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『紫に還る』 第八話(Ⅱ-3.4)

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 連れて行かれた屋敷では大勢が忙しそうに立ち働いていた。灰色の壁に囲まれた屋敷には、カンターの部族の広場がすっぽり入りそうだ。リロイに耳打ちされた小柄な女性はカンターを奥まった小部屋に案内してくれた。
「ゆっくりお休みください」
 女性が立ち去るとカンターは傍らに置かれた柔らかい寝具に倒れ込んだ。グレースはファイアメーカーという国王と縁があるらしい。三万のユリシア国民と五つの国を治める男なんて想像もつかない存在だ。
 なぜ国王のことをファイアメーカーと言うのだろうか。ここはカンターの部族からどのくらい離れているのだろう。あの竜は今ごろ何処を逃げているのか。シークやみんなはどうしているだろう。想いは次から次へと頭に浮かんでくるが、十を数える間もなくカンターはあっけなく眠りに落ちた。
 
「カンター、起きた?」
 ぼんやりと目を開けるとリロイが立っていた。暗い顔をしているように見えるのは気のせいだろうか。
「もう具合は大丈夫かい」
「あ、ああ、多分」
 答えながらカンターは立ち上がった。身体は回復したようだ。
「少し外を案内してあげようかと思って」
「ありがとう。リロイに聞きたいことがたくさんあるんだ」
「それは僕も同じだよ」
 
「それにしてもよく寝ていたね」
 屋敷を出て二人は石畳の道を歩いた。カンターは目を奪われることばかりだった。さっきまで寝ていた屋敷が王の館かと思ったのだが、屋敷から延びる太い道は真っ直ぐに伸びていて、ずっと先には左右に壮大な建物が見える。それに比べると屋敷などちっぽけな家に過ぎなかった。さらにその奥に目を凝らすと階段状の建物がそびえていた。
 このユリシアという国は、一体どれほど大きいのだろう。
「カンター、珍しいかい」
「うん、こんな広い街は初めて見た。僕が泊めてもらった屋敷は、端っこにあったんだね」
「あれは客を迎える建物だからね」
「すると王様が住んでいるのは?」
「今、歩いているのが宮殿に向かう大道だよ。賑やかだろ」
 カンターはあらためて左右に目をやった。往来を行き交う人の多さはもちろんだが、カンターの部族との一番の違いは通りの両側に立ち並ぶ店の多さだった。見たこともない食事処、珍しい衣服を売る店、武器や防具を売る店もある。
「ここに並んでいる品物はみんなこの国の人が作っているのかい」
 カンターは十数本の剣の吊り下げられている店の軒先で立ち止まった。
「まさか、そんなことないよ。あれを見て」
 リロイが指差した店の脇には、人が入れるほどの鉄の箱があった。木で造られた車輪が左右に三個ずつ付いている。車輪はカンターの腰まである。片側にはがっしりとした引き手が据え付けられていた。
「これに荷物を積んで他の国まで運んで、物々交換をしているわけ」
「旅の途中で竜は襲ってこないのかい」
 リロイが小首を傾げる。
「外で竜に襲われたという話は聞いたことがないよ。カンターの部族ではあるのかい」
「……いや、でも僕らの部族はあまり外には出ないから」
「ユリシアでは竜に被害を受けるのは、竜があの壁を打ち破ってきた時だけだよ」
 カンターは高い壁を眺めた。
「それは僕の部族でも同じだ。それも紫草が出た年に」
 リロイはふいに歩みを早めた。
 
 見るものすべてが驚きの連続で、カンターは我を忘れていた。竜の脅威さえなければ、あらためてこの国を訪れてみたい。
「そう言えば君はグレースの従者なんだろ。僕の相手をしていていいのかい」
「他にも従者はいるから。それにユリシアに帰ってまで一緒にいたら息が詰まっちゃうよ」
 従者の言葉とは思えない。
 しばらく歩くうちに、若い男達がみな首飾りを着けていることに気がついた。木を動物の形に彫ったもの、石を削った細工品、鳥の羽を束ねたもの、みな思い思いの品を紐で服の上に垂らしている。
「みんなきれいな首飾りをしてるんだな」
「ああ……うん。若者にとっては大切なものなんだよ、あれは」
 よほどお洒落な部族なのだろう。
 
