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明日(6月18日)に何があったか忘れないで

2018年6月18日。朝8時2分。

この時私は高校2年生。
いつも通り「あ、時間ない」って思いながら
自転車爆走して学校に向かってた。

急に視界が歪んだ。自転車がまっすぐ走れない。
大阪北部地震が起きた。

私は地震だなんて思わず、何か病気になったと思った。すごい目が回る病気。
よく芸能人が人間ドックを受けて、診断結果とともに出てくる、その病気になった時の映像、みたいな。あれをすぐ思い出した。

いや、違う違う。ケータイ鳴り出した。車が止まり出した。電柱揺れてる!あ、地震や、、

一瞬のうちに、これでもか!っていうぐらい状況察知に必死で頭の中がぐるぐるぐるぐる

とりあえず学校へ行かずに家にUターン。
すると、さっき通った道にコンクリの塀が崩れ落ちていて、
小学生の集団登校はランドセル頭に乗せてしゃがんでて、
当たり前だけどいつもの光景じゃないって感じた。

ニュースでは1週間ぐらいこの地震について取り上げられた。震度6弱。
アナウンサーは、
余震はまたくるかもしれません、気をつけて。とか、
死者・怪我人はそこまでいなかったです。
とか、
言ってて、
まぁそりゃあ東北とか熊本とか
他に大きな地震いっぱい来てるから
比べたらそんな大したことないでしょー
って思われてると思うけど

ニュースが全てじゃない。

私の家は地震対策はしていたものの、食器棚本棚全部倒れて食器割れて、
今も怖くて食器棚を買えていない。

高校のたくさんの友達の家は電気と水道が何日も止まって、夜が怖いってずっと言ってた。

余震が怖すぎて1人でいるなんて無理。

友達とのLINEが命綱。

高校は水道管破裂で1週間休校、こんな不安でいっぱいの中友達に会えない。

今思い出しても、ふつうに、ふつうに、辛かった。

今これを書いている間に、訓練放送がなってる。あの独特な緊急地震速報の時になる音が、
大阪北部に響いてる。みんなあの頃を思い出すんだろうな。


確かに死傷者は少なかった。
けれども私は、奇跡なんかじゃないと思う。

今から26年前の阪神・淡路大震災。
朝早くに起きた地震で朝ごはんを作っている時間だった。だからコンロの火が燃え広がって火事になったのだ。

この時まだ私は生まれていない。
だから知らない。
けれども母親は言ってた。
「大阪北部地震が起きた時、反射的にコンロの火を消した。あの時の神戸の地震を思い出した。」

あの光景を瞬時に思い出した人は少なくないと思う。あの時の教訓が、この地震の被害拡大を防いだのではないだろうか。

このnoteのタイトルを見て、地元の友達は「あー、あれねぇ...」
と思うだろう。
大学の友達はどうなんだろう。

決してこの日のことを覚えておいてほしい、とは思わない。
ただ、この事実を忘れないで。

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