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サマスペ! 九州縦断徒歩合宿(5)

二日目★★


「せーの」
 悠介たちは横一列になって、お堂の端から雑巾掛けを始めた。床板がみしみしと賑やかに合唱する。早朝のクリアな光が雨戸を開け放った庭から射し込んでいる。

「慌てるなよ。早けりゃいいってもんじゃない。ゆっくり板をなめるようなつもりでな」
 大梅田の声が左の方から聞こえる。雑巾掛けなんて小学校以来だ。

 昨日、車座になってカレーを食べた所、寝袋の中でいつしか眠りに落ちた辺りを順に通過する。雑巾を乗せた両手が壁について振り返ると、ほこりっぽかった床が光っていた。

 右足の痛みはまだあるが、疲労のせいで落ちた深い眠りと爽やかな朝が気分をすっきりさせてくれた。胃は痛くない。不安はあるが逃げ出すわけにはいかない。

「次郎、お前、雑巾の絞り方が足りないって。見ろよ、びちゃびちゃじゃないか」
「すいませーん」
 次郎が斉藤に怒鳴られてバケツに走った。

「よし、雑巾を裏にして左に移動。隙間をつくるなよ」
 指示を出した大梅田と三年の鳥山、二年の斉藤、新人の次郎、二村、悠介、柴田がぞろぞろと横に移る。こうしてみると雑魚寝していたお堂は案外広い。七人でくまなく雑巾を掛けるには、何往復すればいいのか。

「俺、まだ眠いよ」
 隣で二村が雑巾に手をつきながらあくびをする。悠介にも移りそうだ。

 朝五時にライトの「起床ぉおお」の声で起こされて、泊めてもらった善経寺の掃除が始まった。夜が明けたばかりなのに、お寺の人たちはちゃんと活動をしていて、掃除用具を貸してくれた。

 アッコ、由里、涼は竹ほうきを借りて境内の掃き掃除に向かった。水戸、高見沢、ライトは食当なので台所だ。
 雑巾を掛けている肩を横から押された。

「二村、肩がぶつかるんだけど」
「すまん、すまん。俺、肩幅が広いんで」

 違うだろ。太ってるんだよ、お前は。

「腹減ったなあ」
 ひもじそうに呟いた二村が「なあ、次郎」と言う。
「今日の朝メシ、なんだと思う」
「昨日、リンゴは食べちゃったからなあ。何が出るんやろう」
二村が「あじの干物」と言うと、次郎が「目玉焼き」と応じる。

「次、悠介やぞ」
「えっ? ああ……ハムエッグトーストとか?」

「妥当なところで納豆ご飯だな」
 隣の柴田は冷静だ。同期の四人は雑巾を掛けながら「朝から焼き肉」、「ミネストローネ」、「焼き鮭」、「ハムチーズサンド」などと願望交じりの予想を提示し合った。

「大盛り天丼」、「デザートにモンブランケーキ」、「ビーフストロガノフ」。どう考えてもあり得ないメニューが登場した頃には、お堂は隅から隅までワックスをかけたかのような光沢を見せていた。

「朝食の準備、できました」
 ライトが台所から走ってきて大声を上げた。

「よし、雑巾をきれいに絞ってお返しできるようにしろ」
 大梅田が号令をかける。悠介たちは庭の水道に向かった。

「次郎、アッコたちを呼んでこい」
「了解です」
 次郎が悠介に雑巾を「頼む」と押しつけて駆け出す。雑巾を洗った者から、お堂に戻って昨日のように古新聞を敷いた。やっと朝メシだ。三十分の奉仕活動で悠介の胃袋はうなりを上げていた。

「あの、幹事長」
 アッコがほうきを両手に一本ずつ持って庭に立っていた。後ろに次郎と由里がついている。三人とも表情が硬い。次郎が唇をひん曲げて悠介を見る。

 何かあったのだろうか?

