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『紫に還る』 第四話(Ⅰ-6)

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 アランじいの家兼作業所は山の中腹にあり、傍らを川底まで見える小川が流れている。刃物を打つのにはきれいな水が必要なのだろう。そこまでは登りが続く。せせらぎがかすかに聞こえ始めたあたりで、前方に二人の男が立っているのが見えた。
「シーク。あそこにいるのは誰だろう」
「なに言ってんだよ。よく見ろよ。モトとゲイナーだよ」
 近づきながら目を細めて見ると、体格のいいモトと痩せぎすのゲイナーがこちらに気がついて手を振っている。以前から次に戦士になるのはこの二人だと目されていた。
「偶然だね。あの二人も剣を見に行くのかな」
 シークがあきれた顔をした。
「戦士になったら木剣を剣に替えるってのは常識じゃないか。お前は夕べ広場から居なくなっちまったろ。探したんだぞ。でも見つからなかったから俺たち三人で、とにかく今日、剣を決めに行こうって話しあったのさ」
 
「カンター。昨日はどこに行ってたんだ」
 大人より頭が良いという評判のゲイナーは教師のような物言いをする。叱られた気分になる。
「女の子のところに行って、戦士になった報告でもしたんだろ」
 モトがにやにやと笑う。
「ち、違うって。酔っ払ってさ、ちょっと静かなところで休んでいただけだ」
 カンターはしどろもどろになってしまう。シークにもこの二人にも、長老に聞いた話を打ち明ける時がくるのだろうか。
 
 四人はそろってアランじいの家に向かう山道を登り始めた。子供の腕ほどの木が足掛かりに埋め込まれているだけの急な道だった。膝が胸につきそうな岩場を越えたところで突然景色が広がる。そこは見晴らし処と呼ばれていて、部族が一望できる場所だった。
「みんな、少し休憩しようや」
 シークが息をはずませている。カンターもじわりと汗が出ていた。
「なんだ、もう疲れたのか」
 モトとゲイナーは涼しい顔をしている。二人はカンターたちより二つ年上だ。いつ戦士になっても恥ずかしくないように鍛練していたのだろう。
「ちょっとぐらい、いいだろ」
 そう言いながら木の株に座り込んだシークの横でカンターは大きく伸びをした。若葉の匂いを胸いっぱいに吸い込む。山と丘に四方を囲まれた集落は盆地というより窪みのような地形にあった。
 
 北から東にかけて峰を連ねる山には、さまざまな樹木が緑の衣を着せている。所々に白くもやっているのは木々の雄花が撒き散らした花粉だろう。南西に位置する小高い丘は赤茶色の地肌を見せている。その隣には灰色の板のような石切り場が見える。カンターたちの登りかけている山から集落を貫いてきらきらと滑る一筋の川が、その山と丘の間を流れていく。 
 緑と赤茶色に縁取られた円の中には、紫草から難を逃れた小麦畑が青々とした絨毯を敷いたように広がる。いずれその絨毯は黄金色に姿を変えることだろう。刈り入れが終わったらまた昨夜のようにお祝いだ。
 
「きれいだな、シーク」
 独り言のようにつぶやいた。
「また自分の世界に浸ってるな」
 シークが笑った。
「なあカンター、お前、いい気になってないよな」
 モトが言った。
「えっ、どういうこと?」
「俺はお前が戦士になったことに納得がいかないんだよ。大人たちは紫草の一件で、お前のことを認めたみたいだけど、紫草を枯らせたって竜とは戦えない。それとも俺たちに勝てるのか」
 カンターは何も言えなかった。カンターは木剣の訓練ではこの二人に、子供のようにあしらわれていた。身体の痣は彼らに作られたものがほとんどだ。面と向かうと打ち据えられる恐怖が先に立つほどだ。
「いいか、カンター。俺たちの足を引っ張るなよ」
「おいおい、モト。何を言い出すんだよ」
 シークが取りなすように笑った。
「いや、いい機会だから話しておきたい」
 ゲイナーが静かに言う。
「なんだよ、ゲイナーまで」
「俺たちは戦士になったからには、部族のみんなの命を守ることが最優先だ」
「そんなの当たり前じゃないか」
 カンターはゲイナーに向き直る。何を言いたいのだろうか。
「カンター、自分のことは自分で守ってくれ」
 カンターは唾を飲み込んだ。ゲイナーは家の集まる集落を指差す。
「たとえば部族が二匹の竜に襲われたとする。戦士は俺とカンター、二人きりだ。その時、お前が竜にやられても俺は助けないぞ。お前を助けようとしてたら、他の竜に誰かが殺されてしまう」
 カンターは歯を食いしばった。
「わかった。その時は、僕のことは放っておいてくれ」
 
「ああもう」
 シークが立ち上がった。
「俺たちは一緒に戦士になった仲間じゃないか。なんだよ、初っぱなから」
 モトも立った。
「弱虫カンターとは仲間になれないって言ってるんだよ」
「なんだと」
 シークがモトに詰め寄る。カンターはその腕を掴んだ。
「やめてくれ、シーク。頼むから。僕が……弱いせいなんだ」
「モト、お前は言葉が過ぎる」
 ゲイナーもモトの胸を押さえて、シークとカンターを振り返る。
「悪く思うなよ。部族のために大事なことなんだ」
 シークは大きく息を吐いた。
「休憩終了だ。行こう」
 
 カンターは悔しさを抑えて歩いていた。シークはカンターの肩をぽんと叩いたきり、何も言わずに付かず離れず歩いている。
 ゲイナーとモトの言うことは事実だ。今のカンターに剣士の資格があるとは思えない。長老に言われた力がカンターにあるとしても、竜と戦うことに役立つとは思えない。なぜリガードはカンターを戦士に指名したのだろう。今のままでは他の戦士の足手まといになるかもしれないのに。カンターは拳を握りしめた。
 早く、一刻も早く、竜と戦える腕にならなければ。
 
 四人が作業場に着いた時、アランじいが両手にバケツを提げて戸口から走り出してきた。じいと呼ぶのも失礼なほど元気だ。背は子供ぐらいしかないが、頭と手が不格好なほどに大きい。
「おお、ちょうどいいわ、ハッポども。そこの川から水を汲んできてくれ」
「なんだよ、ハッポって」
 モトが聞いた。
「お前らのような半人前の小僧のことだ」
「ご挨拶だな、じいさん。俺たち昨日戦士になったんだぜ」
 シークが皆を代表するようにちょっと胸をはって言った。アランじいは大きな眼でぎょろりと四人を見渡してから、バケツをその場に音を立てて落とした。
「戦士だろうがなんだろうが、わしにはハッポにしか見えんわ。ぐずぐず言っとると剣なぞ見せてやらん」
「ああっ、それは困るよ。わかった、すぐ汲んでくるから」
 シークが慌ててアランじいの足元からバケツを拾い上げた。振り向いてカンターに一つを差し出す。
「そういうことだ、カンター。一緒に行くぞ」
 何がそういうことだ、まったく。
 
「川まで行ってくるから」
 シークはモトとゲイナーに向かってバケツを上げて見せた。
「ご苦労さん、俺たちは剣の倉庫に先に行っているよ」
 モトが言った。二人とも一時休戦という感じで話している。
「お前たち、倉庫を散らかさんようにな。それと最近の剣は手前の部屋にあるからそこから選べ。昔のやつは鍛え直すのが難儀じゃからな」
「わかったよ、アランじい」

<続く>

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