見出し画像

学生時代モテたから自分のことイケメンだと思ってたけどフツメンだった話。【嫌われる勇気】

どうも!アーリーです。4月2週目投稿です!

今回は高校まで比較的女性からモテることができたり、周りの人がチヤホヤして育ててくれたおかげで、「学校の帰り道ジャニーズからスカウトされたらどうしよう」って思ってしまうぐらい自分のことイケメンだと思ってたけど、大学生になってモテるどころかバイトで仕事ができなさすぎて女性から呆れられ、チヤホヤされることもなくなったぼくが、
「あ、おれフツメンやん(普通のメンズ)」
ってなる話です。


学生時代モテた話を自慢したいわけじゃないのでご了承ください!

僭越ながらモテエピソード

中学生の時は中1-2年までで6人ぐらい?から告白してもらったり(中3は彼女ができました)、高校1年生の時は同じクラスの女子4人ぐらいが告白や好きっていうのをSNSや友達を通じて言ってくれたり、裏で自分のファンクラブ(?)が
できてたそうです。

なぜフツメンがモテたか
ぼく塩顔なんですが、わりと塩顔がかっこいいって言われる時代に生まれ、小学生からキャプテンの経験をさせてもらってたおかげで中学高校でもキャプテンを経験したことで、「バスケ部主将」というかっこいい肩書きを手に入れ、身長がいい感じに伸びてくれて、学年1のイケメンは彼女がいたりで、
ぼくが運良くモテたっていう説を推してます。

勘違いしたフツメンのぼく


当時、その状況だけをみたら「オレってめっちゃイケメンなんじゃね!?!もっともっとモテたい!!モテるって最高!」って思ったぼくは、
誰にでもいい顔をします。基準が自分がこうしたいとかじゃなくて、こうしたら相手に好かれるんじゃないかになります。
そして柄にもなくかっこつけるようになります。
「かっこいい」「やさしい」「すげえ」って人から承認されることが生きがいになっていきます。

そして大学生。
モテまくって、友達もいっぱい作って、
遊びまくるキラキラの大学生活を描いていましたが、、、
コロナ禍だったこともあり、授業は1年間オンラインでもちろんモテることも友達もできません。
でもどうしてもキラキラの大学生活を実現させたかった自分はコロナ禍でもおこなってたサークルに行きました。
「よっしゃモテるぞ」と思っていましたが、、、
サークルに行くと見たこともないイケメンやコミュニケーション能力のある人、高身長ニキ、イケイケな先輩、ぼくにはモテる要素がありませんでした。
そしてバイトはカニの某チェーン店で働いたのですがそこは女性8割男性2割の神バイトだったんです。
「よっしゃモテるぞ」とまたまた思ってましたが、自分の仕事の出来が悪すぎて、モテるどころか迷惑をかけ呆れられてしまいました。
そしてそして
今まで周りからチヤホヤされたおかげで、部活や大学受験を頑張れたのですが、大学生になってからチヤホヤされることもなくなりTOIEC、簿記、ジムを始めましたが即挫折しました。

承認されてた自分を知ってるからこそ、
「なんでもっと褒めてくれないの?」
「もっと自分をみて?」と
他者に期待し、勝手に絶望していました。

人生が変わった本


そんなこんなで片っ端からいい感じの自己啓発本を買ってた時に、
題名がインパクトがあって、そしてベストセラーの「嫌われる勇気」
を購入しました。

今、アーリーって一言で言えばどんな人?
って聞かれたらこう答えます。
「ダメな自分もイケてる自分も大好き人間」
そんな風に自己受容できるようになったのはこの本のおかげです。
この本に出会うまでは、
「周りより価値があってかっこいい、そして承認されてる自分大好き人間」でした。
この本に出会ったことですごく生きやすくなりました!!

そもそも嫌われる勇気とはアドラーの教えについて書かれた本です。
そしてアドラー心理学とは他者を変えるための心理学ではなく、自分が変わるための心理学です。

「嫌われる勇気」を読んで得たこと

アドラー心理学の考え方では他者から承認を求めることを否定します。
当時、これを見た僕は「は?!?!?!?」って思ってのを覚えています。
なぜならみなさんもご存知の通り、
当時の僕は承認欲求の塊だったからです。
自分は他人に期待し、軸が周りにどう思われるか、どうすれば周りが自分を承認してくれるかだったんです。僕は大きな勘違いをしていました。

自分が他者の期待を満たすために生きているのではないように、他者も自分の期待を満たすために生きているのではなかったのです。

これを読んだ当時の自分はグサッと胸を刺された気分でした。

そして、ここを理解するために重要なのが課題の分離です。
本書によると、
自らの生についてわたしにできるのは「自分の信じる最善の道を選ぶこと」それだけ。一方で、その選択について他者がどのような評価を下すのか。これは他者の課題であって、自分の課題ではないということです。
相手が自分のことをどう思おうと、好いてくれようと嫌っていようと、それは相手の課題であって、自分の課題ではない。相手の課題は自分にとってどうしようもないことなんです。

ありのままの自分を出した上で、嫌われてしまうならしょうがなくね?そんなん自分がどうにかできることじゃないやん。自分を失ってまで人に好かれることが正解なん?勝手に相手に期待して、勝手に絶望してそれってほんまに幸せなん?
と、僕に言われたような気がしました。
「あーたしかに自分って周りに良いように思われて承認されたくて八方美人になり、自分がしたいことよりも周りのしたいことに合わせて、一方で承認されなかったら勝手に絶望してしまってたな」
って思いました。

それからぼくは少しずつですが、ここから他人に期待するのを辞めました自分の課題と相手の課題を分けるようにしました。

今まで例えばバイトで「これやってあげたのにお礼は?」「こんなに頑張ったのに褒めてくれんの?」って思ってしまってたのですが、「あ、これ自分の課題じゃないな」って思うようになりました。モテることについても執着が湧かなくなり、自分が自分のことかっこいいって思ったらそれでいいやって。周りがどう思うとか自分がどうこうできることじゃないし。って思えるようになりました。仕事でも自分は相手に貢献するために全力で頑張るけど、それで終わり。これやってあげたんやからこれしてって期待するのは違うなって。友人関係もそうです。ありのままの自分が嫌われたっていい。自分のことを受け入れてくれる人が周りにいてくれればいい。これ以上は自分の課題じゃないって考えてたらめちゃくちゃ生きるの楽になりました。

最後に

読んでくださりありがとうございました。
ぜひいいねもお願いします。

自称イケメンマインドがちょうどいい。


この記事が参加している募集

#自己紹介

230,057件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?