖精さん
ほんの僅かな前触れもなく、唐突に妖精さんは僕の前に現れた。
妖精さんは体長5センチほどで、華奢な背中から身体の半分はある大きな羽を生やし、少しだけ緑色に発光していた。
『はぁい、こんにちは。私は妖精さん。これからあなたの人生をしっかりサポートしちゃうからよろしくね!』
妖精さんはどうやら僕の人生をサポートしてくれるらしい。具体的に何をしてくれるかはよく分からないのだけど、単純に僕はこう思った。何だかとってもラッキーじゃん!と。
『最近、同じゼミの子と仲良しねぇ。あんな子のどこがいいのかしら。少しお肉が付き過ぎているし、歯並びも悪い。何だか笑い方もちょっとお下品よ』
妖精さんは女の子に対してとても厳しいのだ。
「ねぇ、妖精さん。僕はもしかしたら妖精さんが言っているであろう木村さんのことが好きかも知れない。これは恋というやつなのかも」
『恋?恋ですって?あなた私というものがありながら他の女に恋をしたって言うの?信じられない!最低よ!』
妖精さんは怒り狂って部屋の中を飛び回った。緑色の発光体が点滅しながら(時折家具にぶつかりながら)、10分ほど旋回を続けた。僕は機嫌を直してもらうように妖精さんの好きないちごゼリーを買ってきたのだが、妖精さんは最後まで手を付けずに眠ってしまった。
次の日、木村さんが死んだ。
原因はよく分からなかったのだが、僕は真っ先に妖精さんが何かしたのではないかと疑った。
「ねぇ、妖精さん。木村さんが死んじゃったみたいなんだけど」
『木村?ああ、あの歯並びの悪い女ね。あらそう、死んじゃったの』
「そうだよ。死んじゃったんだよ。僕は悲しいよ、とても。好きだったんだって、やっぱり感じるんだ。ねぇ、妖精さん、君はもしかして木村さんに何かしたの?」
『あらあら、私を疑うの?あなたも知っているでしょう。私はこの部屋の中をくるくる飛び回ることしかできないの。外の世界であなたが見たり感じたりしていることを共有できるだけ。自分で言うのもなんだけれど、はっきり言って無力よ』
「確かにそうなんだけど…。でも不自然じゃないか。昨日話題に上がった木村さんが急に死んじゃうなんて。それってあんまりじゃないか」
僕は床に崩れ落ち、気が付くと大泣きしていた。涙が止まらなかった。
妖精さんは僕の顎から落ちた涙の粒を羽で受けた。妖精さんの羽は濡れた部分だけ鈍色に輝き、万華鏡の様にチラチラと色を変えた。その姿は少しだけ木村さんの八重歯を思い出させた。木村さんはにこっと笑うと八重歯が唇の間から少しだけ覗くのだ。八重歯はつるりと白く光って、僕は木村さんのその顔がとても好きだったのだ。木村さんは少し茶色に染まった前髪をいつも左に流していた。眉は横から見た飛行機の翼のようなカーブを描いていて、鼻は少しだけ低く、小さかった。頬は少しだけふっくらしていて、眼は丸く大きいが笑うと鉛筆で書いた線のように細くなるのだ。僕は叫んだ。木村さんを思って、叫んだ。右手を強く握り、思い切り妖精さんに振り下ろし、そのまま床に叩きつけた。妖精さんは言葉を発する暇も、表情を変える時間さえなく、僕の拳の下で潰れてしまった。床には赤い血が飛び散り、僕の白いTシャツにも赤い模様を付けた。拳には大きめのゼリーを潰したような感覚が残り、妖精さんの美しい羽の欠片が手の甲に張り付いていた。
妖精さんはこうして死んだ。
僕は警察から事情聴取を受けた。少し前から死の直前まで木村さんと交わした会話を思い出しながら話をした。好きな本の話、ゼミの先生の話、講義をサボった話、木村さんのバイト先のカフェの話。恋愛の話。話しながら僕が吐き気を訴えると、髪の薄い警察官はごめんなぁと謝ってくれた。
2日後、木村さんは元カレに殺されたらしいことが分かった。元カレは木村さんの一人暮らしの家に押しかけ、口論の後、頭をベルトで何度も殴ったそうだ。血まみれになったベルトは元カレの家のゴミ箱から発見された。木村さんの頭から飛び散った血は元カレの両手を、ズボンを、顔を、白いTシャツを赤く染めたのだろう。証拠は木村さんの口から発見された。八重歯が一本欠けており、周辺から元カレのDNAが検出されたのだ。木村さんの八重歯は元カレの手の甲に刺さり、傷を付けていた。
僕は噂好きの友達から事件の真相を聞き、木村さんの笑顔を、八重歯を、そして右の手の甲に張り付いた妖精さんの羽を思い出した。笑顔と八重歯と羽は僕の記憶にぴったりと張り付き、一生離れることはないのだろう。
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