「どうしたんだ、アッコ」
「涼がいないんです」
「いない?」

 アッコが片手のほうきを上げてみせる。
「山門の前を掃いていたはずなんですが、これが置いてあって」
「脱走じゃないだろうな」

 大梅田が声を荒らげる。涼が脱走? いやそもそも脱走ってなんだ。悠介たちは囚人なのか。憤慨しかけて気づいた。サマスペのメンバーは金とスマホを人質に取られて九日間拘束されているようなものだった。それなのに涼はどうやって逃げたんだ。

「食当を残して全員捜索だ。まずは駅だな」
「やれやれ、たった一日で脱走か。最短記録じゃないかな」
 鳥山が茶色い頭を振る。タブレットをタップしながら床に置いた。この寺の周辺マップが映っている。

「えーと、一番近いのは西鉄だね。もう始発は出ていると思うよ」
 大梅田がディスプレイを見ながら腕組みをした。
「斉藤、柴田、次郎。西鉄の駅に行け」

 斉藤が沈痛な顔で「はい、すいません」と返事をした。教育担当だから責任を感じているようだ。

「斉藤、次の博多行きは二十分後だから走らなくても間に合うよ」
 タブレットを見たまま、鳥山が言った。
「わかりました。必ず連れ戻します」

 三人がばたばたとお堂を飛び出していく。

「俺はJRの久留米駅まで行ってみる」
 大梅田に鳥山が顔を上げた。

「ちょっと遠いぜ、梅」
 大梅田の梅だと気がついた。
「お寺の自転車を借りる。ほかはこの近くを探せ。鳥山、指示してやってくれ」
 大梅田が住職たちの住まいに向かった。

「あたし、コンビニを見てきます。昨日の銭湯の途中にあったから」
 アッコがタブレットをのぞき込む。鳥山が指で地図を拡大した。

「それじゃ二村と西側を探してくれ。セブンとここにローソンもある」
「わかりました。二村、行こう」
「先輩、タブレットは一つしかないんですか」
 二村が物欲しそうに見る。

「ああ、タブレットは記録班用だから。デジカメもね」
「たった一人の記録班か、責任重大ですね。俺、デバイスとか好きなんですよ」
 二村の目はきらきらしている。

「あ、そう。でもサマスペだから、ネットで見るのは地図情報だけだよ」
「グーグルマップ、便利ですよね」

 二村がタブレットを勝手に触る。
「へえ、太宰府からここまでのルート情報が登録されてるんですね。記録用ですか。あっ、すげえ。なんですか、これ」
「こら、見ちゃ駄目だって。梅に怒られるぞ」

 鳥山がタブレットを取り上げた。
「失礼しましたあ」

 鳥山は「まあ別にいいけどね」と笑った。この先輩には緊張感がかけらもない。

「二村、早く行こう」
 境内に降りていたアッコが声を掛けるが二村は夢中だ。

「でも山に入るとストリートビューが途切れませんか」
「そうなんだよ。人口の少ないところは情報が古いしさ。改善してほしいよ」
「キャンプの時とか、イケてないって思うんですよね」

 この二人、相当に趣味が合うらしい。

「僕、ドローン飛ばして、オンラインにすればいいんじゃないかって思ってたんです」

「いいね、それ。俺たちの歩くルートの上空から映像を送ってもらえば、すごく助かるよな。登山にだって使えそうだよ」
「儲かりそうですよね、そのサービス」
「俺、アプリを開発してみようかな」

 悠介はふと、二村は涼を探すのが嫌なのではないか、と思った。ぐずぐずしている内に、早く逃げてしまえばいいと思っているのかも知れない。
 考えすぎだろうか。

「ちょっと二村、蹴飛ばされたいの」
 アッコが怒鳴る。 

「すいません、すいません」
 どたどたと二村が庭に降りた。

「涼ってば、お腹が減ってコンビニでうろうろしてるだけかもよ」
「万引きとかしてないといいですけどね」

 悠介は話しながら山門に向かう二人の背中を見送った。お堂に残っているのは鳥山と悠介、そして由里だけだ。

「鳥山さん、私たちはどこを探しますか?」
 由里に「私たち」と言われたら、探さないわけにはいかない。

「やっぱり国道沿いだね。博多方面に行くバス停があるし、ヒッチハイクって手もあるからさ。店も多いから逃げ込んでる可能性もある。その辺一帯を手分けして回ってみよう」

 悠介と由里はタブレットを手にした鳥山に続いて、国道3号まで走った。  
 足は問題ない。リュックがないと身体が軽く感じる。しかし気は重い。交差点で鳥山がもう一度タブレットに目を落として確認をした。