 店を見て回るうちに、商品を売る人の顔に精気が無いことに気がついた。
「店の人に元気がないように見えるけど、気のせいかな」
「じきにわかるよ。さあ、もう少し歩こう」
 声を落として足を速めたリロイの後を追う。余計なことを聞いたのだろうか。リロイが振り返った。
「ああ、ごめん。こんなに歩いて身体は大丈夫かな」
「うん、問題ないよ。ぐっすり寝たから」
 その時、カンターは河原で朦朧としている間に、何かを口に入れられたことを思い出した。
「昨日のことだけど、僕は河原で寝ている時に何か食べさせてもらったのかな」 
「おかしなこと言うなあ。気を失っているのに食べることなんかできないだろ」
「ああ、そうか……」
 するとあれは誰だったのだろう。それともただの幻だったのか。
 リロイは首をかしげた。
「そう言えば変だと思ったんだよ。溺れて流されてきた割には傷もなかった。怪我があったら治してあげようと思ったんだけどね」 
「君も手で人を治せるんだね」
 リロイが目を見張ってカンターを見た。
「君もって、他にできる人を知っているの」
「ああ、僕の部族の子供たちは、みんなできるよ。僕は下手くそだけどね。君らはそうじゃないのかい」
「僕だけだよ、この力を持っているのは。僕の母親は子供の頃に使えたらしいけど」
 リロイは遠くを見て何か考え込んでいるようだった。
「そうか。カンターの部族では珍しくないんだ。それでカンターの部族はどこにあるの。どうしてあの川に倒れていたんだ」
 なんて答えたらいいのだろう。カンターには滝に落ちてからの記憶がない。少し考えてリロイに聞いた。
「僕を助けてくれたあの場所は滝から大分離れているのかな」
「滝って、僕らが竜の顎って呼んでいる滝のことかな。あそこは竜が多く住んでいるから誰も近づかないんだ。でもそうだね、男の足でも五日はかかると思うけど……」
 リロイがそこで息を飲んだ。
「カンター、まさか、滝の上から流されてきたのか」
 カンターは歩きながら、竜の子供を追いかけるあたりからの経緯をかいつまんで話した。
 
「随分と無鉄砲なことをしたんだね。竜を一人で追うなんて」
 リロイはあきれたようだ。
「滝の上の人と初めて会ったよ。ユリシアは他のいろんな部族と交流があるけど、あの滝の上は誰も行ったことがない」
「僕も自分の部族以外の人はほとんど知らない。長老はあえて他の部族とは交わらない、そう言っていた」
「滝の上には勇猛な男たちの住む部族がある。そしてどこの国にも属さないのには何か秘密がある、と言われている。でも……」
 リロイがカンターを頭からつま先まで見下ろした。
「カンターはそんなに勇猛そうに見えないけど。あっ、ごめん。見た目だから」
カンターは、これでも戦士なんだと言おうとしたが止めておいた。不思議とリロイには腹が立たない。はっきりいうところが好きだし、一緒にいて楽しい。昨日会ったばかりなのに妙に波長が合う。
 シークとはまた違う。シークは兄弟のような感覚だ。カンターはリロイと親友になれるかもしれないと思い始めていた。
 死にかけていたところを助けられた。その恩もある。この出会いを大切にしたい。
 
