見出し画像

葛尾村滞在記-19歳の1年間-

 NHKのニュースで地方移住を決断した大学生が取り上げられていた。ニュースの中では、「地域での学び」「リアルな実地経験」というような言葉とともに意欲的に活動する同世代が映し出されていた。私も今年は年の8割近くを福島県の葛尾村にて過ごしている。千葉県生まれ千葉県育ちであるため、彼らと同じ大学生の地方移住だと言って差し支えないだろう。ただ、彼らとは違い、何かテーマを持って意欲的に活動していたわけではない。よって、今のところ、わかりやすく人に誇れるような学びはない。緩やかな内面の変化はあるのだろうが、きっとこのまま放っておくと自覚することはできないだろう。そこで、約1年間の葛尾村での生活を振り返り、どのような「地域での学び」「リアルな実地経験」を得られたのかを確かめていく。

 「今年は葛尾村で暮らしてる」と言うと、行動的な学生という印象を抱かれがちだ。確かに外から動きを見ているとそのように見えるだろう。でも、これは惰性で動いているだけだと自分自身では思う。行動的だった高校生の自分が作った関係性に流されるまま生きている。立ち止まる方が難しいのだ。ただ、流されるのも悪いことばかりではない。流されるだけでいろいろな出来事に出会うことができる。このnoteでは、そのような出来事を通じて感じたことについて個々に振り返ることで、得られた学びを明らかにする。


1. 収入・自動車免許・家事

 今年あった大きな変化を3つあげるとすると、収入・自動車免許・家事だ。昨年までは親の収入にほとんど頼りきりの生活をしていたが、今年は自分の収入だけで生活できる程度には収入を得ることができた。また、自動車免許を得たことにより、人に頼り切りだった車移動も自分で行えるようになった。加えて、初めて実家を離れたことで、すべての家事を自分で行うようになった。この3つは生活の自立という点で共通している。もちろん完全に自立しているわけではないし、そのようなことは原理的に不可能なのだが、自分の足を部分的にでも使って立っているような感覚を得ることはできた。この感覚は生活面での自立のみならず、精神面の自立にもつながると感じている。生活の支援を受けていると、少なくとも私は支援者の顔色を伺いがちだ。言い換えれば、悪意がなくとも無自覚のうちに精神面での抑圧を受けてしまう。一方、生活面で自立する、また自立とは言わずとも支援者が分散すると、抑圧を低減することができる。今年の収入・自動車免許・家事の変化は、そのような抑圧の低減を実現し、より自由に物事を考えることのできる環境を作ってくれた。

画像1


2. THE CUCUMBER MAN

 「休学してるの?」とよく聞かれるが、オンライン授業をしっかり受けて単位は取得している。葛尾村滞在中に受けたオンライン授業で印象に残っている授業は映画を作る英語の授業だ。私はその授業の中で「THE CUCUMBER MAN」というショートムービーを制作した。2人の男(1人2役)が交互にキュウリを食べながら様々な表情を見せる動画である。小道具のキュウリは自分たちの畑で収穫したものだ。シナリオを書くのも、役を演じるのも、動画編集するのも、ほとんど初めての経験だった。今までは感じたことを表現する手段としては、せいぜいこういうようにnoteを書くといったような文章表現しか持ち合わせていなかったが、この授業を通じて表現手法が広がったように感じる。正確に言えば、文字情報以外の表現手段を体感できたことで、コミュニケーションの中での多様な情報伝達に意識的になった。THE CUCUMBER MANをはじめ、この1年間の様々な経験はそのような表現手段・コミュニケーションを豊かにしてくれたものが多いように思える。

画像2


3. 談話室 -夏インターン-

 滞在中に何の仕事をしていたかと言うと、主に復興創生インターンシップという地域企業に大学生がインターンをするプログラムに携わっていた。今までは1か月近く現地に滞在するプログラムであったが、今回はオンライン(一部オフライン)での実施だった。振り返ると、慣れないオンラインプログラムに準備が遅れ、参加者の心情にまで意識がいっていなかったように思える。そのためか、極端に言うと、一部の参加者が現地に来て寝食を共にするまで感情を持った生身の人間とは思えていなかった。これは参加者も同様のことを言っていた。話しつくされたことかもしれないが、ここにはコミュニケーションの冗長性の重要さがあると思う。オンラインでのコミュニケーションで、特に余裕がないときは、文字情報の伝達にしか意識が向かなくなりがちだ。一方、同じ空間を共有しているとき、そこには仕草や姿勢、間投詞といった部分にまで意識が向きやすいように思える。また、意図しなくてもお互いの様子を共有することができる。そのような冗長性があってはじめて対話は成立するのではないだろうかと、談話室で人生ゲームをしている写真を見て思った。

画像3


4. 距離が育むもの・壊すもの

 千葉県から福島県に移動したことで様々な人やモノとの物理的な距離が変化した。例えば、18年間基本的に離れることのなかった実家および家族から数百kmも離れることになった。私の精神にとって良くも悪くも影響力のある(心理的距離の近い)実家と物理的な距離をとったことをその関係を改善させたように思える。心理的にも物理的にも近すぎる向き合えない問題は、根本的解決には至らないまでも、物理的距離を取ると比較的向き合えることが分かった。また、逆に物理的距離が近くなった人やモノもある。例えば、葛尾村の住民や他の滞在者だ。物理的距離が近い人と良好な関係を築くには心理的距離を離すべきだと今滞在中に感じた。これは何も不仲になれという話ではない。ここで言う心理的距離は尊重というような意味合いである。日本語の尊敬語は相手の距離をとるようなニュアンスがある。そのようなイメージだ。このような体験から、心理的距離・物理的距離のバランスに自覚的になったように思える。

