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『紫に還る』 第五話(Ⅰ-7.8)

  7
 
 冷たい水を汲んだバケツをアランじいの作業場に置いてから、シークとカンターは隣にある倉庫に入っていった。
「すげえ、こんなにあるんだ」
 シークが声を上げる。そのシークを押すようにしてカンターも部屋に足を踏み入れた。高い屋根に嵌められた四角い天窓から入る光が、数百本の剣を照らしている。剣は壁に沿って立て掛けられ、柄の部分が木で作った枠組みで一本ずつ支えられていた。
 
 戦士になったばかりの若者には息を飲む厳粛な光景だった。日の光とそれを反射する剣の刃は倉庫に漂う細かいほこりちりを浮かび上がらせている。それは手を伸ばせば重々しく濃密な空間が掴めるような錯覚を与えていた。カンターはなぜか何ともいえない懐かしさを感じた。
「シーク。ここに来たのは初めてだっけ」
「あたりまえだろ。ここは戦士とアランじいしか入っちゃいけないんだ」
 シークの声が上ずっていた。
「そうか、そうだよな」
 カンターはゆっくりと部屋の中を歩き始めた。剣は長さも太さも様々で、柄にはこれも色々な装飾が施されている。ハットが言ったとおり、アランじいの腕は確かなんだとカンターは思った。背後でガタンと音がして振り向くと、モトとゲイナーがそれぞれ剣を構えて立っていた。
「どうだ、強そうに見えるだろう」
「二人とも、もう選んだのか」
「ああ、前から兄貴の剣を振らせてもらっていたから、それと同じくらいの剣を探したんだ。やっぱり長さや重さに馴れているほうがいいだろ」
 モトが片手で剣を振りながら言った。その横でゲイナーも続ける。
「俺も父さんの剣で毎朝仕込まれていた。だから昨夜は父さんの方が舞い上がっていた。剣を選ぶコツを延々と教えられたよ。役には立ったけど、おかげで寝不足だ」
 
 兄貴に父さんか。言葉を失ったカンターの肩に手が回された。
「そのコツってやつを俺たちにも教えてくれよ、なあカンター」
 シークの威勢のいい声にゲイナーが答える。
「そうだな、まず重さだけど利き腕じゃないほうの手で柄を持って、水平に保てるぐらいがいいそうだ」
 カンターはゲイナーが差し出す剣を借りて、左手でやってみた。辛うじて先端が水平になるまで上がったが、すぐにまたおじぎをしてしまう。
「重い、これは僕には無理だ」
 ゲイナーは大人びた口調で続けた。
「長さは喉仏からへそまでの長さが一番扱いやすいらしい。欲張って長いのを選ぶと持ち運びに苦労するし、森みたいに狭いところで不利なんだ」
 最後の方はまるで自分が使ったことがあるような言い方だったが、もしかしたら父親にそこまで仕込まれていたのかも知れない。
「後はアランじいの手間は別にしてやっぱり新しいほうがいい。古い剣を基にすると強く打ったときに折れることがあるんだ」
「ふうん、なるほどな。おい、カンター。俺たちもさっそく探そうぜ」
 シークが壁に寄って剣を見比べ始めた。
「俺たちは外に出て思いきり振ってみる。ここじゃ危ないからな」
 モトがそう言ってゲイナーと二人で倉庫を出ていった。
 
 カンターはシークと逆の壁に沿って、じっくり剣を見た。長さがちょうど頃合いの一本を手に取ってみる。ずっしりと重い。右腰に提げているもうすぐ用済みの短い木剣がひどく頼りないものに感じる。
 次々に試してみるが、しっくりこない。何本目かの刀身に深く長い傷がついていた。これは誰がどんな竜につけられたものだろう。竜の牙は剣よりも硬いのだろうか。カンターはまだ相対したことのない竜を想像した。
 僕は竜と戦えるのだろうか。
 
「おい、カンター。何か聞こえないか」
シークが低い声で呼んだ。
「何かって……」
 言いながら耳を澄ます。木々のざわめきに何かの音が混じっている。
「なんだろう、カタカタ、音がしているみたいだ」
「それだよ。奥の部屋から聞こえてくるような気がするんだ」
 奥の部屋にはアランじいが昔の剣を収めてあると言っていた。こもった音が響いている。
「誰かいるのかな」
「いや、アランじいは弟子もとらないって親父が言っていた。いつも一人のはずだぜ」
「行ってみよう」
 カンターは奥の部屋に通じる扉の方にそっと歩いた。黒ずんだ扉の前に立つと音ははっきりと聞こえるようになった。
 シークはいつのまにか剣を右手に持っている。
「間違いない。この部屋の中で何かが動いてる」
 
