「お誘い」の報告
きっかけは嶋津さんのこちらの記事だった。
その中のこの言葉に目が止まった。
「未来は変わる」。その言葉に動かされ、よし、やってみよう。そう思った。
コロナ禍に入る直前に友人から誘いを受けていたが実現できていない、とあるプランがあった。そのプランとは、電車による「ビワイチ」=琵琶湖一周。
JRの線路は琵琶湖の周りをぐるっと取り囲むように敷設されている。それを所謂「大回り乗車」で一周しようというもの。鉄道好きな方はご存知だと思うが、毎月発行されている時刻表にも掲載されている「大都市近郊区間」内であれば、実際に乗車した経路に関わらず、最も安くなる運賃で計算されるというやつ。たまに大回りしてはSNSに上げていた私の投稿を見たその友人が、一緒に行きたいと言ってくれていたのだった。
5月の終わり。コロナもだいぶ落ち着いたので、思い切ってその友人に久々に声をかけてみたら、二つ返事で行くことに決まった。今は忙しいので少し間を置いて行こうということに決まった。
いつも不思議に思うのは、付き合いが長い友人ほど、一緒に過ごした時間は実に短いということだ。殆どが高校大学時代の友人だが、長くても4年、短ければ1年しか同じ時を過ごしていない。それほど短い期間に互いの何を知り得たのか、或いは知り得なかったのか。それでも関係が続いているのは、互いに相手に何かを感じているからだろうし、或いは絶妙な距離感を保ってきたからなのかもしれない。いや距離感どころか、下手をすれば2、3年も会わないしメールやLINEだって年に1回連絡を取るか取らないかくらいなのである。それでも会ってみるとその間の空白を全く感じないほどに、お互いの懐にスッと入っていける間柄というのは、思えばありがたい存在なのだ。
声をかけてから1ヶ月弱の6月の終わりに、果たして私たちは再会した。遠くからマスク越しでもそうとわかるなり互いに手を振ってまずは再会を喜ぶ。嬉しさのあまり、予定より1本早い電車に乗ってしまい、乗り換え予定駅のだいぶ手前で停車し乗客が皆降りても気づかず話し込む始末。駅員さんに声をかけられなければ、私たちは永遠に話し込んだまま回送列車となったその車両に残り、後から来た当初乗車予定の電車も逃していただろう。
彼女とは高校時代からの付き合いだ。同じクラスになったのは最後の1年だけで一緒に過ごしたのはその時だけ。部活も趣味も住んでる場所も特に共通点があったわけではないけれど、受験勉強をよく一緒にしたことは覚えている。その時の同士として共に頑張った印象が強い。それがここまで関係が続いていることの一つの要因かもしれない。
その後、大学も職場も互いに全く擦りもしなかったが、時々彼女は私の職場(新卒で入社したのが百貨店だった)に立ち寄ってくれて、晩ご飯を一緒に食べたりした。
それ以降、互いに家族ができてからはしばらくは疎遠になっていたが、10年ほど前の同窓会で再会した時、ある共通点が判明してまた新たなフェーズに入った。奇しくも互いの子供が同い年で、同じような育てにくさを抱えていたのだ。それがわかってからは、会うたびにその時抱えているしんどさや行き詰まっていることなどを話し励まし合ってきた。
彼女を凄いなと思うのは、その軽やかさだ。
やり取りするメッセージもそうだし、リアルの会話もそうだけど、テンポがいい。冗談も織り交ぜつつ笑いを絶やさず、それでいて相手を不快にさせない。重い話もサラッと話す。メッセージのくる時間や聞く話から判断するに、心身ともにかなりヘビーな仕事に携わっていることは容易に推測できるのだが、タフなのだ。今回会うまでの数ヶ月の間にも、家族や自分の病気や身内の不幸、仕事も過酷だったと聞いて驚くばかり。なぜならそういう大変さを全く滲ませていないからだ。
大回り乗車で行くビワイチの旅は3時間弱で終わる。けれど私たちにとってはあっという間に過ぎ去った3時間弱であり、車窓の景色も殆ど見ていないくらいだ。でもそれでいい。彼女がビワイチに行きたいと言ってくれたこと、それを思い出し思い切ってこちらから声をかけたこと、そのきっかけを作ってもらった冒頭の嶋津さんのnote。その全てがこの貴重な3時間弱に繋がったのだから。
目の前の現実は変わらずそこにあるけれど、ともすれば視野が狭まり身動きが取れなくなりそうだったところに、久しぶりの彼女との再会が新鮮な風を吹き込んでくれたような感じ。そして「しんどいのは自分だけじゃない。自分よりもっと大変でも軽やかに生きている人がいる」と思えただけでも、確かに未来は少し変わった気がする。
もちろんお喋り盛りの女子には3時間弱で足りるはずもなく、しっかり二次会も盛り上がったのでした。笑
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