「リロイ、ファイアメーカーというのはこの国の王のことなんだろ」
「昔からユリシアではそう呼んでる」
「グレースはそのファイアメーカーの親戚か何か?」
「うん、甥っ子にあたる」
「偉いんだな」
 なぜかリーの顔に再び影が差す。
「確かにファイアメーカーにゆかりの者はそれだけで外交の材料になる」
 リロイは二人が今通り過ぎた後ろを指さした。
「あの店に並ぶ商品のように、取引してもらう価値があるってわけ」
「取引ってどういうことさ」
「あれを見て、カンター」
 リロイは道を左に折れた。前方の景色が開けている。リロイの指はその先を差している。
「あれは!」
 吸い寄せられるように足が前に出た。カンターはすべてが見渡せるところまで走った。
「紫草だ」
 そこにはカンターの部族の数十倍もありそうな小麦畑が広がっていた。しかし緑の穂が一面に揺れているはずの畑には、いたるところに紫の輪がくさびのように穿たれている。
 すでに花を開き、他の植物には有りえないスピードで成長している紫草の堅い枝は、小麦の背を越えて畑を覆い始めていた。
 四方八方から傍若無人に伸びた紫草は、もうすぐ小麦の頭上で互いに枝を結びあってドームを作ることだろう。五年前にカンターの部族を襲った悲劇がユリシアでも起ころうとしている。
「ひどいだろ」
 リロイが後ろに立っていた。
「グレースと一週間ほど友好的な部族に出かけていて、帰ってみたらこの有り様だ。たった一週間だよ」
「蕾のうちに刈り取れなかったんだね」
 リロイが悔しそうな顔になる。
「前に紫草が出てから、まだ二年しか経っていない。これまでは五年周期で出現していた。まさか今年、花が咲くとは誰も思わなかったんだ」
「僕の部族でも五年ぶりだった」
「そうだろう、早すぎるんだ。それにユリシアはこのところ交易が盛んになって、畑からの収穫以外でも食料が手に入るようになってきた。さっき鉄の荷車を見たよね。みんな新しい商売に夢中になった。それで畑の監視が甘くなっていたんだと思う」
「もう手遅れだ」
 カンターは呟いてリロイを見た。
「ごめん、僕の部族も紫草にやられたことがあるから、畑が駄目になるのはわかっているんだ」
「いいよ、事実だから。ドームが完成したら、尖った蔓が下りてくる。ゆっくりとね。僕らはそれを見ていることしかできない」
 さっきカンターが紫草のことを話した時、リロイが口を閉ざしたわけがわかった。
「これだけの畑が全滅して大丈夫なのかい。その年の僕らは飢え死に寸前だった」
「大丈夫なわけないよ。これまで蓄えてきたお金で他の国から食料を買うこともできるけど、信じられないほどの損害になる。離反する部族も出るだろう。きっと何年か立ち直れない」
 リロイが俯く。
 
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「リロイ、こんなところにいたのか」
 二人は紫草に死を宣告された畑に背を向けて振り向いた。グレースと部族の男が何人か走ってきた。
「グレースさん、どうかしたの」
「ああ、例のお客さんがついさっき到着したらしい」
「もう? 二、三日後って言っていたのに」
「祝いの決め事は早いほうがいいんだとさ」
 グレースが吐き捨てるように言った。カンターには様子がわからない。紫草のせいで部族の空気が暗いのはわかるが、どうやらそればかりではなさそうだ。例のお客? 祝いの決め事?
「とにかく外を出歩いている場合じゃない。屋敷に戻っていろ」
 リロイは溜め息をついてカンターを見た。
「カンターは、まだ見物しているといいよ。それじゃ」
 リロイは男たちに歩み寄る。
「グレース、ちょっと」
 カンターは背を向けかけたグレースを小声で呼んだ。グレースは髭を撫でながらカンターを見て、男たちに指示をした。
「先に行け。ミーブ、頼んだぞ」
 グレースは早足で歩き始めたリロイたちを見ている。背の高い男たちに囲まれてリロイの姿は見えない。
「なんだ、カンター」
「この国で何が起こっているか教えてくれないか」
「そんなことか。俺は他所者の好奇心に付きあうほど暇じゃないぞ」
 グレースはリロイたちの後を追って歩きだそうとした。
「僕は滝の上の者だ」
 グレースの足が止まった。
「僕は蕾をつけた紫草を枯らしたことがある。部族の子供はみんなリロイと同じ不思議な力をもっている」
 カンターに向き直ったグレースが細い目をむいた。
「それは本当か」
「今の開花した紫草は手に負えないと思う。でも何かできることがあるかもしれない。教えてくれよ。気になるんだ。ユリシアのことが」
 グレースはまた髭を撫でている。考えるときのこの男の癖のようだ。
 二人は道の傍らの草に腰を下ろした。

