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高円寺で忍者になった私たち③|まちエッセイ

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あの男が怒鳴り込んできてから、私たちは足音ひとつ立てない生活をするようになった。
なにせ、網戸の開閉についても文句を言ってくるのだから、足音なんて立てたら何を言われるか分からない。通常の生活で起こる生活音にひどく敏感になった挙句、抜き足差し足で過ごすのも少しずつ上手になっていった。

とはいえそもそもの性質ががさつなので、時に何かを落としてしまうこともある。ちなみに、一番大きな落し物は、ベランダから落とした敷布団だ。(男の部屋に引っ掛からなくて本当によかった。)

私の部屋のベランダの真下は、大家さんの庭だった。その時の飛距離はなかなかのもので、落とした布団は完全に庭に入ってしまった。外から手を伸ばして取るのは難しそうだ。平日の午前中(その日私は休みだった)、家を出て共用入り口とは別の場所にある大家さん宅のチャイムを鳴らした。

「すみません、布団を落としてしまって……」とインターフォン越しに状況を伝えると、ちょっとお待ちくださいね、と快く大家さんは応じてくれた。とても穏和で優しそうな人だ。彼のお母さんも同居しているのだが、真っ白な白髪をいつもきれいにしていて、とても品がある。家賃収入で暮らしているのだろう。いつでも在宅しているようだ。もしかしたら、他にも物件を持っているのかもしれない。

平謝りしながら庭への入り口を開けてもらい、布団を救出する。ずるずると土の上を引きずったので、少し汚れてしまった。笑って誤魔化しながら、なんとなく世間話をする空気になった。少し話したその流れで、階下の住人について聞いてみる。すると、ああ、あの人ね……と、今まで会話が弾んでいたのに、急にお茶を濁されてしまった。そういうことか。この辺りから、少しずつ怪しい空気感を感じ始めることになる。

布団を回収してから何日か後。いつものように遅番の仕事を終え、中央線に乗って帰宅する。帰り道にチューハイを片手に夜空を見ながらふらふらと10分ほど。途中で交番の裏を通る時は少し緊張する。さりげなくコンビニ袋の中に缶を潜ませる。家に着き、先に帰っていたパートナーと共に簡単な晩御飯を済ませ、明日の早番に向けて早々に布団にもぐる。23時過ぎ。眠りにつきそうになったタイミングで、床の下から大きな物音がする。ガタン、ガタン。何かが投げつけられるような音。そして少しこもって聞こえる男の叫び声。その瞬間、心臓が締め付けられ、脈拍が上がる。間違いなく、あの男だ。

パートナーと共に顔を見合わせ、小声で確認する。うちじゃない。大丈夫。いや、大丈夫じゃない。下の階でめちゃくちゃに暴れている。どうしよう。

私たちにはどうすることもできない。布団に潜り込み、やりすごす。音がやむのを必死に待つ。1時間ほどしてやっと落ち着ちつくまで、私の心臓は落ち着かなかった。実家を出るって大変だな。そう思いながら、少し泣いた。枕を強く抱きしめた。

今振り返れば、なかなかハードな住環境だった。でも、右も左も知らない若かりし私は、これが普通なのだと思っていた。悪いのはトンカチで家具を組み立てた私たちで、部屋の中では足音は立ててはならず、網戸もごくゆっくりにしかスライドさせてはならない。集合住宅で暮らすとはそういうことなのだと、自分たちに言い聞かせていた。

もう少し大人になった今ならわかる。必ずしもそうではない。それなりに家賃は払っていたのだ。格安物件というわけでもない。早く見切りをつければよかったのだが、アルバイトで貯めた金を全て引っ越し代に使ってしまった直後の私にはそんな考えは毛頭浮かんでこないのであった。

ちなみに忍者の抜き足差し足が板について来ると、夜のコンビニに甘いものを買いに行く時にも、つい忍者が発動してしまう。玄関を開けて共用の廊下を下りる時の足音を立てないのはもちろん、できるだけすばやく移動するために、人通りの少ない場所では忍者走りを練習するようになった。二人でさささと家の前の通りを忍びながら走った。電柱の影に隠れたり、壁に同化する練習もした。それはもちろん完全に不審者だったが、なんだか楽しかった。

その副産物として、我が家は今でも足音がほとんどしない。すでに階下の住人を気にする必要もなくなったのだが、あの時の習慣がいまだに体に染みついている。流石に、外での忍者走りは、もうしなくなったけれど。

さて、その後も何回かあの男は部屋で騒いでいたようだが、人間恐ろしいもので、だんだんとそれにも慣れてきた。標的が変わったのか、私たちの家に突撃してくることもなく、さりげなくトンカチで家具の続きを作っても怒られなかった。相変わらず帰り道はチューハイを飲んで帰ったし、でももちろん忍者は続けていた。

そんなふうに少し気が緩み始めた頃。引っ越しから3か月ほど経ち、だらだらと日々を過ごしていた夏。もしかしたら私の命日になるかもしれなかったその日は、突然やってきたのだった。


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