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やわらかい線


書きたい、書きたい、書きたい

でも、そうはさせてくれない、何か、ナニカ、がある。


かなりリアルな、モノなのかヒトなのか、リアリティ、念、気が渦巻く場にいます…

と、昨日まではそんな理由を付けたり、並べていて、いつだってその事実には変わりないと思いますが、一番は自分の心

無理だった、踊れない、踊りようがないところから、名前を捨て、踊る欲が再び、わきあがってきたことが、その'何か'と思えてきた

(渦の中、渦中で、ありがたやに帰結するだけな流れには待った。書きたいことには、距離が必要…云々、昨日の続きはもう少し先のイメージ。今、それまでの間がスカスカしてしまう。)


2023年、1年間をふり返ったりする世の流れで、自分も日に日に、写真や過去の投稿をチェック

(撮影:古熊美帆さん)

今年も夏場は特に苦しかった。

そんな最中に惹かれる写真家の方々に撮ってもらえた自分の写真を自分でみてみて、

女であることは要らない、いくら捨てたって女であることの仕方なさが存在するだけ

そう思った。今も、この思い以上につよい思いは、そう簡単に思い当たらない。


踊り念仏・前夜祭
ニュー道後ミュージックさんにて
2023年5月2日
(写真提供:米山真人さん)


アキレス腱断裂し、2ヶ月半くらいの頃。
まだ歩けず、両松葉杖で移動していた。楽屋もステージも這いつくばった。ケダモノだった。

歩行ができなくなり、職も、生活も追われ、失い、人としての誇りや尊厳も損なわれ、人からかけてもらった施しと情けで生き延びた。


ふり返りをはじめたらキリがない。

過去にすごい速度と熱量で引っ張られる。

人の念が渦巻き、ぶつかり、譲り合うところ、自分の肉体であったり、人の心がむき出し、さらけ出される場を、引き続き、廻り、生きることになったからなの、か

段々と、やっと歩くようになり、まだ踊れない時、踊りようのない時は、不安もあったけれど、生きることに困っている私に、熱海と道後の劇場さん、出演のお姐さん達は手を差し伸べてくださった。

今思えば、踊れないということがはっきり決まっていただけ、この頃はまだよかった。自分にできることも、医者に尋ねた位で解決する訳でもなく、そもそも怪我をする前から、溢れる表現と見世物としての在り方、競争により敷かれているシステムには限界も疑問も交互に感じ、真っ先にどんどんはじかれ、運よくはぐれて行けて、よく分からなくなっていた時だったから、何もできないことをさらすことは怖くなかった。それしか生きようがなかった。


名前を捨て、90%の力で足を使って大丈夫になってからは、こんな体験は二度とできないこととなった。

踊ろうとしたり、何か(天狗であったり、モノノケであったり、お宮さんであったり、踊り子有馬美里であったり)に成ろうとすればするほど、自分の場合はうまくゆかなくなり、跳ねることも、からだをリズミカルに動かすこともできず、動かず佇んでいた時の方が、大丈夫かな?とは思ったけれど、意外とお客さんの反応もみたことのない自然で、お互いが生き生きと在れているように感じて驚きもしたし、そうだよな…と思った。

限りなく奇跡のようなめぐりあわせの玄人のお客さん、熱心なお客さんのそれぞれの事情や抱く期待とは裏目に、裏腹に…なっているような

名前を捨てたことで、それまでのわたしのあべこべにうんざりしたり、むかしの名前が張っていた中で産み出されたのであろう堂々めぐりのクエスチョンや興味やわずかな期待の種…はずいぶん絶ち切れたのかな…


同じようなことを書いて、書いて、書き直して、思い直して、削って、核に近付きます。

生活は最早ないけれど、ショーも、同じなのかな。自分の話です。核には近付く必要もないのかな、と思うけど…それはからだがやってくれているのかな…いま
自分の場合。最後は、からだと心。やっぱり。

バランスがいいのはすてき、だけど今は無理…とても。

女であることは要らない、いくら捨てたって女であることの仕方なさが存在するだけ…


2023年5月14日
ヒルトン東京お台場にて
2023年10月15日
熱海銀座劇場にて

(撮影:深川美怜さん)



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