「俺はそこのファミレスとドラッグストアを見てくる。由里、あそこに牛丼店の看板が見えるだろ。おそらく二十四時間営業だ」
「了解です」
「悠介は福岡方面に行ってくれ。途中に交番があったの覚えてるかな」
「はい、ありました」
「そこをのぞいてきてくれるか。交番って困った人にお金を貸してくれるからさ」

 それは聞いたことがある。
「国道沿いでくさいのはそのあたりだ。いなかったら市役所方面を探すから、いったん戻ってきてくれ」
 由里は頷いて南に走って行く。

「あの、鳥山さん」
 声を掛けると鳥山が振り返った。

「涼がいたらどうすればいいんでしょう」
「そりゃあ悠介君、説得して連れ戻すに決まってるだろ」
「……そうですよね」

 昨日来た国道は、通勤通学には早い時間なのか、車も自転車もあまり走っていない。悠介は涼の暗い顔を思い浮かべて歩いた。説得って言われても、どんな言葉を掛ければいいのか。
 
 昨日、涼が疲れ果てていたのは確かだ。あの時には脱走を決意していたのかもしれない。今日はこの後、大分に向かう予定だ。何時間かかるのだろう。昨日の距離の倍はあるはずだ。その遠さが見当もつかない。逃げたくなるのは当たり前だ。

 悠介も由里がサマスペに参加していなくて、大事な財布とスマホがあれば、とっくに博多行きの電車かバスに乗っているだろう。こんなサバイバルみたいな行軍を強制する同好会など、はいさよならだ。

 逃げるのならやっぱり電車だろうか。財布は大梅田に渡したが、身体検査までされたわけじゃない。涼はどこかに札を忍ばせていたのだろう。今頃は電車の窓から昨日歩いた風景を眺めていることだろう。

 悠介ならビールを飲んで煙草を一服している。唾を飲み込んだ。それは至福のひとときだ。

 足が止まった。
「涼……」

 悠介はげんなりした。涼は道沿いにある公衆電話ボックスの脇でへたり込んでいた。どうしてあっさり見つかるんだ。しかも俺に。

「悠介、探しにきたのか」
 涼は上目遣いに申し訳なさそうな顔をした。

「涼、大丈夫か」
「ごめん」

 涼の隣に尻を下ろした。
「謝らなくてもいいよ」
「みんなには悪いけど、僕にはこのサマスペは無理だ。昨日で限界だよ。ここでやめさせてもらう」

 悠介は黙っていた。
「悠介、引き止めないのか」
「涼が決めたことだろ。俺には関係ないから」
「そうか。そうだよな」
 涼は拍子抜けした顔をする。

「それよりもこんなところに座り込んでどうするつもりなんだ」
 涼は尻ポケットからカードを取り出して見せた。

「テレホンカードか。懐かしいな」
 NTTのロゴマークがなければ気がつかなかっただろう。ケータイを買ってもらう前には使っていたが、最近は見ることもない。

「これだけ隠していたんだ。ケータイは没収って知ってたから」
 思わず笑ってしまった。
「真面目だな。どうせならキャッシュカードかクレカにすればいいのに」
「うん。言われてみればそうだね」

 ほほ笑む涼を見直した。はなから逃げるつもりはなかったのだ。テレホンカードはお守りのようなものなのだろう。どうしても耐えられないと思ったとき、誰かにSOSを出せるお守り。

