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続 ハンナ・アーレント『人間の条件』を読む(地元で哲学してみる? 政治とは話し合い、語り継ぐことなんだって!)

こちらの記事は、Yahoo!クリエイターズで6月に書いたもののメモです。クリエイターズの方でも読めるので、そっちもチェックしてみてくださいね。

さらに、この一連の記事の最初のものは、こちらです。

ナカテツ=中原区の哲学カフェ

中原区で哲学を深めてみようと、きゃさりんさんという女性が始めた活動「ナカテツ」。「思いつきで始めてみたのに」ときゃさりんさんがびっくりするくらいにあれよあれよと人数が増え、いまは100人を超えています。

哲学に興味のある人は多いのだろうと思います。特にこのコロナ禍、生き抜くためのいろいろな知恵やヒントが、哲学にあるような気もしますよね。

私が毎回参加させていただいているのは、「ハンナ・アーレント」という女性哲学者の『人間の条件』という本を読む会ですが、ほかにも武蔵新城、平間、元住吉でそれぞれ異なるテーマで「ナカテツ」が開かれているので、ぜひチェックして興味ある分野から「哲学」の扉を開いてみてください!

さて、武蔵小杉での『人間の条件』読書会

かなり学術的。ハンナ・アーレントという女性哲学者の研究者で、国内では第一人者とされる佐藤先生を講師として招き、非常に読みづらいとされる『人間の条件』の読み解き方を聞きながら、読み進めていくという内容です。

ハンナ・アーレントがどれだけ読みづらいかというのは、上記に引いた、初回参加時のnoteに記録しておりますので、よろしければお目通しください。

毎回1ページくらいしか進まない

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佐藤先生の話は、とにかく面白いんですが、哲学や教養は雑学から知識を得られるものだということを毎回実感します。

第1回目はなぜハンナ・アーレントが読みづらいのかということを教わるだけで、ほとんど3時間を使ってしまったのですが、そのなかに本当に多くの学びがありました。

第2〜4回めは、私は稽古と重なってしまい出られなかったのですが、その間にも1ページしか進んでいないというのだから、その脱線ぶりがおかわりになるでしょう。

では、第5回目のメモを以下に残しておきます。(メモなので、まとまっていません 笑)

メモメモ

政治的生活=活動と言論 Politicsという言葉には、「ポリス」が入っている 

アリストテレスやプラトン→固有に人間らしい
ひとりの人間は条件がいろいろ違っても、この場所ではみんな対等であるという前提のもとに、この世界について語り合えることを政治的生活、と言った。
なにかを徹底的に支配することに政治があるのではなく、いろいろな違いを認め合った上でみんな平等に協働の生き方を考えた。
古代ギリシャでは政治生活の中心に劇場があった。
では、そこでなにをしていたのか。
歴史とはなにか、という認識がないとわからない。歴史≠事件。
語り伝える人がいて、歴史になる。
オイディプスとアンティゴネー
戊辰戦争の負けた側は土葬を禁じられて野犬に喰われるままにした。
コロス長「思慮こそは、こよなき幸せの礎、神々に対して不敬の手ひどい打撃を被って、償ってのち、老いに至って思慮を教える定め」
ひとつの事件をめぐっても、いろいろな経験を照らし合わせながら対話をしていく、それが人間の福島原発事件について、あれはなんだったのか、ということを語り合う、私たちはあそこからなにを学べるのか、ということを考える。

すごくリアルな政治の話をします
安保、連合赤軍の事件、殺し合い、傷になって話し合わない。
本当にひどい思いをしたなら、それをきちんと他の人に伝えて語らないと、ほかのひとの教訓にならない。
それを的確に語る大きな言葉を私たちはもたなければならない。
大きな言葉は、私たちがものを考える基礎になる。だから、一般の人たちはコロスになる。

ジャーナリズムは、事件を伝えるだけで終わっている。
この事件は何なのか、思考を促す、語り合いを促すことが必要。
戦争に行った人は、武勲以外を語ることはしない。→だから戦争が止まらない?
戦後第一次世代が何も語らない。生き残った人は、周りに迷惑をかけることを恐れて語らない。家族にはとても話せない。
広島、長崎の二重被爆をした人が、語らなかった理由。
忠臣蔵について、日本人はどのように読んだのか。
江戸時代に一番読まれた書物は「太平記」みんなが共通で読んでいた。こういうものは共通の認識=教養になっていく。
私は諏訪大社の近くに住んでいる。7年に一度しかお祭りをしない。
八ヶ岳から20メートル以上の柱を運んできて立てる。これから3年間は、共同作業について語り合おう。そして次の3年間は、つぎの祭りについて話し合おう。それがあって人間は生きていける。
お祭りは、人間しかしないことの代表。政治とお祭りが一緒になるということは、現代人からするとピンと来ないかもしれないが、これは政治に他ならない。人が共同作業をして、それについて語り合うということ、そのものが政治的活動なのだから。日本が経済成長だけで生きていた時代は、お祭りは衰退する。最近、商店街ではなく、地域の人が主体となってお祭りを復活させていく動きがある。

