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村に居候するという選択

 新型コロナウイルスの影響で多くの大学がオンライン授業になりました。そのため、ほとんどの大学生が自宅から授業を受けることになったと思います。私が通う慶應義塾大学では、99%を超える塾生が自宅から授業を受けていたようです。

 そのような状況の中、今夏の約3か月間、自宅でもなければ、キャンパスの近くでもない福島県双葉郡葛尾村に滞在しながら、私は授業を受けていました。なので、私は1%未満の自宅以外から授業を受けていた塾生にあたります。そこで、約3か月間の滞在で行ったことや考えたことの振り返りも兼ねて、このnoteを記していきたいと思います。

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1.仕事ではなく居候

 滞在中、私はZICCAという一般社団法人葛力創造舎が運営する民泊にて生活していました。大家さんの他に、滞在する学生が出入りしていたり、併設されているオフィスで葛力創造舎のスタッフが働いていたり、地元の人たちが遊びに来たりと村に関わる様々な人の交流拠点になっています。

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 ZICCAでの生活は、千葉県の実家での生活とは全く違うものでした。まずは何よりも畑があることが大きな違いです。毎朝、畑に行って、野菜を収穫し、自分たちで料理したり、首都圏の友人たちに送ったりしていました(毎朝は嘘です。こん棒みたいなキュウリを作ってごめんなさい)。また、ZICCAの床を自分たちで塗装したりと、自分の生活を自分の手で作っている感覚がありました。

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 そもそも私がなぜ葛尾村に滞在することになったかと言うと、大きなきっかけとして、復興・創生インターンシップという葛尾村を含めた東北3県で行われているプログラムの運営スタッフとして働いていたことがあります。しかし、この3か月間、頑なに私は、仕事のために葛尾村に滞在している大学生ではなく、葛尾村に居候している大学生として名乗り続けていました。この背景には、どのような態度で葛尾村に滞在するかということに対する私のこだわりがあります。

 高校3年生の春からの約2年半、私は頻繁に葛尾村を訪れてきました。最初は友達に誘われて遊びにいっただけでしたが、そこから訪問・滞在を重ねるうちに、どこでもよいが何らかの理由があってそこにいるという相対的に優位な場所ではなく、自分にとって固有的で絶対的な場所の1つであるというような感覚になっていきました。

 それがどのような態度で葛尾村に滞在するかということにもつながってきます。「仕事のために葛尾村に滞在している」と言うことは、前者のような場所としての葛尾村を意味すると思います。しかし、私は後者のような場所としての葛尾村であるという感覚を持っているため、「(現地にいるかに関わらず)葛尾村に滞在しているから仕事をしている」と考えていました。そこで、仕事をするためではなく、葛尾村にいるために、葛尾村にいるということを表すために、自分は居候であると名乗り続けていました。


2.自炊・いただきもの・石井食堂

 葛尾村での食事は、自炊・いただきもの・石井食堂の3要素から構成されています。自炊では、畑でとれた野菜と自分たちで田植え・稲刈りしたお米を使っていました。

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 中でも、サークルでオンラインピザパを開催して以来、手作りピザにはまってしまい、毎週のようにピザを作っていました。ピザの載せるチーズには、かつらおファームからいただいたヤギミルクのチーズを使ったりしています。次はピザ窯から作ることを検討中です。

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 また、村の人たちから、たくさんの食べ物をいただきました。数えきれないほどのものをいただいたため、写真を上げるととんでもないことになるので、村のおばあちゃんに昔ながらの小麦粉カレーを作っていただいたときの写真を上げておきます。

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 他にも、うちの畑で採れた野菜を石巻に送り、代わりに牡蠣などの海産物をいただくという地域間取引を通じて、葛尾村で手に入らない食べ物を手に入れていました。

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 何といっても、お世話になったのが石井食堂です。葛尾村で外食をすると言ったら石井食堂です。もはや外食という感覚もないような気がします。葛尾村に行った際には、ぜひ食べに行ってみてください。おいしいです。

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3.情報がはぐくむ感覚

 2年半の間、頻繁に葛尾村を訪れていたとは言えども、知っている情報はとても限定的でした。交流のある人やよく訪れる施設は知っていたとしても、その人がどこに住んでいるかなどという地理的な情報に関してはほとんど分かりませんでした。

 今回の滞在の間に、2つの理由から格段に知っている情報が増えたように思います。1つめの理由は、自動車免許を取得したことです。これまでは、葛尾村に行くための移動は路線バス、村内での移動は人の車というように、自分で道を覚えて移動する機会は徒歩圏以外ではありませんでした。それが今回は免許を取って行ったことで移動機会が生まれ、道路や家の位置関係を把握することができました。