 東京では滅多にお目にかからない傍らの電話ボックスを見やった。テレカだけを持って逃げようとしている涼にとっては、砂漠で見つけたオアシスだ。

「もう誰かに連絡したのか」
 涼は頷く。
「僕は悠介たちがうらやましいよ」
「うらやましい?」
「サマスペを続けられるみんながうらやましい」

 急に腹が立った。
「なんだよそれ。続けたいなら続ければいいじゃないか。俺はこのばかばかしい合宿から逃げられる涼の方が、よっぽどうらやましいよ」

 涼は見返してきた。歯を食いしばっている。そんな顔をするほど悔しいのか。
「悠介、僕、実はさ――」

 その時、車のクラクションが鳴った。青い車が国道に急停止する。窓ガラスが降りてロングヘアーの女が顔を出した。女優かと思うほどくっきりきれいな顔立ちをしている。

「涼、来たわよ。乗って」
「すぐ行く。ちょっと待ってて」

 涼は立ち上がった。悠介も腰を上げる。
「おいおい、あれは」
「昨日、銭湯から電話したんだ。そうしたら朝、迎えに行くって言われて」
「年上の彼女? お前を救出に来たってことか」

 涼のルックスなら金持ちのパトロンがいてもおかしくない。
「いや、母だよ。博多まで一緒に来てたんだ」
 マジか。ドアが開いて母が降りてきた。

「涼、この人は」
「同期の悠介」

 赤のブラウスに黒のタイトスカート。どう見ても二十代の母が、胸の前に腕を組んで悠介を上から下まで眺めた。

「あなたもこんな危険な合宿、おやめなさい」
「はあ」
「サークルの旅行だって言うから安心してたのに、この炎天下に鹿児島まで歩くだなんて、どういうこと」
 それは悠介も聞きたい。

「しかも無銭旅行なんでしょ」
「いえ、食料は買ってます」
 母は、ふんと笑った。

「一日の食費が一人三百円なんですってね」
 十三人で一日、三千九百円だ。食費としてのそれがどの程度の金額なのか、悠介にはピンとこなかったが、言われるままに九日分を徴収された。

「そんなお金で何が食べられるの」
 カレーとリンゴですと言いかけてやめた。

「栄養失調か熱中症で倒れちゃうわよ」
 はい。可能性はまったく否定できません。

「お金もケータイも取り上げるなんて自衛隊の訓練じゃあるまいし、事故でもあったらどうするの。こんなばかげたことをさせるために、大学に入れたんじゃないのよ」

 おっしゃることはごもっとも、なのだが素直に頷けなかった。親に保護者のようなせりふを吐かれると、無性にさからいたくなる。

「あっ、由里さん」
 涼の視線の先に由里がいた。百メートルほど離れた歩道でこちらを見ていた。くるりと後ろを向いて何か叫んでいる。

「涼、まさか女の子も一緒なの」
「うん、二人」
「信じられない。お寺で一緒に寝たんでしょ」

 一応、屏風で囲いましたけど。虎が見張ってました。それとゴリラも。
「まさか新興宗教の類いじゃないでしょうね」

 鳥山が何か大声を上げて走ってくる。後ろには由里がついていた。
「かわいそうに。洗脳されているのね。いいわ、私がきっちり意見してあげる。それでもわからなければ大学の理事会に抗議するわ」
 昂然と前に出たその腕を、涼が後ろからつかんだ。

「ママ、それだけはやめてくれよ。ほんとに頼むから」
 やはりママ呼びだったか。母あらためママは、涼と迫ってくる追っ手を交互に見た。

「じゃあ行くわよ。早く乗りなさい」
 ママが運転席に、涼は後部座席に乗り込んだ。エンジンがかかる。

「悠介も乗るか。こんなに厳しい合宿だと知らなかったんだろ」
 涼がドアを開けたまま、悠介を見上げた。悠介は立ち尽くしていた。

「こら、涼、ちょっと待て」
 鳥山はすぐそこまで迫っている。

「さよなら悠介。親が連れ戻しに来たことは言わないでくれ。頼む」
 動き出した車はスピードを上げて走り去った。

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