★エコノミックアニマル=経済活動をする人間
★ホモファーベル(HOMO FABER)職人=ものを作り上げて、そのことによって文化を作り上げる
★政治的動物=人間であるがゆえに起きる色々な営みについて考え、語り伝える
書くことが大事

人間は、自分自身でさえも、自分の中で起きたことの記憶を再編成しながら生きている。思い出すたびに改竄される。
ユーゴスラビアに1年暮らした経験がある。新聞は誰かの前で声を出して読む習慣がある。みんなの前で詩を語ること、言葉を朗読することはとても意味のある行為。アウグスティヌスが黙読を始めた。それより前は、本はかならず朗読したもの。

さらに雑談

メーチニコフ
世界で類例がないほど、識字率が高かった。江戸時代に大量な絵入り本が書かれた。文字と絵が合体することにより、識字が広がった。外国人が日本語を学ぶ時には漫画を読む。
鳥獣戯画のころから、断固として確立していた。勉強しないで漫画ばっかり読んでいた人の証言「漫画のなかに全部書いてあった。白土三平なんかマルクスの私的憂鬱論をもとにかかれていたので、小学生がマルクスを知っている、みたいな感じになる。日本の漫画にはいろいろなことが書かれている」
知識階層じゃなくて、庶民がそれをしたというのがすごい。音読みと訓読みがあることが文化に貢献している。重い=重ねる、重。



本題=『人間の条件』P.47


ポリスは政治体の中でも、最も饒舌な政治体と呼ばれたが、それにも理由がなくはない。このようなポリスの経験と、それよりもむしろ、その経験から生まれた政治哲学において、活動と言論は分離し、ますます独立した活動力となった。重点は、活動から言論に移り、それも、起こった事柄や行われた。

ソクラテスの弁明 告発をされる、いろいろな神様が信仰されいたのに、新しい神様を広めたのではないか。ポリスというところの判断についてそれを拒否はしない。毒杯をのんで死んだ。古代ギリシャのシンボルである。アゴラに立って、道ゆく若者に話しかけて議論していた。もっといろいろなことを人間は吟味することが必要。誰かの煽りに乗っかるのは危険だということ。ポリスを絶対視。
ダイモン(=悪魔)は自分の考えに掣肘を加える存在のこと。つまり、意見に流される前に、もう一度考えてみよう、という考え方は、集合政治を作りたい国家権力者からは邪魔だった。


名演説家が出てきた。それを眺めていたのがプラトン。その著書『国家』は最高傑作であると先生は言う。哲人政治を推し進める。それ以降は、指導する人が指導される人をどうやって指導するか、ということの観点で政治が語られ始める。ソクラテスは、国家形態については何も話していない。自分たちが何を語り合うべきかということを語っている。実践家であったので、哲人による支配の可能性を探り、イタリアのシチリアで理想郷を作ろうとした。
プラトンはどういう国家形態がいいのか、ということについて話している。

200年くらい前までは民主主義を標榜する人はいなかった。露骨言うと煽られて載せられた人たちによる社会、ポピュリズム。衆愚政治と見なされていた。ヒットラーの登場以来、それを衆愚といわなくなる。


プラトン、アリストレテスは全然違う
アーレントの『革命について』も読みたくなる。アメリカの民主主義に含まれているさまざまな問題を考察した中で、フランス革命は血で血を洗うもの、アメリカではなぜ血が流れなかったか、というところから、共和制と民主主義について書いた。
近代の人は国家に縛られている。
日本は、家長制をもとに近代国家を作った。近代国家とは家長制度の延長にある。
生存のために束縛されている、市場経済が確立していないときには、家長にさからうということは命がけの行為であった。
ロゴス logos =言論をともなう
ヌース nous =言葉を超えたもので知感する
「田舎司祭の日記」
われわれがどんなに勉強しても、この世界は1万分の1しか認識できない。
ハイデッガーの恋人だった。
福沢諭吉の著書はほとんどが欧米の誰かの引用。ただ、それに日本語の訳を与えた。

とりあえず、今日はここまで。(笑)

次回は8月にやります。

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