 2つめの理由は、葛尾村の地図を書いたことです。葛尾村について考えるワークショップをきっかけに葛尾村の地図を書きました。次の図は葛尾村の行政区と主要道路を書いたものです。この図を自分で書き、行政区(おおむね集落と対応)を覚えたことで、より俯瞰的に葛尾村の地理情報を捉えられるようになりました。

行政区

 加えて、震災以前(2009年度)の葛尾村の産業・雇用創造チャートを図にしたり、『葛尾村史』をもとに村の歴史を学んだりと、この滞在中は地理情報以外にも様々な情報のインプットをしました。

産業雇用チャート

 このように情報を知ることは、ただ知識が増えること以上に、その場所にいるときの景色の見え方という観点から意味があると感じています。例えば、1年前は「なんか北の方の歴史があるところ」としか見えていなかった大尽屋敷が、「下葛尾の○○さんの家の近くのところで、中世の移民に関係している建物で…」というようにその背後にある物語まで含めて見えるようになりました。万人が場所をそのように見るべきだとは思いませんが、情報が頭の中で有機的につながり、場所に対する解像度が高まる体験は、私に豊かさを与えてくれるものでした。


4.楽しい夏休み

 大学の春学期が終わり、夏休みに入ってからも私は葛尾村に滞在していました。春学期後半は期末レポートと仕事に追われる忙しい日々でしたが、夏休みに入ると遊べる時間が生まれました。Switchを持っていっていたので、1人のときはポケモン、みんなのときはスマブラなど、娯楽施設がない村でも意外と千葉にいるときと変わらない休日でした。

 他にも、いろんなことをしながら過ごしていましたが、これは実家じゃできないなーと思ったのは、ラーメンづくりです。ゲンコツや背脂を肉屋から調達し、二郎系ラーメンをスープから手作りしました。コンロだと火力が足りないので、外で薪を使ってスープを煮出していました。ちばからを目指して作りましたが、どちらかというと本家に近いものが出来上がりました。また作りたいです。

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5.同じ空間にいること

 当たり前の話かもしれませんが、同じ空間にいるというのはとても意味のあることだと感じました。特にこの夏休みの時期は、コロナ禍によって、対面で人と会うことが少なくなり、代わりにZoomなどオンラインでのコミュニケーションが増えました。それによって、今までは形式的な目的によって成立していた無目的なコミュニケーションが失われてしまったように思います。例えば、ご飯を食べに行って他愛もない話をするといったようなものです。皆さんにとってもそうかは分かりませんが、少なくとも僕にとっては、「ご飯食べにいこう」と「Zoomしよう」は大きく違うものに感じます。

 そのような状況の中で、ZICCAという同じ空間で他の人と生活していたことは重要な気付きを与えてくれました。そう思ったきっかけは、本当に大したことない、Zoomでサークルの会議しているときに、目の前を通った同居人にパソコンの充電器をとってもらったことです。こういう偶発的なコミュニケーションはオンライン上だとほとんど起こりえないよなーと充電器を受け取りながら思っていました。

 また、特にありがたかったのは自分が追い込まれていたときです。恥ずかしながら、仕事などいろいろな要因から、人と話したくない期がきていたのですが、同居人に無理やり食卓に連れてこられたりしていました。そういう非言語的なコミュニケーションは同じ空間を共有しているからこそなのではないでしょうか。同居人の皆さん、お世話なりました。

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6.定期的な脱走

 オフィスと襖1枚かつ人の出入りが激しいZICCAで共同生活を送るのは、想像以上に大変なものでした。1週間ならそれも楽しいですが、3か月となると話が違います。それもあってか定期的に葛尾村から脱走(連絡済)をしていました。

 特に目的もなく郡山に行ったり、ちょっと遠出して松島や飯坂温泉に旅行したり、隣の川内村でいわな釣りをしたりと、定期的な脱走を楽しんでいました。今までは葛尾村に来るのにワクワクしていましたが、このときは葛尾村から出るのにワクワクするようになっていたので、ちょっと村民に近づいたような気もします。

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7.理念と人生

 何らかの企画を運営する団体の多くは、「誰をどのような状態にしたいか」という理念を持っていると思います。復興・創生インターンシップのインターン生とプロジェクトの話をしたり、所属しているサークルで団体の方向性の話をしたりする中で、企画における理念のあり方が共通のテーマとしてあると感じていました。

 そのテーマに関して自分の中に2つ論点がありました。1つめは「企画において理念は重要か、重要ならばどのように達成されるか」です。前半に関しては、私の中では自明で、理念のない企画を作るというのはあまり想像できません。問題になるのが後半部分で、「誰をどのような状態にしたいか」とは言うけれども、「どうしたら対象にとって意味のあるものに近づくの?」「それを相手に提供するのは正しいことなの?」ということを考えていました。