 カンターは扉を少しずつ押した。ジリッという砂と木のこすれる音をたてながら扉が開いた。二人の目の前には、山と積まれた剣があった。どれも錆や汚れが付着していて柄のついてない刀身だけのものも多い。
「カンター、一番奥の方だ」
 誰もいない。天井の明り取り以外窓のない部屋の中には、何かを揺らすような風もない。音を立てるようなものはないのだが、どこからか聞こえるそれは耳障りなほどになっていた。二人は剣の山をよけて部屋の奥に進んだ。正面の壁には作り付けの棚があり、中のものを隠すように上から大きな布が掛けられていた。黄ばんだ布が音を発している何ものかの振動で揺れている。
 
 カンターは布の端を持ってシークの顔を見た。シークが頷いた。唾を飲み込む音がする。カンターはそっと引っ張ったつもりだったが、布は落ちると同時に棚の上に積もった埃を撒き散らした。思わず目を覆った指のすき間から震える何かが見えた。
 
 それは一振りの剣だった。
 
「け、剣が動いている」
 シークが声を上げ、カンターは息を飲んだ。棚には五本の剣が切っ先を下に向けて吊るされている。それぞれの剣のすき間は指一本ほどしかない。右から三本目。震えるように左右の剣にぶつかって音を立てている。
 五本の剣はどれも古いが、素晴らしい出来栄えだった。柄に刻まれた複雑な紋様は、これまで見た剣の中には見当たらないほど精妙で芸術の域に達している。
 握りの部分に埋め込まれている玉は、宝石の類かもしれない。カンターは目の前で震えている剣を、手にとって抱きしめたい衝動に襲われていた。
「こんな剣、誰が造ったんだ。見たこともないぞ」
 シークが唸った。
 これは僕の剣だ。この剣が僕を呼んでいたんだ。
 最初に感じたあの懐かしさの理由がわかった。カンターは剣の柄にそっと右手を伸ばした。
 
  8
 
「カンター、シーク、大変だ」
 どかどかと床を踏みならしてモトが二人のいる部屋に飛び込んできた。真っ赤な顔で息を切らしている。
「どうした、モト」
「竜が、竜が出たんだ」
「なんだって?」
 シークが大声を上げる。カンターの背骨に電気が走った。
「早く来てくれ。ゲイナーが見張っているんだ」
 カンターは棚の中で震える剣を手に取った。震えは嘘のようにぴたりと止んだ。思ったとおり柄の握りは手のひらに吸い付き、重さも長さもカンターのためにあつらえたとしか思えない。
 三人はモトを先頭に部屋の外に走り出た。
 
「こっちだ」
 モトが指差して走る方向はアランじいの家を迂回するように山の裏側に通じている。そんな所に部族の人間は住んでいない。するとゲイナーは竜のそばに一人でいるのか。それはあまりにも危険だ。
 三人は膝まである緑の雑草をかき分けながら必死で走った。
「戦士になったばかりで、竜が出るなんて、タイミング、良すぎないか」
 シークがあえぎながら言った。わざわざ話しかけるのは不安を隠そうとしているのだろう。カンターはモトの背中に声をかけた。
「モト、竜は何匹いるんだ」
「わからん。俺が見たのは一匹だけだ」
「ゲイナーは一人で大丈夫なのか」
 振り返った顔には、自信満々に剣を振っていた面影がない。
「俺も心配だったけど、ゲイナーがお前らを呼んでくるように言ったんだ」
 
 モトが速度を落とした。草原を抜けてまたゴツゴツした大岩が肌を見せていた。
「あれ、ここにゲイナーがいたはずなのに。どうしたんだろう」
 カンターとシークを振り向いてまた周囲を見回す。
「まさか竜に……」
 モトの唇が震えていた。それはまだ少年の怯えた顔だった。
「しっ」
 シークの低い声が飛んだ。シークはかがんでその姿勢のまま前に進んだ。岩の上にゆっくりと腹這いになる。左手を上から下に振って後の二人にも同じ格好をするように合図した。
 日に焼けた岩は熱くなっていて、カンターは肘と膝で身体を支えた。シークは岩の向こう、崖のように窪んだ草地に何かを見つけたらしい。三人が頭を寄せ合ったところで指を突きだした。
「モト、あれだろ」
 シークの指の先をたどったところに確かにそれはいた。
 