画像4


5. 談話室 -探求学習-

 今滞在中の最も想定外の出来事はふたば未来学園の探求学習に関わるようになったことだ。稲刈りイベントに参加した高校生が「葛尾村でスポーツ大会を開催する」探求を実行していた。内容には触れないが、プレ大会実施後に談話室で振り返りをした。イベント振り返りから話が転がり、なぜ葛尾村で探求をしたいのか、そもそも地域課題とは何か、過去や歴史に意味はあるのか、といったように何時間も話が転がっていった。その中で私は地域課題解決型の探究学習に少し違和感を持つようになった。探求学習というのは、自分で問いを立てて自分で答えを考える経験をする機会だと思う(詳しくないので有識者の方に教えてほしい)。確かに、自ら地域課題を見つけ解決法を考える作業は一見そのような機会に見えるだろう。しかし、多くの場合で、世間で話されているような最もらしい課題に最もらしい解決策をつける作業になっているように見受けられる。それ自体は全く問題だと思われないが、「なぜその課題を選んだか」という問いを考えなければ、事務処理能力を高める程度にしかならないのではないかと思う。探求学習を変えたいとは思わないが、先日の談話室のような課題設定の背後にある自分自身の価値観や感情に向き合える場所は守り続けたい。

画像5


6. かつらおスポーツクラブ

 村の方々からの誘いで、かつらおスポーツクラブに入会した。週1回みんなで体育館に集まってバドミントンと卓球をする会である。昔からお世話なっている方から体育館で初めて会う方まで様々な方々とスポーツをする。その中で感じたことは、葛尾村にはいろんな人がいるということである。居住人口400人の村とは言えど、日常的に関わりがあるのはそのうちの一部である。特にお世話になっていた団体では、お年寄りの方と会う機会が多かった。おそらく葛尾村への関わりが少ない方が団体経由で来ると、お年寄りばかり村のように感じるのではないだろうか。高齢化率50%は高いが、裏を返せば半分は65歳以下ということである。このように、小さな村であっても様々なコミュニティが多層的に重なり合って村は成立している。この多層さが村の価値だろう。したがって、それを無理に一元的に管理しようとしたり、葛尾村という名前で自分の見えている範囲だけを語ることには自戒を込めて気を払っていきたい。

画像6


7. あるおばあちゃんの昔話

 葛尾村に来るようになってからずっとお世話なっているおばあちゃんがいる。いつも美味しいご飯を作ってくれて、この前は家にまで泊めていただいた。その晩におばあちゃんの昔話を何時間も聞かせてくれた。そのおばあちゃんは葛尾村の出身ではない。離れた村から葛尾村まで嫁ぎに来たそうだ。当時、村ではよそ者扱いされ、家庭内にも居場所はなかったと語る。お金を持たせてもらえないため、逃げ出そうにも逃げ出せず、家から出る機会はほとんどなかったという。そのような過去を乗り越えて、今は私の天下だと笑っていた。葛尾村を語るとき、原発事故によってのどかで豊かな農村が失われたという表現がされることがある。確かに、原発事故は非常にネガティブな出来事だが、震災以前の村が美化されているのではないだろうか。おばあちゃんの話は一昔前の話だが、伝統や継承を考える際には、それらによって虐げられてきた人がいないか意識する必要があると切に感じた。

画像7


8. 愛着の暴力性

 今年1番聞かれた質問は「なんで葛尾村にいるの?」というものだろう。数日間の滞在であれば、〇〇しにきた!などと言えるが、1年間となるとそうも言えない。考えた末、「地元みたいなものだから」と言っている。私は千葉県の出身だが地元をあまり地元だと思えていない。元から社交的ではなかった上に、中学から地元を離れたこともあり、地元に友達や知り合いが全くと言っていいほどいないことが大きな原因だろう。その点、葛尾村には地元以上に知り合いがいて、休みになれば全国の友達が遊びに来る。これは葛尾村に様々な理由で来ていた3年間で積み上げたものだ。これは愛着と言って差し支えないだろう。しかし、この言葉を他人が使った瞬間に暴力性を帯びると感じている。この愛着というのは、本人の体験の蓄積により、なんとなく生まれる言葉で表せない類の感情だ。それを他人が「愛着を持ってほしい」「愛着はあるのか」などと言うのは、本人の意志に外から圧力を加える行為だろう。心の中でそう思ったり、そう思ってもらえるよう画策したり、「こんなところが私は好き」と伝えたりすることに何ら問題はないが、伝え方を間違えると非常に暴力的な言葉になってしまう。

画像8


9. 居候と名乗る理由

 滞在中、私は「葛尾村の居候」を名乗っていた。これは地域で起業したい大学生ではないという主張である。以前はローカルベンチャーに憧れる高校生だったと思う。今もそのような同世代をとても尊敬している。でも、私は先のような理由から、明確な理由なく葛尾村に滞在している。目的よりも滞在が先行している。「〇〇に惹かれて葛尾村にいるんでしょ」と言われるが、そんな単純ではない。少なくとも〇〇は複数にわたる。例えば、今携わっている仕事がなくなった程度で葛尾村から離れたりはしない。そのような想いを込めて「葛尾村の居候」と名乗っている。

画像9

余田大輝

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?