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現代のガリレオ・ガリレイ

許せないことは昔から変わっていないな、と思う。
学生時代からずっと、”理不尽なこと”にどうしても我慢ができなかった。
「社会とはそういうものだ」と言う人は何人もいたけれど、それでもどうしても納得できないまま今に至る。

「ブラック企業なら転職すればいい。転職先が見つからなくてもとりあえず辞めればいい」
よく聞くセリフだ。
一理ある。
学生時代、確か就職活動を一通り終えた4回生(関西では〜年生のことを〜回生と表現します)の夏に大学の同級生と飲んでいた時も、皆から同じように言われた。
数年前、某大手広告代理店の女子新入社員が過労自殺をして大ニュースになった時も、「死ぬくらいなら辞めればよかったんだ」と言う人がたくさんいた。
その通りだと思う。
彼女は東京大学出身の才女であったし、厳しい就職活動を勝ち抜いて業界トップの広告代理店に入社したのだからきっととても優秀だったのだろう。
辞めたってどこででも活躍できたはずだ。
けれど、彼女がもし自殺をせずに某広告代理店を退職し、他で活躍できれば、それで解決なのだろうか。

「日本が気に入らないなら海外に移住すれば?」
(あまりSNSをやらない方はピンと来ないかもしれないが、)twitterでよく見るセリフだ。
日本のこういうところがよくない、と誰かがツイートした時、よくこのようなリプライ(私的にはクソリプ)が付いている。
特に日本に住む外国籍の方には、「文句があるなら国に帰れば?」などというリプライ(私的には紛れもないクソリプ)が付いていたりする。
確かに、人によっては(国籍に関わらず)日本以外の国で暮らす方が合っている方もいるかもしれない。
けれど、クソリプ通りに海外移住したとして、それで解決なのだろうか。

ハラスメントから逃げて転職することも、生きづらさから海外に生活拠点を移すことも、全く以って間違ってなどいない。
個人にとっての課題解決策として、それが最善である場合も大いにあり得ると思う。
けれどそれは、社会的に見れば根本的解決ではないのではないか。
ハラスメントから逃げたところで、加害者は加害者のままだ。
海外に移住しても、日本は変わらない。
もし世界のどこにも「居場所がない」と思った時は、どうすればいいのだろうか。
月にでも行けばいいのだろうか。
どこかの社長みたいに。

本当は、ハラスメントそのものをなくさなければいけない。
生きづらさの原因を突き止めて、それを取り除かなければいけない。
今存在する”理不尽”をなくさなければ、本当の”解決”にはならない。
個人として考えれば、「社会とはそういうもの」だと諦めて理不尽を飲み込んでしまう方が楽なのかもしれない。
理不尽を飲み込んで、うまく逃げられれば、楽しく生きられる場所が待っているかもしれない。
だけど私には、それが上手くできない。
おかしいことはおかしいと、理不尽なことは理不尽だと、ちゃんと主張していきたいとずっと思っている。
それで”失敗”したことも大いにある。
何人もの”先輩”に「生意気な小娘だ」と嫌われていることと思う。
「我慢しろ」「社会とはそういうものだから」「法律みたいなものだと思って諦めろ」「適当に頷いておけばいい」こんなことを何人にも、数え切れないほど言われた。
だけどそれが、私にはできない。
というか、心の奥底からしたくない。
たとえ”意地”だと言われても、理不尽なことにはできるだけ、可能な限りぶつかっていきたい。

先ほども書いたけれど、”逃げる”ことが悪いことだとは全く思っていない。
選ぶのはもちろん自由で、それは立派な選択肢の一つだ。
それを選ぶ人や勧める人を責める気なんて全くない。
それに、個人には限界がある。
私にも逃げる時が来るかもしれない。
それが悪いなんて思わない。
だけど、「逃げられてよかったね、もうこれで全部大丈夫だね」とはならない。
何も変わっていないから。
だからできるだけ、これからも理不尽を許さない自分でいたい。
たとえ私の声が、”社会”に掻き消されてしまったとしても。

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