「あれが竜か」
 薄黄色の皮膚、鳥を思わせる細長い頭にはめ込んだような真円の目、後ろ足で立ち上がったその肩の辺りに一組の突起がある。カンターは実際に竜を見るのは初めてだった。それは他の三人も同じはずだ。
 ただ戦士たちの話や絵の中に登場する恐ろしい竜と、今見ている竜はどこか違う気がする。
「おい、あの竜、小さくないか」
 シークが小声で言った。カンターと同じ感想を持ったようだ。竜の近くの木立と比較するとわかるが、カンターの肩くらいまでしかない。今まで聞かされていた話では、竜は大人が見上げるほどの大きさだ。
「子供なのかな。モト、本当にあれだったのか」
 カンターとシークに疑い深げに見られてモトは慌てたようだ。
「いや、もっと大きかったと思うんだけど。それに子供だって竜は危険だぞ。あっ」
 竜がゆっくりとカンターたちのいる方向に歩きだす。同時に三人の下の方から誰かの呻き声が聞こえた。カンターは腹ばいのまま前に進んで、岩の切れ目から下を覗き込んだ。
「ゲイナー、そこか」
 崖の下の窪みに尻餅をついて座ったまま、竜に向かって剣を構えているゲイナーがいた。竜が上から見下ろす三人に気がついたのか、威嚇するように鋭く尖った牙を見せた。モトの言うとおりだ。あの牙で噛まれたら子供の竜だろうが命が危ない。
「カンター」
 ゲイナーが安堵と緊張の入り交じった顔で見上げる。カンターは近くの石を拾って竜に思い切り投げつけたが、竜は俊敏に避けた。シークとモトは左の足場もない崖を降りようとしている。しかしあれでは間に合わないだろう。
 カンターは岩の上に立ち上がった。腕が震える。震えるほど恐いのか。いや、違う。震えているのは剣だ。
 
 竜がゲイナーにするすると近寄った。もう距離がない。
「く、来るな」
 ゲイナーが剣を片手に後ずさる。竜が長い鉤爪のついた腕を伸ばした瞬間、カンターは我を忘れて跳躍した。
 宙を飛んだカンターは、竜とゲイナーの間に飛び降りた。
「カンター」
 カンターは衝撃を膝で吸収して土の上を転がった。すぐさま剣を構えて竜とにらみ合う。竜は剣をじっと見つめた。くるりと黄色い背を見せて逃げていく。落ちてきたカンターに驚いたのだろうか。カンターはほっと息をついた。
「大丈夫か、ゲイナー」
 カンターは尻餅をついたままのゲイナーに駆け寄った。
「怪我は? 足をやられたのか」
「カンター、お前、なんて無鉄砲なんだ。あそこから飛び降りるなんて」
 声が震えている。いつもの冷静なゲイナーではなかった。
「夢中だったんだ。仲間がやられるのを見ていられなくて」
 いきなりゲイナーに抱きつかれた。
「俺、カンターにあんな偉そうなことを言っといて……初めて竜を見たらこのざまだ。悪かった、カンター」
「ちょっとゲイナー、苦しいって」

「ゲイナー、無事なんだな」
 シークとモトがようやく崖を降りてきた。
「助かったよ。俺、崖を降りる途中で足をすべらしてしまって」
「竜にやられたわけじゃないのか」
「ああ、自分で挫いただけだ。でもカンターが助けてくれなかったらどうなっていたか。竜が近づいてきた時は、殺されると思った」
 ゲイナーの顔はまだ血の気が引いたままだ。モトがさっきまでカンターが立っていた崖を見上げた。
「カンター、お前、勇気だけはあるみたいだな」
 カンターは竜の逃げた方角を見た。竜は素早い動きで草原を抜けようとしている。カンターは何かにせき立てられるのを感じた。それは考えるより先に言葉になっていた。
「僕は竜を追いかける」
「おいおい、調子に乗るなよ、カンター」
 モトに肩を叩かれた。
「戦士に成り立ての俺たちに竜を追いかけるなんてできるわけないだろ。まずは大人にこのことを伝えなきゃ」
「あいつの後をつければ竜の住みかを見つけられると思うんだ」
 今まで竜がどこからやってくるのか誰も知ることはなかった。
「ゼンコおじさんが言っていた。竜の住みかがわかれば、俺が逃げ道を塞ぐように火を掛ける。あとは全員でありったけの矢を射かければ一網打尽だって」
 シークがカンターの腕を強く掴む。
「竜がお前の親父さんの敵なのは知っている。だけど冷静になれよ。子供の竜だって危ないし、どこかに親がいたらどうするつもりだ」
 カンターはその目をじっと見た。
「頼む、シーク。すぐに追わないと見失ってしまう」
 シークの腕の力が緩んだ。
「その顔のカンターに何を言っても無駄だもんな。わかった。俺も行くよ」
「だめだ。シークはゲイナーについていてくれ。モトは急いでリガードたちに報告するんだ」
 カンターは腰に巻いた革のベルトから木剣を抜き取り、代わりに震えの弱くなった剣を差し込みながら三人に背を向けた。シークが肩に手をかける。
「カンター、深追いするなよ。絶対だぞ」
「わかったよ、シーク」
 カンターの前には竜が踏みしだいた青い草が倒れたままになっている。それはカンターを新しい世界に誘う一本の道のように、真っ直ぐに伸びていた。

<続く>

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