 考えていく中で「ペルソナ設定」の意味について再考させられました。ペルソナ設定とは、事業立案などにおける具体的なターゲット像を仮定する技法のことです。今まで私はペルソナ設定を無機質な技法としか捉えていませんでした。しかし、対象に真摯に向き合い、意味のあるものを作ろうとするとき、自分の頭の中で架空または架空でない誰かが、提供する企画の中でどういう態度でどういう言葉を発しているのか想像していることに気が付きました。これは「ペルソナ設定」に近いものだと思います。そのように、対象に真摯に向き合うことで非言語的な部分まで想像を広げることが「どうしたら対象にとって意味のあるものに近づくの?」に対する1つの答えになりうると考えました。

 2つめの論点は、「人生にとって理念は重要か」です。「人生に目的は重要か」とも言えると思います。誰かに提供する企画を作るためには、「誰をどのような状態にしたいか」という理念は重要でしょう。私はそれが誠実な態度だと思っています。しかし、理念を人生をかけるものとして持つべきだとはあまり思えません。正確に言うと、そのような人生に対して感情的な憧れを持ちながらも、無理に持つべきものではないと理性的に判断しているというような具合です。憧れに引っ張られ過ぎると、これは私の人生をかける理念だという自己欺瞞をしてしまいそうだからです(現にしている)。人生をかけられるような理念との出会いは事故みたいなものだと思うので、この先に事故ったときだけ人生をかけようと思います。


8.地域の連続性

 この3か月間で私は「地域の連続性」という言葉を得ました。この言葉は地域がどのようにあり続けていくかということを考える中で出てきたものです。震災による全村避難によって1度人口が0名になった葛尾村は、(震災あるいは近代化によって)失われたものを外部の人の力を借りながら取り戻す過程にあったと思います。そこには時間軸というものが存在していませんでした。しかし、ある程度の人が戻ってきた今、それをどのように続けていくかという視点が必要だと思います。それが「地域の連続性」です。

状況整理

 「あなたは何をしたいの?」と問われたとき、「地域の連続性を途切れさせたくない」というのが今の1つの答えになると思っています。この「連続性を途切れさせない」を言い換えるとするならば「継承」です。保持でも改良でもなく継承です。

 継承とは、「あなたから受け取ったものを真摯に取捨選択・改変して別の誰かに受け取るという行為が連なっていくこと」だと考えています。それは、そっくりそのまま同じものを続ける「保持」や端から変える前提をしている「改良」とは違います。私はそのような継承が連なっていくことが地域が続いていくことだと思っています。たとえ行政村としての地域がなくなっても、その意味合いでの地域はなくなりません。

 このような継承は、地域の中で同じ空間を共有することで、実現されたりされなかったりするものだと思います。しかし、コロナ禍によって、葛尾村で行われる多くのプログラムはオンライン開催に移行されました。今後は、そのような状況下でも、継承は可能なのかについて考え、方法を模索していきたいと考えています。

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9.居候という非日常

 以前、村で移住政策に関わっている方から「ZICCAにいるのは大学生の非日常だよね」と言われました。その通りだと思います。ZICCAという場所の滞在者のとっての価値は、自分自身について考え、それを実行し失敗し、また考えれるような非日常の空間があることだと思います。そういう意味では、ZICCAに学生(学生に限定する必要はないが現状学生)がいることは直接的に移住につながらないかもしれません。

 しかし、そこでの生活の中で、村の人たちから何かを受け取り、地域の連続性の中に取り込まれることがあると思います。そうした経験を通じて、行政村としてではなくコミュニティーとしての地域の構成員になっていくでしょう。そうした先に、仕事や住環境・人間環境など様々な要因によって移住が行われるかもしれないし、そうではないかもしれません。

 そうしたコミュニティーとしての地域と機能としての地域が揃って初めて、地域の連続性の中に取り込まれながら地域に住むことが実現されるでしょう。前者も後者も自分にどうにかできる力はないかもしれませんが、それでも携わりたいと思っています。幸いにも後者に関しては積極的な動きがあるので、非日常としてのZICCAを含めた前者を続けていくことに私は力を注ぎたいと思っています。

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10.結び

 まとまりなく行ったことや考えたことを書き連ねてきましたが、私の葛尾村滞在の様子をイメージしていただけたでしょうか。コロナ禍によって様々な面で生活に制約をかけられていますが、それによってこのように大学に通いながら山奥の農村で生活することも可能になりました(村で仕事をいただけたことが滞在を可能にした大きな理由であるため恵まれた環境にあるとは思います)。興味を持った秋学期もオンライン授業の方は、オンライン授業×農村滞在を模索してみてはいかがでしょうか。

余田大輝(よだひろき)


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