 グレースは手元の小さな草をもてあそびながら言った。
「ユリシアはこの世界で五指に入る大きな国だ。当然、大国どうしの交流がある。争いも駆け引きもな」
 カンターは口を挟まずに次の言葉を待った。
「今のユリシアの状況は、他の国にとっては勢力を拡げる大きなチャンスってわけだ」
「どういうこと?」
「ユリシアには王女がいる。ファイアメーカーの娘だ。それだけでも価値があるのに、我らの王女はさらに美しく聡明だ」
 カンターは王冠をかぶり着飾った、高貴な女性を思い浮かべた。
「ユリシアが交易を始め、さまざまな国や部族と取引が増えるのにつれて王女の噂も広がった。いまや国を治める者にとってユリシアの王女を、息子や一族の嫁に迎えることが最大の関心ごとになっている」
 リロイがファイアメーカーに縁の者はそれだけで外交の材料になると言ったのを思い出した。
「お前さん、紫草を見てわからないのか」
 焦れたように、そして口にしたくないかのようにグレースが、もてあそんでいた草をむしり始めた。
「王女が食料と交換されるってことかい」
「そうだ、さっき到着した客というのがワン国の国王とその御一行様だ。ワン国は知っているか」
 カンターは首を横に振る。
「ワン族という好戦的な部族がつくった国でな、今の部族長の代になって周辺の部族を征服して、さらに隣り合う国と条約を結んで国を宣言したばかりだ」
 カンターには征服や友好によって部族が国になるということがピンとこない。
「特別な武器があるわけでもないのに、なぜか領土を拡大してる。その成り上がり野郎が大国ユリシアの王女を息子の嫁にする条件で食料援助を申し出たってわけだ。まったく馬鹿にしていやがる」
 グレースはむしった草を宙に投げ付けた。風に戻された葉が一片、カンターの足にも落ちてくる。
「でもファイアメーカーが、いや、王女が拒むんじゃないのかい」
「そりゃそうさ。ファイアメーカーも自分の眼鏡に適った男との結婚以外は認めないし、王女自身がまだ誰かに嫁ぐなんてことは考えてもなかったからな」
「だったら――」
「だがな、今の状況は深刻だ。この話を蹴っちまったらユリシアの力は激減する。この世界には耕作に適した土地は僅かしかない。それをワン族が次々に占領しているわけだからな。飢えて死ぬ者も、国を捨てる者もでるだろう。そうしたらユリシアの領地を狙っている、他の国に攻め込まれて支配されるのが落ちだ」
 グレースの眉が吊り上がり、口元が歪んだ。
「君は王女が好きなんだな」
「馬鹿言うな。王女は俺の従妹だ」
 そうか、この男もファイアメーカーの一族だった。
「ファイアメーカーはどうしようとしているんだ」
「あの人は常に国全体のことを考えている。だからこのまま状況が悪くなった時、娘が我慢してユリシアが助かるなら、と考えるだろう」
「可哀想だな、その王女様は」
 カンターは呟いた。国のために取引の道具とされて、知らない男に嫁がねばならないのか。
「相手の王子がどんな男か。それを見極めるためにも、ファイアメーカーはワン国の一行を迎え入れたのさ」
 誰かが走ってくる足音に二人は振り向いた。さっきリロイを連れて帰ったミーブが息を切らして立っている。
「グレース、来てくれ。困ったことが起きた」

<続く>

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